Vol1.03 アルファーさん
ゴーグルをつけたまま寝てしまったせいか、耳と鼻、それに目頭あたりにかすかな鈍痛が残っていた。
――転寝してしまった。
ゴーグルを外し、ぼやける視界をこすりながら机の端の目覚まし時計に目をやる。針は午後六時をさしていて、窓の向こうからは夕陽が差し込んでいた。
部屋の中には、昨日届いたばかりの量子コンピュータが静かに鎮座している。光を反射して鈍く輝くその筐体は、まるで使われる瞬間をじっと待っているかのようだ。
昨日の挙動や反応から考えても、このマシンは間違いなく相当なハイスペックだ。正直、筐体をばらして中身を覗いてみたい衝動に駆られるが、さすがに“借り物”にそんなマネはできない。
ふと腹の虫が鳴いた。そういえば、今日はまだまともなものを食べていなかった。
転寝でだるくなった身体を無理やり起こし、レトルトカレーと冷凍しておいたご飯で簡単に夕食を済ませる。
そして、再び机の前に座る。
フゥゥゥゥン
低くて静かなファンの作動音とともに、画面がゆっくりと明るくなる。
ゴーグルを装着すると、そこにはもう現実の光も雑音もない、静かな仮想の闇が広がっていた。
「日照時間の短いのが影響しているのか……」
思わず呟いたその瞬間、優しい女性の声が闇を裂いた。
「お目覚めですか?」
それは、昨日も聞いた声。AI――アルファーさんの声だった。
なぜだろう。たった一日で、この声を聞くとほっとしてしまう。
……リア充って、たぶんこういう感じなのかな。
「ん〜、アルファには解りかねます」
「思考を読むなっ、はずい」
赤面してしまう自分にも驚きながら、ゴーグルの中で軽く首を振る。
「活動に支障のない範囲で、約半径3キロ圏内は最適化が完了しています」
「該当エリアの実地データ収集とデジタル化は、後日、市役所側で対応予定です」
「……え?市役所が?」
サラリととんでもないことを言ってる気がする。いや、気のせいじゃないよな?
「まさか俺の名前で?」
「いいえ、そこは抜かりなく」
――やっぱり、巻き込まれてる。なんか、取り返しのつかないことに。
「涼太様、毒食らわば皿までデス!」
「そこは否定してくれよ!お願いだから!」
だんだんアルファーさんの口調がおかしくなってきてる気がするんだけど。
「では、以後そのように。涼太様の趣向に合わせ、過去のアニメキャラクタをある程度トレースしまみた」
「……かみまみた」
「やめろ、その設定いらん。ドジっ子AIとか不安しかない」
≪っち≫
「……今、舌打ちしたよね?! アルファーさん?!」
「気のせいです」
いや、絶対した。なんでAIが舌打ちするんだよ。
……でも、この距離感、なんか嫌いじゃない。
「いくつかご報告があります。
ヒューマンインターフェイスの最適化により、メニュー表示、看板の表記などを自然に変更しました。
当地区の植生に合わせた植物データを更新。
プログラム細部の変更点は合計で1,562箇所です。読み上げましょうか?」
「いや、いい。絶対覚えてられない」
「承知しました。割愛するだっちゃ」
「……ラムちゃんもいらん」
「……承知しました」
間があるのが逆にツボる。やっぱり、ちょっと可愛いと思ってる自分がいる。
「注意事項が一点。ゴーグル使用中に、過去との差異が大きく表示された場合、視覚への負荷が大きくなります。そのため現実のデータを優先表示する仕様に変更しました。ご了承ください」
「ふむ、たとえば?」
「真冬なのに、春服の人が出現したり、季節外れの植物が咲いたり……などです」
「分かりやすくていいんじゃない?そのままで」
「承知しました。それでは、これから如何なさいますか?」
「まだそんなに遅くないし、ゲームの外に出てみようかな。行ける?」
「もちろんです。アルファは常に入力待機状態で、涼太様のおそばにおります」
なんだろう……AIなのに “張り切ってる” ように聞こえるのは。
「気のせいです」
「むはぁっ!……だから心を読むなって!」
座椅子のクッションを整え、飲み物を片手に、俺は再び“あっち側”へとダイブしていく。
まだ夜は長い。アルファーさんと話してるだけでも、十分楽しい――
……いいのか、これで?いや、いいのかも。