来訪者、間を持たせる
「来訪者」
その言葉はエステルも耳にした事があった。
言われてみれば、黒い男の正体は、それ以外にあるまい。
今まで思い至らなかったのは、"来訪者"という言葉にエステルが抱いていた神秘的なイメージと、眼前の男がまったく重ならなかったからだ。
"来訪者"
異世界からの旅人。まれに現れ、異界の技術や知識を伝え、あるいは英雄的な活躍を為す客人。
時に歴史にすら影響を与える伝説的な存在だ。
ルクサラ帝国も、その歴史の中で幾人かの来訪者を受け入れてきた。
適用される機会が無さ過ぎてほとんど死文と化しているが、来訪者と出会った時は出来る限り歓待し皇帝のもとへ招くべし、との法律もあったはずだ。
その法にのっとれば、エステルはこの黒い男に声をかけ、最低でもテッサラへの同行を願わなければならない。テッサラまで行けば上官に押し付けることも出来るだろうが、はたしてこの男が素直について来てくれるか。
いや、同行を拒否されるだけならいい。縄をかけてでも皇帝の前に引きずり出せ、とは法にも記されていないからだ。
丁重に挨拶をして別れ、上官には来訪者と遭遇し同行を願ったが断られたと報告すればいい。
しかし、先程までの暴れっぷりを見ていると、そんな穏やかな交渉が出来る相手なのか不安になってくる。
はっきり言って身の危険すら感じる。
リエンヌも同様の不安を抱えているのだろう。
当惑したような表情を向けてきた。
そんな二人をよそに、黒い男はうろうろと動き回っていた。
その姿に、不安げな様子は微塵も伺えない。来訪者はこの世界に訪れた直後は右も左もわからず混乱しているという話を聞いたことがあったが、まるで自分の家の庭を散歩しているかのように悠然としている。
何をしているのか、と思って様子を伺っていると、そこらに散らばる死体をずるずると引きずって来て一か所に集めはじめた。
いったい何をしようとしているのか。もしや、あの男は忌まわしい屍操術の使い手なのだろうか。いや、あるいはそう、狩の獲物のように、革と肉とに捌いて食料にでもすると言うのか。
旨そうに人肉を貪る男の姿がありありと想像でき、気分が悪くなる。
しかし、男が取った行動は、エステルが想像していたものとはまったく違った。
きれいに並べられた死体の前にしゃがみこむと、両手を合わせて瞑目したのだ。
思わず、リエンヌと顔を見合わせる。
その見慣れぬ所作は、誤解のしようもなく鎮魂の為のものだったからだ。
エステルは、初めて男に好感をもった。
◇
―――いったいここはどこなんじゃろう。あの世にしちゃ閻魔さんがおらんのがおかしいのう。
黒峰廣児は混乱していた。
当然だ。崖から落ちたと思ったら突然森の中に移動しており、明らかに日本人ではない顔立ちの男に刺され、その男の仲間らしき男たちに襲いかかられたのだ。
さすがの黒峰でも、この状況で平静でいられるほど図太くはない。
だが、思わず取り乱しそうになった時、頭の中で響く言葉があった。
「ビビるなとは言わない。そんな悟りきった人間になりたきゃ寺にでも入ればいい。けどな、ビビってる事を表に出しちゃいかん。いいか、コウ。男稼業で売ってくなら、自分を安く見られるようなザマは晒すんじゃないぞ」
今は亡き兄貴分、風吹の教えだった。
―――ジン兄ィ、ワシゃ、上手く出来とるかのう?
敢えてそちらへは視線を向けないようにしていたが、彼の様子を伺う二人の女性――あるいは少女と言うべきか――の存在にはもちろん黒峰も気づいていた。
布製の上下に貧相な胸だけを守るような防具を纏った青い(!)髪のやや小柄な眼鏡の少女と、栗毛の上に映画に出てくるような―――黒峰に知識があれば、ローマ兵の様だと思っただろう―――兜を被り、豪奢な装飾や文様が施された胴鎧の少女。
先刻から、黒峰の方を見つつ、ぼそぼそと何事か話し合っている。
だが、こちらから声をかけるつもりはなかった。それどころか、二人が存在しないかのように振舞った。
雰囲気的に、向こうもこちらの出方を伺っているような節がある。
そんな相手に「すまんのう、広島駅はどう行きゃあええんじゃろか?」などと声をかければ、弱みを晒すことになる。
向こうから声をかけさせ「それに対応してやる」という形を作ることで優位に立つのだ。
ヤクザ流の処世術だった。
―――それにしてもほっとぬるい奴らじゃな。ちゃっちゃと声かけてくりゃええのに。
いい加減、することもなくなってきた。だが、手持無沙汰にしているところを見せればそれこそ舐められる。
自分が堅気の人間、特に女性からは近寄りがたい雰囲気であることは自覚していた。だが、当然のように男たちと殺し合いを演じていた彼女たちは「堅気の人間」には見えない。
―――妙な格好しとるけど、剣の扱いは見事なもんじゃったし、ただもんじゃなさそうじゃ。こっちの腹ぁ読んどるんじゃろか?
サングラスで視線が読み辛いのをいい事に、こっそりと少女たちを観察する。
どちらもかなりの美形だ。顔のつくりが整っているのもそうだが、無骨者の黒峰にもわかるくらいの気品のようなものが漂っている。
青い髪の眼鏡少女は知的な雰囲気で線が細い印象だ。体つきも貧相だが、それでも男を一人斬り殺していた。もう一方に比べて軽装だが、一端の兵隊らしい。
もう一人は、栗毛の少女。二人の態度の違いを見るに、こちらが親分なのだろう。態度の節々に、人の上に立つ者の貫禄が現れていた。やや彫の深い顔立ちには、厳しい表情が浮かんでいるが、それが不快な険にならずに凛々しさを際立てている。胴鎧のせいで体つきは判らないが、そんなところもいわゆる男装の麗人的な魅力になっている。
黒峰は女の容姿にぐだぐだ言わない主義だが、言わないだけで人並みに美醜もわかるし好みもある。
その好みにてらせば、江夏のストレート並の美少女だった。
少しばかり低めに決まりすぎてる気がしなくもないが、大の男と殺し合うような少女の年を云々してどうする?
少女たちの視線を感じつつも気づかないふりをしながら、そんなふうに少女達を品定めしていた。
いっそ、こちらから声をかけてみるかとも思ったが、今更そんな格好の悪い真似は出来ない。
内心そわそわと少女たちから話しかけてくるのを待つしかなかった。
―――なんじゃワシ、オナゴに声かけられんといごいごしとる中坊みたいになっとりゃせんか?
そんな、情けない疑惑が浮かびつつも方針を改めることが出来ないのが悲しいヤクザの性である。
仕方なく、間を持たせる為に死体を拾い集めて並べ、その前に手を合わせるような真似までして見せた。
口の中でナンマンダブと唱えてみるが、いつまでもこうしている訳にもいかない。はて、次は一体どうやって時間を稼ぐか。
少女たちが声をかけてきたのは、そんな思案をしていたところだった。