01.「始まりと愚行」
勇者が絶対の正義ではない。
魔王が絶対の悪ではない。
これはそんなお話である。
暗い闇の世界。
その奥にある大きな城塞。
そこには無数の魔物と呼ばれる生き物が生息していた。
そう、していた。
今となっては、そこに魔物の影はない。
なぜならば全て殺戮され、立っている者は誰もいないのだから。
辺りに転がる死体、死体……死体の山。
それは誰かを守ろうとした屍。
誰かに守られ、自身をも守ろうとしたままの屍。
逃げようとして斬られた屍。
転がる屍の形が異形であるという事を除けば、ここが魔王の城と誰が予測できるであろうか。否、予測できるものなどいないだろう。
多くの者は「賊に入られ、殺戮し尽くされた貴族の館」と思うに違いない。
その血だまりの中を歩く人影が一人。
「あっけない。もっと抵抗すると思ったんだけどねー……拍子抜けだわ」
人影は奇妙な帽子を被っている。魔女や魔法使いと言われ一般的に想像する黒い三角形の帽子であった。まあ、装飾品が多かったり謎の文字が刻まれているという差異はあるが。
がたっという物音を聞いて人影……アマレット・ギルタブが振り返る。
そこには血に塗れた小さな亜人が立っていた。
背は低く、泣き腫らした瞳の周囲は紅く染まっている。
豚鼻であり、小さな牙が空に向かう様に生えている様から見ればオークの子供だろうと推測された。
壁に身を付け、震えるオークの子供に彼女……アマレットは近寄っていく。
静かな笑みを浮かべながら。
「迷子なのかなぁ? 大丈夫……直ぐにお母さん達と会えるよ、そう、直ぐに……ねっ!」
すっとオークに向ける様にかざしたアマレットの手を中心に小さな魔方陣が展開、二重に展開されたそれは重なる様にして時計の歯車の様に動いた。
次の瞬間、魔法陣の中心に氷の槍が顕現する。
それは周囲の温度を急激に下げる程に超低温の氷で生成されていた。
氷の槍は回転しながら放たれると、一息する間にオークの子供の胸部に突き刺さった。
ぐふっと小さな息を漏らしてオークの子供は絶命する。
床に倒れて大きな血だまりを作ったが、周囲はそれ以上に血で汚れている為に目立つようには見えなかった。
少女といった見た目ににつかわない様な冷笑を浮かべ、アマレットはオークの子供を見下ろす。まるで下等な生き物でも見るかのように。
「ね、言ったでしょ? 直ぐに……会えるって、ふふふ」
◆
城塞の奥地。
人が数百人は入れそうなとても大きな部屋がある。
そこは玉座の間。
悪魔を象った彫像や宝石の散りばめられた燭台等の煌びやかな装飾に彩られた室内は、まさに魔王の座す場に相応しい趣であった。
部屋の広さに似つかわず、燭台の炎に照らされる人影はわずか数人程度。
その内、一人は武器を構えて立っており、あとの一人がもう一人を人質に取っている状況。
勇者と魔王と聞けば、この人質を取っているのがそうだと誰もが思う事だろうが、現実は違っていた。
「悪いな、魔王さんよ……俺達も馬鹿じゃあない。圧倒的な力を持つあんた相手に無策で挑むわけにはいかねえんだよ」
「勇者が人質とはな。世も末という奴か……っ!」
勇者と呼ばれた白い甲冑を身に纏った騎士が刃を突きつけている相手は気を失った女性であった。その女性は耳がとがっている事を除けば人間と差異がない姿をしていた。彼女の種族は太古の昔、エルフ呼ばれた種族らしい。
彼と対峙する魔王の姿もまたエルフと似通っていた。
じっとしまま動かない両者の間でどれだけの時間が経っただろうか。
先に口を開いたのは、勇者……カルヴァドス・プレーナイトであった。
「三つ数えるまでにあんたの力の源たる魔王器を捨てろ。さもなくば、こいつは死ぬことになる。ま、殺すのが惜しい女ではあるがな」
「……ぐっ」
カルヴァドスは腕に抱くエルフの女を撫で回しながら、その首筋に剣の刃を当てた。気絶しているであろう女が動く気配はない。
唇を噛み締め、魔王……シリウスは自らの懐から魔王器――魔力を込めたクリスタルが填められた金属の筒で魔王の魔力の源泉とも言われている――と呼ばれる四つの円筒状の筒を地面に放った。金属が転がる音が辺りに響き渡る。
魔王器を失えば魔王はその源泉を失い、身体能力の大幅な低下だけではなく、魔法はほとんどと言っていいほど発動ができなくなってしまう。
一般的な人間と同程度までの能力低下であった。
だが、苦楽を共にし、かけがえのない存在であるエルフのアルヴィナを失う事よりも魔王器など捨てた方がいい……それがシリウスの考えであった。
◆
――何の変哲もない昼下がり。魔王城の中庭でシリウスは転がって昼寝に勤しんでいた。やることもないのだ、特に誰も咎めないだろうと踏んでの事である。
そう、世界は平和そのもの。
魔王として自分が周辺国家と秘密裏に同盟結んでからというもの、大きな戦はなく、平穏な毎日が訪れたのである。
これはあるエルフの女性の功績による所が大きい。
その者の名はアルヴィナ。
彼女は魔王城にて働くエルフに始まるオークやゴブリン等の亜人種を纏めるメイド長であった。
人間など滅ぼせばいい、亜人種にとって彼らは害でしかない。
そういうシリウスに異を唱えたのは彼女が初めてであった。
「人と亜人種はきっと分かり合えるはずなのです。歴史認識の歪みが原因で今は実現できなくとも、話し合う間に必ずやお互いに争わなくてもよい未来が来るはずなのです」
「なぜ、そう言い切れる? 俺には理解できん」
「簡単な事です。誰も……争う事を好みません。それでも争うのは何か原因があっての事。ならば、ゆっくりと時間をかけ、その原因を取り除いていくことで……いずれは必ず」
その言葉に僅かではない嘲笑をもって答えた事をシリウスは覚えていた。
もう何世代も倒し倒されてが続いてきたのだ。もう止められるはずがない、そう確信していたのだから。
シリウスの予想をいい意味でアルヴィナは裏切り続けた。
人間と秘密裏に接点を持ち、彼らと交流を深めていくなかでシリウスは人も争いを好んで行う人種ではないという事を学んだ。
彼のこの時点での人間への印象は彼らは心が弱く、辛い現実から目を背けがちである、というもの。
「誰もが強くはないのです。悲しみの余り、歩みを止める事を責めるべきではありません。人は歩みを止めても、また再び歩み始めることができるのですから」
「そうか、お前が言うのだから……間違っていないのだろうな」
「ふふっ……シリウス様に信じて頂けて何よりです」
その時のアルヴィナの言葉にシリウスは、そういうものかという印象しか持たなかった。なぜならそれ以上に自分にできないことをやってのけるアルヴィナの横顔を綺麗だと思い、見惚れていたのだから。
それからというもの、彼はアルヴィナの言葉一つ一つを聞く度に次第と心が躍るのを感じていた。
信念に従い行動する、時には仕える主にさえも物怖じせずに間違いを指摘する。その姿はまさに美しい。
シリウスはそれほどにアルヴィナに惚れ込んでいたのだ。
だが、恋と言うものを知らないシリウスにとってそれは初めての感情。
それゆえ告白というところまではいかなかったようである。
いうなれば一つ上の異性の先輩に憧れたようなそんなものだったのかもしれない。
◆
魔王器を捨てる、これは本来であれば自殺行為だろう。
その身を一般人と同程度にまで落とし、勝てる敵などいないのだから。
だが、彼は人間を信じていた。
かつてのアルヴィナに教えられた様に。
人は、好き好んで争うわけではない。
原因さえ取り除いてしまえば……そこにはわかり合う道があるのだと。
だが、彼のそんな思いは容易く踏みにじられる事となった。
捨てられた魔王器を拾った僧侶のパスティス・ランビックが勝ち誇ったように魔王シリウスに対して言い放った。それも卑しい笑みのおまけつきで。
「これで貴方の力の源泉は抑えました。もう勝ち目はありませんよ。万に一つも。大人しく滅ぼされてください!」
「魔王器は抑えたか。なら……この女に用はないな」
「なんだと! 貴様ァッ! 話が違うではないか! 魔王器を捨てれば――」
「助けてやる、なんて……言った覚えはねえなッ!」
「さあ、魔王さんよ? お前はそろそろ……死んでくれや」
アルヴィナをまるでゴミでも捨てるように地面へ無造作に転がしたカルヴァドスは息を一度だけ、ふっと吐くと一気に低く跳躍してシリウスへと迫る。
神速をもって抜き放たれた鋭い剣閃が彼の身を斬り裂いた。
「ぐぅううああああああッ!」
「はっはぁ! どんな刃でも傷つかないといわれた魔王ってのは嘘かよ? 簡単に裂けたぜ?」
よろめくシリウスに膝蹴りを食らわせ、頭部へ回し蹴りを打ち込んで彼を地に縫い付けた。
地面の冷たさを肌に感じながらシリウスは口に広がる鉄の味を噛み締める。
いいようにされている。
我が城も。
我が配下達も。
人間は争いを好まぬのではなかったか。
何かどす黒い感情が身体を支配していく。
これ以上失うモノがあるだろうか。
いや、もうない。何もないのだ。
失うものがないのなら、恐ろしくはない。例え命を燃やす行為でさえも。
ゆっくりとよろめきながらも立ち上がったシリウスの目を見て、カルヴァドスは一歩引いてしまった。そう、彼の目に宿る殺意の光に押されたのである。
とはいっても精神攻撃の類ではないので、完全に気迫負けをしただけではあるが。
「そ、そんな目で見ても! 魔王器がない貴様など!!」
「――黙れ。人間風情が」
ぶつかりあい、後悔したのはシリウスではない。カルヴァドスの方であった。
渾身の力で振るった剣がシリウスに片手で受け止められている。
その手を裂くこともなく、剣は巨大な何かに刺さったかのように微動だにしない。
一気に引き抜こうかと考えたカルヴァドスの視線の端に魔法陣の発動が見える。
咄嗟に剣を捨て、後方へ跳んだ。
次の瞬間、カルヴァドスの頭のあった位置に数発の炎弾が飛来していた。
あのまま剣にこだわっていたら黒焦げだったに違いない事にカルヴァドスは肝を冷やす。
「おいおい、魔王器封じてこれかよ……ッ! 手、貸せ! パスティス!」
「わかっています! まあ、悪あがきのような物ですよ、直ぐに終わりは見えてきますから!」
パスティスが高速で呪文の言葉を紡ぐ。
「天に集まりし我らが神の光よ、我が祈りにこたえ魔を払う刃とならん! 降り注げ! シャインスプレッシャーッッ!!」
シリウスの頭上に無数の光り輝く魔方陣が現れ、規則正しく稼働したかと思うとそれぞれから光の刃が地上目掛け降り注いだ。
魔法の発動に合わせる様にカルヴァドスは剣を下手に構えて突進した。
これには彼なりの狙いがあった。
パスティスの魔法を防ぐには最低でも片手は用いるだろう。
ならば使っている側の防御はどうやっても薄くなる。そこを突けばいい。
どのような達人であろうとも、薄くなった防御を瞬時に厚くするなど不可能なのだから。
案の定、シリウスは右手を上げて光刃を防いでいる。右手には不可視の盾でもあるかのように光刃を弾いている所から推察するに、何らかの魔法が発動しているのだろう。ならば意識は大半がそっちに集中しているはず。
向こうだってあの光の刃の中に突っ込んでくるとは思っていないだろう。
そう思ったカルヴァドスは勝利の雄たけびを上げるかのように叫んだ。
「もらったあああああッ! 煌めけ! 我が刃よッ!!」
声に合わせる様にして光り輝いた刃がシリウスに迫るが、それは彼を斬り裂くには至らなかった。
なぜか。答えは簡単である。
その剣の刃が彼に届く前に消失したからであった。
シリウスは空いている片手で魔法の強化が施された刀身を折ったのである。
彼が驚愕するよりも先にシリウスの手がカルヴァドスの喉を握り潰さんばかりの力で締め上げる。声すらも出ず、勿論呼吸もままならない。
足をばたつかせたり腕ではがそうとするが、それは無駄な徒労に終わった。
薄れかける意識の中で彼は視界にあるものを捉え、笑う。
それは咄嗟に放たれた魔法の一撃。
鋭い氷の刃が真っ直ぐにシリウスの背中へと向かっていたのである。
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