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その男、逃亡中につき

 藝粋会(げいすいかい)特別顧問代理黒峰廣児(くろみねこうじ)は追われていた。

 バックミラーで点滅する赤い光と、エンジン音を押しのけて響く耳障りな警報。

 ヤのつく自由業である彼が追われているとなれば、当然相手はケのつく公務員である。

 そうでもなければ、芸備一の暴れ者と呼ばれた彼が逃げの一手などという恥を晒すはずもない。

 

 いや、普段の彼なら、たとえ相手が機動隊だろうが米兵だろうが立ち向かったに違いない。だが、今日ばかりは無理だった。

 彼一人が捕まるなり死ぬなりするのはいい。だが、後部座席とトランクに積み込んでいる《ブツ》が見つかれば、最悪、藝粋会そのものが潰れてしまう。

「じゃけぇワシはあがいなモンに手ぇだしたらいけん言うたんじゃ。塩尻組のド腐れどもがなんぞ絵ぇ描いとるのは見え見えじゃったのに」

 口から洩れる悪態も、普段の彼には似合わないことだった。「済んだはなしをごちゃごちゃ蒸し返すのは太い男のすることじゃない」というのが、黒峰の兄貴分、風吹仁義の口癖だった。

 敬愛してやまない風吹の教えを忘れるほど、今の黒峰は焦っていた。


 カーブに差し掛かるがスピードは緩めない。対向車線にはみ出しながらカーブを曲がる。ガードレールで車体がこすれる嫌な音が響く。

 不意に、視界が白く染まる。

 対向車。慌ててハンドルを切って交わす。妙にゆっくりとした時間感覚の中、こちらのライトに照らし出された運転手の、恐怖に歪んだ顔まではっきりと見えた気がした。

 心臓が止まるような一瞬の後、視界から対向車が消える。

 警笛の音がドップラー効果で流れて行くのを聞きながら、バックミラーに目をやる。

 テールランプは無事にカーブを曲がっていった。ほっと息をつく。

「堅気の衆を巻き込みでもしたら洒落にならんけぇのう」

 しかし、と思いなおす。

 今は幸運にも事故にならずに済んだが、この先も幸運が続くとは限らない。いや、このままでは早晩人なり車なりにぶつかる事は明白だ。

 仮に奇跡が起きて事故を起こさずに済んだとしても、警察から逃げ切る事は不可能だろう。

 恐らく、非常線が張られ、無理やりにでも止めようと手ぐすね引いて待っているはずだ。 

 捕まれば、会は終わる。


 正直な所、藝粋会にはそれ程義理を感じている訳ではない。

 黒崎の兄貴分の風吹と、藝粋会の先代会長が五分の兄弟で、その縁で客分として藝粋会に身を寄せていた風吹の、いわばおまけとして黒峰もわらじを脱いでいた。

 風吹が死んでからも留まっているのは、ただきっかけが無かったからに過ぎない。

 もちろん日々の寝食を世話になっているという恩義は感じているが、抗争や揉め事が起きるたびに助っ人として出張ったりして十分返しているつもりだ。

 だが。

『コウやん、後生じゃけぇ、この車転がしてどこぞへいんでくれ。こがいなモン見つかったらうちの会はおしまいじゃけぇ』

 血走った眼でそう頼み込む藝粋会会長安藤の言葉に黒峰は「応、まかしときんさい」と答えた。

「男が一度吐いた唾を飲み込むような真似をするもんじゃない」

 これも、風吹の口癖だった。

 

「応と言うてもうた以上、約束は守らないかんなぁ」

 そう呟いた時には、腹をくくっていた。

 頭の中で、この先の道を思い出す。

 次の、次のカーブだ。

 ごくり、と唾を飲み込む。

 一つ目のカーブを曲がる。前方が、一気に開けた。崖沿いの道に出たのだ。

「すまんのう、兄貴。せっかく兄貴に助けてもろうた命じゃけど、こがいなところでほかすことになったわ」

 目的のカーブが迫る。そろそろハンドルを切らないと曲がりきれない。

 しかし黒峰の両手はハンドルを握りしめたまま動かない。

 それどころか、アクセルを一杯まで踏み込んだ。

「警察が海ん中から引き上げるのに、どれほどかかるかのぉ。会長がその間に何ぞうまい絵描いてくれりゃぁええんじゃけど」

 ぐんぐんと迫るガードレールを見ながら、黒峰はそう一人ごちた。

 次の瞬間。

 どん、という衝撃と共に車は宙へと飛び出した。

 視界の上半分は夜空。下半分は海。そんな風に見えたのも一瞬で、あっという間に海の割合が増えていく。

―――やっぱ車はエンジンがあるけん前のが重いんじゃのぉ。どうせなら海じゃのうて空見て死にたかったけど、どうなろうに。

 そんな事を思いながら、近づいてくる海面をぼんやりと眺めていた黒峰の視界を、真っ白な光が覆い隠した。

 

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