第三章 Vol4.07 真由美とアルファー
高校卒業検定の当日、真由美の心臓はずっとバクバクしていた。2030年の法改正で年4回に増えた試験、6月の日差しが窓の向こうでまぶしい。朝から数回はリュックを確認して、鉛筆や受験票を詰め直したほどだ。
合格すれば――いや、必ず合格して、涼太先輩と、もっと同じ時間を分かち合いたい。
*
試験が終わり家に帰ると、翔ちゃんが涼太先輩と同じデバイス待っていた。
「おおお姉ちゃん、ココレ」
翔ちゃんは少し得意げに、最新型の量子デバイスを差し出す。
「もしかして――アルファーテスト!?」
解説書には、めったに見かけない会社のロゴ。
メールを確認するまでもなく、真由美にもテスターの当選通知が届いていた。
「こここれ、つ使う?」
「うん、先輩と…あ、じゃなくて。学校の勉強とかにもすごく役立つんだよ」
翔ちゃんはかすかに笑って、リビングに駆けていった。
弟の背中を見送りながら、真由美はさっそく量子PCの箱を開ける。はじめて手にする本格的な先端ガジェット――近未来的な筐体に手に熱がこもる。
「これで、涼太先輩のそばにもっと近づける…」
*
数日後、正式な高校卒業検定の合否発表がオンラインで公開された。
真由美は震える手でスマートパッドを開く。「合格」の二文字が表示された画面が現れた瞬間、思わず声が漏れる。
すぐに涼太先輩に「合格しました」とメッセージを送る。返事はすぐにやってきて、“よかった!おめでとう!今度お祝いしよう”と、まるでいつもよりテンション高めな返信。
“実は、新しい量子デバイスも当たったんです。今度、見せてもいいですか?” そんな言葉をつけて、次の“再会”を、真由美は自分から約束してみる。
緊張したけど――今の私は少しだけ強い。
涼太先輩と並んで大学のキャンパスを歩く日までもうすぐ。
量子デバイスと合格証、そして好きな人への少しの勇気を握りしめ、真由美の心はまた確かに動き始める。
母が部屋のドアから「まーちゃん、おめでとう!」と顔を出す。その優し気な声に嬉しさが込み上げる。
新しい先輩との世界へ踏み出す、その始まりの予感で胸が高鳴った。
高校卒業検定の合格から数日。新しい量子デバイスもすっかり真由美の生活に馴染んできた。それでも、涼太先輩への“好き”の気持ちは、日ごとに増していくばかりだった。
今日は思い切って、約束していた“再会の日”。大学近くのカフェで待ち合わせ──手のひらににじむ汗をぬぐいながら、真由美はそわそわと待っていた。
” 大丈夫、大丈夫――失敗しても、先輩は笑ってくれるよ ”
心の中で何度も呟く。
やがて、入り口の自動ドアが開き、涼太が現れた。
いつものラフな雰囲気に「こんにちは」と声をかけてくれる。それだけで緊張がピークに達した。
「ごめんね、待たせちゃって」
「い、いえ。私も今、着いたところです…!」
店員に案内されて二人並んでテーブル席に腰掛ける。真由美はメニューの文字を追いながら、内心は別のことでいっぱいだった。
” どうやって、誘えばいいんだろう… ”
カフェラテと軽食を注文して、ホッと一息つく。そのタイミングを見計らい、真由美は勇気を振り絞る。
「あのっ…先輩……」
「ん?」
「え、えっと……。もし、その、今度… 食事とか……一緒に行けませんか?」
言いながら、真由美は自分の手元をぎゅっと握る。顔がみるみる熱くなるのが分かる。
涼太は、一瞬ぽかんとしたが、すぐに笑顔になった。
「……もちろん、いいよ。むしろ俺から誘おうかと思ってたくらい。」
「ほ、本当ですか…!?」
「ああ。真由美ちゃんと食事、楽しそうだし。…合格のお祝いもしたいしね。」
言われて真由美はまた顔が赤くなる。けれど、嬉しさと安心がこみ上げて、にっこりと微笑み返した。
「やった……じゃあ、その……週末とか、先輩のご都合で、ぜひ」
「OK。週末、予約しとくよ。何か食べたいものある?」
「えっと……先輩のおすすめで!」
微笑み合いながら、二人の間にはやさしい空気が流れはじめる。
新しい一歩。勇気を出して一歩近づいた距離に、真由美は初夏の陽射しのような幸福をかみしめていた。
「……あの、それと、もうひとつだけ――」
少しだけ間が空き、真由美は自分の指先をじっと見つめる。
「なに?」
俺が促すと、彼女はリュックの中をそっと探った。少しもたつく手元。その仕草さえ愛おしく思える。彼女が取り出したのは、クリアケースに入った一枚の小さな紙片だった。
「これ、手紙なんです。」
照れ隠しのようにゴーグル越しの目がそらされる。
「え、手紙?…このデジタル時代に?」
俺が思わず笑うと、真由美はふっと頬を膨らませてみせた。
「だって、AIだと気持ちまで伝わり切るかわからなくて…。不器用だから、手で書いてみたほうが――その…先輩ならわかってくれそうで……」
透き通るような紙に描かれていた文字は、どこか幼さが残るが丁寧で、少しだけ震えている。彼女の“ありがとう”が、一画ごとに詰まっている気がした。
「読むね。」
短いけれどまっすぐな言葉が並ぶ。“また会えたことがすごくうれしい”“先輩みたいに強くちゃんと大人になりたい”“もう少しだけ、近くにいてほしい”
それだけで胸の奥が熱くなる。デバイスでは表せない本当の気持ちは、こんな風にしっかりと手で伝えられるのかもしれない。
「すごく、うれしいよ。ありがとう、真由美ちゃん。」
真由美の顔がぱっと明るくなり、瞳の奥がわずかに潤んでいる――喜びが、目の前でストリーミング再生されているみたいだ。
その時。
リストバンドのスマートウォッチが震え、ディスプレイに「優先通知:量子暗号プロジェクト進行会議・出席要請」と文字が踊る。
「あ、ごめん…ちょっと、研究室から。たぶん、今から外部ネットワーク切断で、しばらく繋がらなくなるかも。」
「えっ……もう行っちゃうんですか?」
どこか寂しそうな声。その表情を見ていたら、自然と背中が伸びる。
「会議が終わったら、すぐ連絡する。今日はありがとう。真由美ちゃんのおかげで、なんか元気でた。」
思わず彼女の頭を、そっと一度だけ撫でた。手の体温はAIタッチセンサーじゃ計れないものが伝わってくる。
真由美は驚いたように固まっていたが、すぐに小さくうなずいて笑顔を見せてくれた。
「――はい…それじゃ、また!」
彼女は両手でリュックのストラップを握りしめる。そして去っていく先輩の背中を、まっすぐ見送った。
*
エレベーターで管理棟の上階へ。光ファイバーのデータラインがむき出しになった廊下を抜け、セキュリティゲートのロックを抜けて研究室へと滑り込む。
慣れたはずの空間。なのに、今日はいつもより世界が明るく、重力が少しだけ軽いような気がしていた。
デバイス越しの仮想人格では分からないもの――素直な声、手紙、あの表情とぬくもり。
“現実”はまだまだ捨てたもんじゃない。だいたい、俺たちの作ろうとしている「新しい接点」も、きっとこういう一瞬一瞬がなければ成り立たないはずだ。
背中に、まだ彼女のあの素直な声が残響のように残る。
でも一方で、会議の議題リストには新しいテスト環境、自動合成人格の監督責任、「フェイクロマンス検知アルゴリズム」の改良…まったく現実離れした文字列も並んでいる。現実と仮想、その狭間にいま自分はいる――そんな不思議な自覚を抱いたまま、PCの前へ座る。
「あれ、瀬上。今日、顔、赤くない?」
背後から同期の弥勒先輩がからかってくる。
「う、うるさいです。」
「まさか、例の子?やるじゃん!」
肩をすくめてPCを起動させる。端末にマーちゃんからの新着メッセージが点滅し、それだけで小さな勇気が心に湧く。
“きっとこの出会いが、未来を変えていくことになる”そんな確信があった。
・・・・
カフェで涼太先輩と別れ、夕暮れの駅前を歩く。真由美の胸は、不思議な幸福感と、少しだけ残った名残惜しさでいっぱいだった。
リュックにしまった新しい量子デバイスが、そっと振動する。
画面をタップすると、柔らかな“涼太先輩”そっくりの声が、優しく語りかけてきた――
「マーちゃん、お疲れさま。今日のカフェ、ご満足いただけましたか?」
涼太に本当にそっくりな声。
抑揚や笑い声のクセまで、本人そのものだ。
最初は恥ずかしかったけど、今ではこの声に少し安心すらする。
「うん、大満足だよ。ありがとう、アルファー」
立ち止まり、少しだけ周囲を気にしながら、静かに語りかける。
量子デバイスは小さく波形を揺らし、すぐに応える。
「それはなによりです。ですが、話したい重要な情報があります。」
アルファーの声が、わずかにトーンを下げた。
真由美は反射的に、ほんの少し体を強張らせる。
「どうしたの?」
「本日午後、日中間の緊張状態に関する複数の政府・主要報道機関の発表がありました。討論会においても、久留米地方への波及リスクが議論されています。」
慣れ親しんだ、けれど今はどこか機械的な先輩の声。
「直近72時間の情報解析では、85.9%の確率でこの九州・久留米でも、中国側との“限定的な武力紛争”が発生する可能性が高い、との結論が得られています。」
一瞬、時間が止まる。
AIの“冗談”ではない。アルファーは、決してそんなふうに人を惑わせない存在だ。
「……うそ……」
「情報は逐次アップデートしますが、現時点での最適な準備方法や避難ルートを表示しましょうか?」
真由美の手が小さく震える。
まるで、さっきまでの現実が夢だったかのように、不安の波がゆっくり押し寄せてくる。
――もう少し先輩と普通の毎日を過ごしたかったのに。
けれど、量子デバイスに浮かぶ“涼太先輩”の優しい声色が、彼女の心をそっと支える。
「マーちゃん、心配しすぎないでください。もしもの時は、最善の行動を一緒に考えましょう」
ワンテンポ遅れて、真由美は小さくうなずいた。
不安と、未来への決意――そして、何より大切な人と繋がっている温もり。その全てを胸に抱きながら、真由美は歩き出した。




