その女、逃亡中につき
初投稿となります。
よろしくお願いします。
ルクサラ帝国の姫騎士エステル・エノカ・プロムント=セプタ・レクサヌスは追われていた。
アスラルの森の中を逃げる当てもなく。
ずいぶん前から方角すら判らなくなっていた。となりを走るリエンヌはそんなことはないだろうが、そもそも明確な目的地がないのだから同じ事だ。
気配も音もなく追ってくる暗殺者たちから闇雲に逃げているに過ぎない。
どうしてこんなことになったのか……
◇
何の変哲もない日常業務がそもそもの始まりだった。
アスラ分屯地への連絡任務。危険などなにもないはずだった。
侍女兼副官のリエンヌと共に20名の部下を整列させ、任務を説明する。朝にテッサラの街をたち、日が沈む前にはアスラへ到着。現地部隊に伝達を済ましたら一泊し、翌朝には出発。
ここまでは何の問題もなかった。
異変が起きたのはアスラル森林の中ほどに差し掛かった頃だった。
突然、木立の中から矢を射かけられたのだ。
とっさに反応したエステルはなんとか矢を叩き落としたが、愛馬"ゲンマ"までは守れなかった。葦毛の首筋に矢が突き立ち、ゲンマは苦痛に満ちたいななきをあげた。
「防御陣形!周囲を警戒しろ!」
「了解!」
「りょ、了解」
「了解しました!」
崩れ落ちる乗騎から飛び降りたエステルは部下を掌握しようと声を張り上げたが、それに応えた兵士の数は多くなかった。
部下たちの半数近くは林道に倒れ、痙攣していた。矢を受けてしまった者たちだが、一見して致命傷には見えない者も多かった。かすり傷にしか負っていないように見える兵は、白目をむいて泡を吹いていた。
―――毒。
そんな考えが頭をよぎるのと同時に、左右の木陰から盗賊風の身なりの男たちが飛び出し、エステルたちに襲いかかってきた。
男たちは姿形こそ野盗のようだが、統率のとれた動きは明らかに訓練を受けたものだった。一糸乱れぬ連携で矢を受けずにすんだエステルの兵を屠っていく。
「敵だ!陣形を崩さないよう注意しつつ応戦せよ!」
「姫様!後ろです!お気を付けを!」
リエンヌが警告の叫びをあげた。
即座に反応して振り向くと、短剣を構えた男が突進してきていた。
短剣を籠手で受け流し、お返しとばかりに斬りつける。一撃で斬り捨てるつもりだったが、意外に相手の動きがよく、二三合打ち合ってようやく致命傷を与える事が出来た。
思いがけない敵の手強さに、エステルは眉根を寄せた。
―――まずい。こ奴ら、部下たちよりも強いかもしれない。
エステルの危惧を裏付けるように、周囲の戦況は芳しくなかった。
兵たちも果敢に戦っているが、襲撃者たちに圧倒されている。互いに連携するための陣形をとっているにも関わらず、その隙を付くような動きに翻弄されている。
数だけでなく、質ですら襲撃者たちの方が上なのだ。
周辺国と比べて強兵と言われるルクサラ帝国の正規兵よりも、である。
―――暗殺者。それも、とびきり腕のいい奴らだ。
この時には、エステルは自分が何者かの手によって暗殺されようとしていることを確信していた。
心当たりはいくらでもあった。だが、今は黒幕を推察する余裕などない。
頭の中に浮かぶいくつもの顔や名前を振り払い、ともかくこの場を切り抜ける事だけを考える。
だが、それも容易な事ではなかった。
エステルの兵のうち、戦えそうな人間はやっと10人に届くかどうか。暗殺者たちは味方の倍はいる。それも、姫騎士の暗殺に投入されるような連中だ。動きを見ても並の手練ではないのが判る。
隊が万全ならともかく、この状況で勝てる相手とは思えない。
―――逃げるしかない。
「総員、わたしに続けっ!」
そう判断したエステルは、号令一声、囲みの一番薄い一角に向けて突撃した。
生き残っていた部下たちの内、動ける者たちは即座に従った。彼らとて、姫騎士の配下に加われる程の精鋭なのだ。
突然の攻勢に虚をつかれたのか、暗殺者たちの反応はわずかに遅れた。
エステルは正面の敵を斬り倒すと、その背後の森へと一目散に駆け込んだ。
周囲に突き従う部下たちの中に、リエンヌの青い髪が見えることに、安堵と頼もしさを覚えながら。
◇
それから数十分。
追いすがる暗殺者たちを撃退するたびに味方の数は減り、あるいは森の中ではぐれ、残ったのはエステルのほかにはリエンヌただ一人となっていた。
自分達がいるのがどこかもわからない。弓矢を避ける為には森の中に入らざるを得なかったのだが、助けの当てもなく闇雲に逃げ回ることしかできないのでは、じり貧だ。
ちらりとリエンヌの様子を伺うと、大分息があがっている。眼鏡の下の表情は大分辛そうだ。
本来は文官であるリエンヌにはこの逃避行は辛いのだろう。
いつまでもこの調子ではもたないのは明白だ。小休止を取るべきか。だが、暗殺者たちをどれだけ引き離せたか分からない。
第一、リエンヌは自分の為に立ち止まるくらいならおいていけ、と言うだろう。
どうしたものか、と行動を決めかねていたエステルにリエンヌが声をかけてきた。
「姫様、あちらを、ご覧、ください」
一言一言息をつがなければしゃべれない程のリエンヌに、なんとしてでも休息をとらせることを決意しつつ、エステルは示された方向に目を向ける。
すると、木々の間に薄灰色の何かが見えた。木立の陰になって正確には判らないが、かなりの大きさだ。
「なんだ、あれは?」
立ち止まって、そうつぶやく。足を止める程の価値は無いかもしれないが、少しでもリエンヌを休ませたい。その口実になるのならなんでもいい。
「遺跡か、何か、……おそらく、神殿、ではないで、しょうか?」
今にもへたり込みそうな様子のリエンヌは、必死に姿勢を正して意見を述べる。生真面目な彼女らしいが、今は痛々しかった。
リエンヌの姿に心中で心を痛めながらも、視線を戻す。
言われてみれば、確かに人工物、それも、建物のように見えた。
―――もしかしたら人がいるかもしれない。
そうでなくとも、どこから敵が襲ってくるかもわからない森の中よりも、建物の中の方が休息をとるのに適しているだろう。
そう考えるとエステルは即座に方針を決めた。
「あそこに向かおう」
その言葉に頷くとリエンヌは先導するように走りだした。
無理をするな、と声をかけたいが、リエンヌの性格的にむしろ逆効果だろう。
―――あそこまで行けば休める。それまで頑張れ。
心の中で励ましながら、リエンヌの後に続いた。
◇
「これは……」
建物の前に辿りついたエステル達は、立ち尽くしていた。
近づいてみると建物はリエンヌが推測した通り神殿のようだった。
一見した限りでは、妙な所はない。
帝国のどこにでもあるような、中規模な石造りの神殿だ。
ほとんど建物の間近まで森が迫ってきている事や、雑草やコケに覆われた様子からみるに、人が訪れなくなって久しいことは明らかだったが、それはいい。
問題は、入口らしきものがないことだ。
それどころか、窓も含めて開口部が見当たらない。
窓らしき部分は壁と一体化していて、窓枠をかたどったような彫刻が施されているのでようやく窓的なものだと判るようになっている。
門扉のあるべきところも同様に、巨大な一枚の壁となっている。
その壁一面に、複雑で精緻な文様が刻まれていた。
幾重にも重なった円の内部や周囲に文字とも記号ともつかない模様がびっしりと書き込まれている。じっと見ていると、気分が悪くなってくるような複雑さだった。
この円や記号が何を意味しているのかは判らない。しかし、この模様が何であるかはエステルの知識にもあった。
「魔法、陣?」
リエンヌが呟いたとおり、これは魔法陣だろう。魔術に疎いエステルにもそれは判った。だが、なんの用途かは判らない。神殿の模擬扉に印されているところを見ると、並々ならぬ意味がありそうだが。
博覧強記のリエンヌなら何か知っているだろうか、と思い、声をかけようとしたその時、
「っ!リエンヌ、敵だ!」
背後から迫る殺気を感じて一閃、振り向きながらほとんど勘を頼みに抜き打ちする。
飛来した二条の矢を斬り払えたのは日頃の修練のたまものかそれとも幸運か。
―――いずれにしろ、この状況を切り抜けるにはどちらも不足していそうだな。
木々の間から続々と現れる暗殺者たちの姿を見ながら、心中で苦笑する。
森の中だというのに、足音一つ立てずに男たちは動いている。まっすぐ襲いかかっている様子はない。左右に分かれるように広がりながら、エステルたちを包囲しようという動きだ。
これ以上、追いかけっこをするつもりは無いらしい。
―――ここまで、だな。
エステルはなかば覚悟を決めていた。
逃げようにも、背後に存在するのが入口一つない神殿ではどうしようもない。かといってもう一度包囲を突破するには数の差が圧倒的すぎる。
―――ならば、せめて一人でも多くの敵を倒そう。
剣を握った掌にじっとりと汗が滲むのを感じながら、エステルは心を決めた。
「リエンヌ、右側を頼む。わたしは中央から左を相手にする」
「姫様、姫様お一人なら―――」
「馬鹿を言うな。お前をおいて逃げても、方角もわからず野垂れ死にするだけだ」
「しかし―――」
「黙れ。わたしはここで戦うのが一番生き延びる可能性が高いと判断した。これは命令だ」
いいすがるリエンヌを、言下に黙らせる。
万に一つも勝ち目はない事はリエンヌも理解しているはずだ。
だが、侍女であるリエンヌはわずかな可能性に賭けてエステルだけを逃がそうとするだろう。たとえエステルの意に反してでも。
だからこそ、指揮官としての言葉で黙らせた。侍女ならば主人の為に敢えて命令に反することもするが、軍人である副官が命令に背くことはあり得ない。
「……了解しました、隊長」
わずかに逡巡した後、リエンヌは副官としての言葉を発した。その顔に浮かぶのは諦めの表情。
しかし、付き合いの長いエステルはその下には確かな愛情が隠れていることを見てとっていた。
エステルの口元には微かな笑みが浮かぶ。
―――リエンヌはいつでも最後には私のわがままをきいてくれるな。
リエンヌに侍女としての矜持と誇りを枉げさせてしまったことを申し訳なく思いつつも、親友と共に最後の戦いに臨めることに喜びを感じる。
敵の数は12人。そのうち九人で神殿を背負ったエステル達を半月状に包囲している。無言でじりじりと囲みを狭めてくる圧力は、やはり相当に腕の立つ暗殺者たちなのだろう、腕には相当覚えがあるエステルをして冷や汗を浮かばせるほど強い。
包囲の外で弓を構えているのが二人。包囲を破ったとしてもこいつらが射殺すという段取りらしい。
そして、その二人の更に後ろで武器も抜かずに控えている男が一人。
恐らくその男が頭目だろうと当りをつけたエステルは、そいつに愛剣"フルメン"を突き付ける。
「我はセプタ家のエノクの娘エステル!プロムント伯にして、畏れ多くも皇帝陛下より姫騎士の称号を受けし者!薄汚い暗殺者どもめ、我が剣の錆となれることを光栄に――――」
これが人生最後と気負ったエステルの口上は、最後まで続けることは出来なかった。
突然、暗殺者たちが真っ白に光り出した。
いや、違う。エステル達の背後から湧きあがったすさまじい光に照らされて白く染まったのだ。
暗殺者たちが苦悶の表情を作って目を覆っている。
「な、」
なにがおこった?と続ける前に、
ブロロロロロという爆音と共に白い何かが、エステルとリエンヌの間をすさまじい速さで通り過ぎていった。