第1話
大陸最南部の大国であり、魔導師を多く抱える魔道国家でもあるリリスの市場は、今日も活気に包まれていた。多くの魔導士が暮らすため、比較的安全なこの国の首都には、様々な国から商品が集まる。その規模と品揃えから、リリスの中央市場は世界最大級の市場として有名だった。
そんな市場に、不思議な客が現れた。それは旅装の少女と一羽のタカであった。このご時世に、少女の一人旅は珍しい。しかし、市場の人々の目を引いたのは少女ではなかった。皆の目を引いたのはタカの色だった。なぜならタカは保守的な国だったら捉えられ、殺されてしまうような邪悪の象徴の色、漆黒の翼を持っていたのである。魔術に詳しい者が見れば、強い魔力に影響されたものであることがわかるだろうが、普通の人にはわからない。生まれつき漆黒を持つ闇の生き物と思われるのが普通だ。
世界で最も忌み嫌われる黒を持つ生き物とその飼い主。それが少女とタカを市場で目立たせている理由であった。
黒が忌み嫌われるようになったのは、数十年ほど前の事だ。それまでは、自然の色の一つと位置付けられ、その色を持つものは、闇の加護を受けたものと言われていた。数は少なかったが闇の加護持った人間もいた。珍しい存在だったが、差別され、恐れられることは無かった。しかし、一人の男のせいで全てが変わってしまった。
今から40年前、ある男が神名を得て、魔導士となった。彼の神名は【闇】。文字数が短い方が強い力を表すとされる神名の中で、最も強い力を持つ名の中の一つだった。その名を持つものが現れたことはない、とも言われていた。
強力な名を手に入れた彼は、あろうことか、配下と共に、他の魔導士に戦争を仕掛けたのである。
その当時、多くの魔導士は思った。神の意志に背いた彼は力を失うだろうと。これまでも、私利私欲のために魔力を使い、力を失ったものが沢山いたからだ。しかし、彼は力を失うことはなかった。神は彼を裁かなかったのある。
彼はいつしか闇の帝王と呼ばれるようになった。闇の帝王と魔導士の戦いは、始めのうちは魔導士たちが優勢だった。闇の帝王とその配下たちを、南の山脈の向こう側に追いやることに成功したのだ。みな、これで終わりだと思った。しかし、闇の帝王は、山脈の向こう側に住んでいた闇の加護を持つ生き物を操り、また、攻め込んできたのだ。戦争は熾烈さを極め、多くの魔導士が命を落とすこととなり、戦火は各地に広がった。
追い詰められた魔導士たちは闇の帝王を討ち果たすべく、一つに集った。魔導士が一致団結したのは歴史上初めての事だった。魔術師に比べ、強大な力を持つ彼らは一つにまとまらなければ解決できない問題など知らなかったのだ。そして、一つの組織が出来上がった。これが、今は魔導士連盟と呼ばれる組織の前身であった。
連盟は多くの魔導士を戦場に送り、闇の帝王と彼の配下、闇の生き物たちと戦わせた。多くの魔導士が戦場で散り、経験の足りない若い魔導士たちや、神名を持たぬ魔術師たち、各国の騎士団などが投入され始めた。戦争は、もはや魔導士同士の争いではなく、人間対闇の帝王の戦いとなっていった。
戦争が始まってから15年、大陸中が戦火に包まれ、多くの者が勝つ事を諦めたその時、ある若い魔導士の夫婦が戦場に現れた。彼らは争うことを望まず、協会からの勧誘も断っていたのだが、多くの魔導士が命を散らすのを見て、自らの命を懸ける覚悟をし、平和のために強力な術を行使した。彼らの命と引き換えに生み出された魔術は闇の帝王を、山脈の向こう側の、彼の宮殿に閉じ込めることに成功した。昼は太陽が夜は月が照らすその結界によって人々は一時の平穏を手に入れたのである。
彼らの神名は【太陽】と【月】。光に最も近い名を持った二人であった。しかし、その二人でも、闇の帝王を封じ込めるのが精一杯だった。
あれから15年。尊い犠牲によって生き延びた魔導士たちは次の戦いに備えて、新たな魔導士の育成に励んでいる。
漆黒が忌み嫌われる理由は、闇の帝王も、その配下も、闇の生き物たちもみな漆黒を持つからだ。つまり、少女のタカの翼は、闇の生き物であると主張しているようなものだ。もちろん、闇の生き物が全て悪というわけではないので、差別は禁止されているが、あの戦争を知るものの心には漆黒への恐怖が染み付いている。
「おじさん、これもうちょっと安くならない?150なんて高すぎよ。」
「だめだ、今、農作物が不作なのは知っているだろう?農業大国ベイジェスで流行病が起こったせいで。」
「流行病の影響がこんなとこまで出てるの?そんなぁ、せめて140にして。ねっ、お願い。」
「150だ。それ以上はびた一文たりともまけられないね。それが嫌なら帰った帰った。」
「しょうがないわね、それでいいわ。三つ頂戴。」
「毎度あり。」
ユーリは不機嫌だった。値切りに失敗したのもあるが、何よりも、周りの不躾な視線が不愉快だった。
でもまあ、いきなり攻撃されたり、石を投げられるよりマシかな。アルは危険じゃないのになぁ。
そんな風に思いながら、相棒の翼を撫でる。恐れられるその色も、ユーリからしてみれば、安心感をもたらすものでしかなかった。
気を取り直して、市場を歩き出す。さすが、リリスの中央市場。面白いものがいくつも並んでいた。あれも欲しい、これも欲しいと、露天を冷やかしながら歩く。一通り見終わって、ふと、時計を見ると、約束の時間からだいぶ遅れていた。夢中になって、時間を忘れていたようだ。
間違いなく、怒られる。ユーリは急いで兄との待ち合わせの場所である噴水に向かった。しかし、ユーリが遅れたにもかかわらず、そこに兄リアムの姿は無かった。
「兄さん遅いね、アル。何かあったのかな?」
仕事の報酬を受け取りに行ったはずの兄が来ていない。いつもなら、約束の時間より早く着いてるのに。怒られなくてすむのは嬉しいが、滅多に遅れない兄が遅れるなんて。
「嫌な予感がする。早めにこの街を出たほうがいいかもしれないな。」
頭の中に声が響く。アルの声だ。ユーリはこの声が大好きだった。もちろん声以外も大好きだが。彼の予感はよく当たる。早く兄と合流するべきだろう。それに、流行病についても話したいことがある。
とりあえず、兄を見つけなくては。依頼主のところからこの噴水までは一本道だ。すれ違うことは無いだろう。そう考えて、ユーリは足早に歩き出した。
考え事に集中していたユーリは気がつかなかった。路地からこちらを見つめる視線に。
「見つけた。あの娘なら・・・」
アルの予感は良く当たる。当たってほしくないときほど特に。