明るい光を見つめて
なんとも言えないブルーな気分や。
ブルー、ブルー
果てしなく落ち込んで行きそうな…。
なんでこんなブルーなんかと言いますと
今、ネットである方の自叙伝を読んでたからなんですね
とてもよく出来ていて、賞とったのもわかるぐらい。
筆力はかなりのものです
おらのインチキ文章よりも遥かに的確なんや
ただ、視点が暗くて
…凹んでます。
果てしなくブルーな読後感。。
あくまで”オラ”にとっての感想です。
おらは”あかんたれ”の再放送が嫌で嫌で
あとは、名作シリーズアニメの主人公が虐めれるとかいうのも
見てられなくて、テレビの前から逃げてた感性のヒトです
だから、この感想は普遍的なものじゃありません。
が、
オラは、どんなに悲惨な内容でも
頭にお花が咲くようなのを書いていきたい
みんなの頭にもお花が咲くようなさ−
オラはね
人間そりゃ、楽チンなんかじゃないし
自分が苦労知らずだとも思ってない
むしろ
ここはイジメられっ子の動物園なんやと感じる
ここってのはもちろん
この地球上という、檻の事である
オラがずっと思っているのは
オラ達はさ
ちょっと意地悪な神様に
檻に入れられた
みんな可哀想な子供なんやと思う。
ヒステリーだったり
リスカ少女だったり
レイプマンにレイプされて死ぬほどのトラウマ持ってたり
車に轢かれて半身不随になったり
手塩にかけた会社が倒産して、
あげく妻は男を作ってトンズラしたとか
お金持ちで人も羨む生活をしているかと思っていたら
長男が精神発達に異常をきたして、つきっきりで苦労してたり
ゲイだったり、ビアンだったりで悩んでたり
小学生、中学生だったら
イジメられて、「なんで学校いかなアカンのや!」と思いながら
親に言い出せずに我慢してたりな
あげくの果てには癌に侵され
傷みをモルヒネで麻痺させられ、ヘロヘロになりながら
意識も尊厳もなく散っていく−
普通だと思っている人々の人生の背後には
実はいろんな事情が隠されている
痛み分けみたいに
みんながそれぞれに傷みを抱えている
そこで一時喜んだとしても
不幸なんてのは斧でも持って待ち構えているんやから
いつ斧が自分の首を刈りにきたっておかしくはないんだ
しあわせ、を求めて皆生きている
誰も攻撃しないしあわせ
金持ちになるしあわせ
愛する人を独り占めにするしあわせ
でもさ、
しあわせばっか求めても
幸福の神の裏側には死神がセットになっているこの世の成り立ちからして
”しあわせな外的環境”ばかりを求めてもムダなのに
万年それを続けている人間という生き物は
やっぱりマヌケやと思う
不幸なハプニングという
逃げられないものから逃げようとして
「はー、逃げおせたわ」って
内心ほくそ笑む
逃げおおせられないんやて
生きてる限りはさ−
「だからすべてを達観しなさい
流れるが如く、心を幸、不幸で惑わされず
坦々と歩きなさい」
という、まるで悟りの境地のような
立派な答えも出るのだけれど、
今のオラにはできないし
したくもない
一時はそういう気持ちになれても
社会生活の喧騒が始まれば
あっという間にその悟りは飛んでいってしまいそうだからだ
オラが提案するのは
「どうせそれなら、花を見て暮らそうよ」
って事
一生叶わない夢を見て、努力するのもシアワセ
憧れのマドンナを夢見て胸に抱いて暮らせるのもシアワセ
同じドロドロの池にいるんだとしたら
ぽっと光が見えたら、その光を見つめていきていければええじゃないか
同じ ドロドロの池にいるのに
ドロを見てるのは不幸
光を見ている方はシアワセなんだ
同じ景色でも
同じ環境にいても
同じ経済状態でも
光さえ見つめていればシアワセになれる
オラ達の脳はよく出来てるんだから
いくらでも切り替えはできる
どんな外的不幸の真っ只中でも光を見ていられれば
不幸の神が首刈りにきてようが
しあわせを感じられるという
”人生の達人”になれるのではないかな?
まぁ、脳ってのは実によく出来すぎていて、
簡単な夢なら現実になったイメージを実感するだけでも
叶ったりするんだがな(笑)。
それは兎も角
できるだけ明るい光を見ていようよ
たとえ足は泥の中でもな
オラの小説も
そういうものになってほしい
まだまだ陳腐だけれども
ドラマティックに、悩みのスパイスもあり
覗き小屋的面白さもあり、苦くもあって
それでも読後にシアワセ気分になれるものを
諦めずにつくりあげたいね
おらの小説でそれができてるかな?