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3/7

芸州弁、異世界に轟く

 光の中から現れた白い何かは、エステルとリエンヌを囲んでいた暗殺者のうちの二人、さらには頭目らしき男までもをはね飛ばして進み、すさまじい音を立てて木立にぶつかった。

 一抱えほどもある大木が衝撃に震え、雨垂れのように葉が落ち、静まった。

 恐ろしい沈黙が辺りに満ちる。

 はね飛ばされた暗殺者たちが、ぴくぴくと痙攣するほかは、だれも動かない。

 突然の展開に、状況が呑みこめていないのだ。

(……なんだ、あれは?)

(申し訳ありません、姫様。判りかねます」

 エステルとリエンヌが小声でやり取りするのにも、暗殺者たちは気づかない。白い何かから注意をそらせないのだろう。


 不意に、ばたん、と音を立てて、白い何かの側面が飛びだすように膨れた。いや、あれは扉が開いたのか?

 一同が固唾をのんで見守る中現れたのは、奇妙な服を着た黒髪の男だった。

 男は周囲の異様な注目を気にした様子もなく、悠然と左右を見渡した。

「ひっ」

 リエンヌが小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。

 無理もない。エステルはそう思った。

 ちらりと見えた男の顔が、見たことも無い程凄まじい凶相だったからだ。

 

 仮にも軍隊に所属している以上、人相の悪い男など見慣れている。しかし、男の容貌は、そんなエステルですらたじろぐ程凶悪だった。

 まず目につくのはその黒髪だった。髪油で固めているらしいそれは、全て後ろ向きに撫でつけられ、てかてかとおぞましい光りを発している。木立にぶつかった時の衝撃のせいかところどころ跳ねているが、微塵も愛嬌を感じさせない。

 どす黒い両目は、眼差しで人を殺そうとでもいうかのような暴力的な光りを湛えている。あれはもしや、噂に聞く邪眼というものか。

 黒々とした眉の位置は異様に低い。それだけならともかく、その間に刻まれた皺は何事か。横一本に引き結ばれた口元と相まって「俺は今、二、三人ぶち殺したいくらい機嫌が悪い」と表情だけで語っているかのようだ。

 そして、左耳から口にかけて刻まれた刀痕。普段のエステルなら、勇者の印として好感をもっただろうが、この男の顔につけてみると、この傷を与えた者のその後が案じられて落ち着かない。

 天地にどれ程神と人とがいようとも、これ以上の悪相はあり得ない。エステルはそう確信した。


 男は周囲の沈黙を意に介した様子もなくあちこちを見渡していた。空を見上げると、太陽の眩しさに眉を顰める。

 おもむろに胸元に手をやると、そこにつけられたポケットから何か黒いものを取り出すと、顔へとかけた。

 途端、エステルは数秒前の自分の確信が誤りであった事を理解した。

 黒く塗った両眼鏡だったらしいそれをかけた男の顔は、三割増しで凶暴さを増していた。

 いったい、どうしてここまで凶悪な印象を与える風貌をしているのか。生まれ持った面相は仕方ないにしても、化粧や装飾品の類を工夫すればもう少しなんとかなったのではないか。

 荒事を生業にする人間の中には相手を威圧する為に敢えて親しみ辛い風貌に自らを装うものもいるが、それにてしてもこれはやり過ぎだ。

 

 エステルがそんな事を思っていると、その凶相が、先程から石化の呪いにかかったかのように固まっている弓持ちの暗殺者に向けられた。

 ひ、と暗殺者が半歩後ろに下がる。

 その態度が気に障ったのか、男が口を開いた。

「SUMANNOO WARE、KEGASHITORANKE?」

 ドスの聞いた声音で吐き出されたのは、聞いたこともない言葉。微塵も意味は判らない。

 だが、エステルには確信が持てた。

―――これは、脅しの言葉だ。


 暗殺者もエステルと同じ確信を得たに違いない。その表情が、恐怖に歪んだ。無理もない。あんな凶暴な顔の人間に間近ですごまれたら、エステルも平静ではいられないだろう。

 暗殺者が不幸だったのは、彼がよく訓練されていた事だ。

 もしなんの訓練も受けていない素人だったなら、その場でへたり込むか、あるいは失神する事ができただろう。

 だが、日々の鍛錬がしみ込んでいた彼の体は、死の恐怖に際して、反射的に動いてしまった。

 弓矢を取り落とし、腰の鞘から抜いた短剣を、男の腹に突き立てた。

 流れるような動作は、彼の積んできた訓練の深さを思わせた。一瞬、エステルは、男はこれで死んだと思った。いくら凶相だろうと、腹に短剣を、それも、恐らくは毒が塗ってあるであろう暗殺者仕様のものを突き立てれば死ぬだろう、と。

 もちろんそんなはずはなかった。


「ODORYA NANISARASUNJABOKEEEEEEEEE!」


 びりびりと、空気を震わせる大音声が響き渡った。

 これほど腹の底に響く大声は、帝都で行われた総軍演習の時、大将軍ヴェリサリウスが吶喊の命令を下すのを間近で聞いた時以来だ。

 目の前でこの大声を浴びた暗殺者は、むしろ呆けたように硬直している。ある種の魔物は、その鳴き声で獲物の動きを封じると言うが、もしや男の声にもそんな効果があるのだろか。

 もしそうだとしたら、男はその効果をこの上無く有効活用した。

 男の右拳が唸りを上げたかと思うと、暗殺者が枯れ木か何かのように飛んでいった。

 森の木に叩きつけられてずるずると崩れ落ちた暗殺者の首は、真後ろを向いていた。

 

 その様子には目もくれず男は、じろりと手近な暗殺者を睨みつけた。

「WARYA、ANNANOTOGIKA?」

『お前ら皆殺しにしてやるが覚悟は出来たてるか?』

 きっとそんな意味に違いない。言葉の意味は判らないが、エステルはそう確信した。

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ」

 同じ印象を受けたのだろう。暗殺者は、はじかれたように男に向かって行った。引きずられるように仲間の暗殺者たちもつっこんでいく。

 エステルたちには目もくれない。

 完全に本来の目的を見失っていた。

 彼らの頭目が健在ならこんなことにはならなかったかもしれない。指揮官が指示を出してくれるという安心感があれば、彼らもこんなあっさりと恐慌状態に陥ったりりしなかっただろう。

 だが、その頭目は今、手足をあらぬ方向に曲げて地面を転がっている。先程まで続いていた痙攣も、いつの間にかおさまっている。これでは、指揮するどころではない。

 そこまで考えて、エステルははっとなった。

 部下を指揮する立場なのは、暗殺者の頭目だけではない。

 彼女もまた率いるべき部下を持っているのだ。

「リエンヌ!この機を逃すな!」


 ここで、逃げるぞ、と続けることも出来た。

 だが、自分たちの敵を見知らぬ男に押し付けて逃げ出すことを、エステルの矜持が許さなかった。


「暗殺者どもを殲滅するぞ!」

 命令一下、愛剣"フルメン"を振りかざして暗殺者に襲いかかる。

「は、はい!」

 動揺の色を隠せないながらもリエンヌも続いた。

 

 男の方へと向かいかけていた暗殺者に横から斬りつける。

 はっとしたようにこちらを見た暗殺者の首筋を切り裂いた。吹きあがる血飛沫をかいくぐるように前進し、次の敵へと接近する。

 さすがに今度は不意打ちという訳にはいかず、暗殺者は迎え撃つ構えをとっていた。

 だが、エステルの持つ姫騎士の称号は血筋や縁故だけで受けれるものではない。数を揃えて連携するならともかく、ほぼ一対一のこの状況では、以下に手練の暗殺者と言えど敵ではない。

 毒の刃を受けぬよう、やや慎重に運ぶ必要があったが、それでもほとんど時間をかけずに倒すことが出来た。


 ちらりとリエンヌの方を見る。やや離れたところで一人の暗殺者と切り結んでいる。リエンヌに注意を向けている暗殺者はほかにはいない。上手く一対一の状況を作り出したようだ。

 やや心配だが、リエンヌは抗毒の受動魔法を使っている。純粋な剣技同士の勝負ならまず負けないだろう。

 

 一方、男の戦いぶりは凄まじいの一言だった。

 多少の傷は気にしないとでも言うように、ほとんど防御も回避もせず拳を振りまわしている。

 動かない相手を狙った先程のように一撃という訳にはいかないようだが、それでも既に暗殺者たちのうち幾人かは地に伏していた。

 恐らく暗殺者たちは、普段、浅くともいいからともかく毒刃を当てる事を主眼に置いた戦い方をしているのだろう。また、彼らと対面した相手も、先程のエステルのように攻撃を受けない事を第一とした戦法をとってきたに違いない。

 そんな彼らにとって我が身を省みない男の戦い方は恐ろしくやり辛いものなのだろう。攻撃一辺倒の男に対して一向に深手を与えられずにいた。


 と、その時。

 地面に転がっていた暗殺者の一人が、不意に飛び起きた。

 死んだ振り。らしいといえばらしい戦法である。

 位置は男の真後ろ。こういった場合の連携も想定していたのか、男と対峙していた暗殺者の一人がひときわ大きな気合い声を発しながら男へ斬りかかった。

 当然、男の注意はその暗殺者に集中する。その隙に―――という作戦なのだろう。

 実際、男は背後の暗殺者に気付いた様子はない。

―――やられる。

 そう思った瞬間、エステルは反射的に叫んでいた。


「危ない!」


 言葉が通じた訳ではないだろう。だが、声の響きと、エステルの表情と視線で、男は十分に状況を悟ったようだ。

 男が振り向きざまに右足を蹴りあげる。 

 風鳴りの音さえ巻き起こした蹴りに自分からつっこむ形となった暗殺者は、腰のあたりで二つに折れるような形で飛んでいった。

 

 それからは、もう波乱は起きなかった。

 エステルが更に一人暗殺者を殺し、リエンヌが自分の相手の心臓に刃を突き入れた時には、男は残りの暗殺者を全て肉塊に変え、懐から取り出した櫛で自分の髪をならしているところだった。


「姫様、お怪我は?」

 駆け寄ってきたリエンヌが心配そうな眼差しを向けてくる。彼女自身も数か所手傷を負っており、うち一つはそれなりの深手のようなのに、自分の治療を先にするという発想はないようだ。

「いや、いい。解毒の必要もない。それよりお前の傷を治せ」

「もったいないお言葉です……しかし、姫様」

 リエンヌが、ちらりと視線を向ける。その先にはもちろん、例の男の姿があった。

「……ああ、一体何者だろう」

 いくら古今の知識に通じるリエンヌでもわからないだろう、と思いながら発した問いだったが、意外にもリエンヌには心当たりがあるようだった。

「恐らくですが……」

 

「彼は来訪者です」


黒峰のビジュアルイメージは某Vシネの帝王だったりします。

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