礼拝堂 後編
随分時間をすごしてしまいました。と、鳥仮面が声をかけた。
「傷の処置をしてしまいましょう。本当は、傷を負った直後がいいのですが」
無駄にはならないでしょう。と言いながら椅子を立つ。矢張り、随分小柄だ。
「あー、という事でだ。この組合では常識外れだが実効性のある治療を受ける事ができる。拒否も可能だが、どうするかね。私としては、ここで処置を受けていって欲しいんだが」
後衛隊長が言う。
「受けていきますよー。折角費用が組合もちなら受けていきますって。ここで、俺らを騙して死なせる意味なんてないっしょ」
アルトは、もう前に出て腕に巻いた布を外している。
「あ、でももう充分に膿んでますぜ。こりゃすぐに治ります」
アルトの腕の傷は薄い黄色の膿を滴らせている。順当に傷が治っているということだ。
鳥仮面は、桶に透明な水を汲んで傷に浴びせた。膿が洗い流される。
「化膿は、正常な傷の治癒ではありません」
なんだか、怒られているようだ。
「まずは出来る限り、傷の汚れを綺麗な水で洗い流す事です」
「綺麗な水なんてどこにあんだよー」
アルトが抗議する。水があるというと川だが、同時にあらゆる廃棄物の処分に使われるのも川だ。なので、澄んだ水なんて滅多に見ない。
「任務の際に、煮沸消毒した皮袋に清浄な水を入れて渡されているはずです」
さらに不機嫌な声になる。皮袋に、水。確か受け取ったような。そうだ、装備が暑くて、すぐに飲んでしまったが、確かに受け取った。
「あれ、飲み水じゃなかったんすか」
「説明を受けたはずです。傷を受けたらすぐに洗うように」
かなり苛立っているのが分かる。御免、アルト。僕の分も怒られてくれ。
「あ、でも。襲撃があるなんて予想外だったし」
「それに備えないでどうするんです」
「その時に、傷を洗うなんて発想なかったし。説明されても、ちょっと抵抗あるっていうか」
「それについては、まぁそうかも知れません」
「任務前に、この施設の説明してくれても良かったじゃないですかー」
アルトが反撃の糸口を掴んだ。
「先に説明してくれれば、指示に従えたかもしれないのになー」
ぐいぐい攻めていく。
「それについては、済まん」
前衛隊長が治療を受けているアルトの後ろから声をかける。
「油断はともかく、巣穴の外で活動していたゴブリンを一匹見落とした前衛隊の失態だ」
「あ、いや。そんな」
怖い顔で謝られてアルトは慌てている。
「あー、いいかね。この組合、結構初任務で逃げちゃう新兵もおおくてね。わかるだろう。襲撃がなかった場合、ゴブリンの死体を引きずってきて焼くのが任務の全てだからね。その間、あの分厚い装備で暑いし。重いし臭いし。ゴブリンの死体焼くのか分からんて事でねぇ。新兵いじめと勘違いされたりするし。それで、初任務をこなした後で、この礼拝堂を紹介する手筈なんだ。名実共に、組合員になったという事でね。公然の秘密とはいえ、組合員だけが知っていればいい秘密だからね」
後衛隊長の説明が入る。確かに、僕とアルトの他にも新兵は居たはず。確か、訓練が刺又ばかりなんで、だんだん抜けていったんだ。僕も、かっこ悪いとか思ってはいたけれど。確かに、抜けてしまう新兵にまでこの事実を周知してしまうのは上手くないのか。
「本当に、新入りの定着率が悪くてねぇ」
後衛隊長がぼやく。アルトも、そんな切実な話を聞いていたたまれなくなったらしい。
「自分の油断すから。申し訳ないす」
打って変わって、しおらしい事を言い出した。
「動かないでください」
鳥仮面は、そんなやり取りの間も処置を続けている。何か液体を布に染み込ませて傷に当てる。
「痛い、しみる。なんすかそれ」
「酒精です。意味があるほどの濃度にはできませんでしたが、気休めに一応。あ、暴れないで」
よく、わからない。これも、天啓なのか。
最後に、練った薬草を貼り付けて包帯を巻く。実際にこれを見て、帝国の残滓と言われたら言い逃れできそうにない。
「薬草は、中庭で栽培しているものだから安全です。汚泥汚水汚物、いずれも浴びていません」
中庭がゴミ捨て場になっていないのはそういう理由か。アルトの言う不思議。ゴミを捨ててはいけない中庭の謎の真相はそんなものだった。
「頭を押さえていてください。いや、私のじゃなくてエドワくんの」
僕の方の治療は、鳥仮面のそんな言葉から始まった。取り出されたのは、剃刀。
「え、ちょっと」
「傷の周囲の髪を剃ります。治療の邪魔になりますし不衛生なので」
「わざわざ、剃らなくても」
「しっかり押さえていてください」
「へーい。覚悟しろよエドワ」
傷のほうは、アルトのものよりましな状態だという。
「あ、でも虱が居ます。あとで、お二人で互いに虱退治してください。水銀剤は使わないで。この時代のものは危ないので」
水を浴びせられて、濡れたしみる布で拭かれる。最後は、練った薬草を塗りつけて布で押さえた。頭が包帯でぐるぐる巻きになる。
「二日程度で布を替えます。また来てください。あと、人前でその布を外さないように。傷の洗浄や薬草による治療がばれたら、お互い困った事になります」
髪を一部剃られて落ち込む僕。なんだか、人の頭を眺めてにやにやしているアルトにむかって、鳥仮面はそう言ってから、さらに付け加えた。
「体はよく洗うか、せめて布を濡らして拭いてください。水は、できるだけ清浄な井戸水。人に見られるのが問題になりそうなら、組合内の水場を使ってください」
ギルド内の悪臭が少ない理由。体を洗っていたのか。確かに、熱心な教会関係者の目に付くのは問題が出そうだ。
「あー、帝国時代のような風呂とはいかないが水場を広めに取ってある。増築してね」
「天啓ですか」
「大変価値ある天啓だよ、組合員は効果を実感しているしね。香水の使用量も減って懐にもやさしい。あと、もうひとつ」
後衛隊長は笑顔で続ける。
「初任務をこなした君たちは、今日から普段着の貸与も認められるよ」
「え、服なんてこれでいいすよ」
アルトが襟元をパタパタ開いてみせる。
「いやいや、是非借りて着替えたほうがいい。今着ている服は、早急に釜に放り込んで煮るんだ。専用のがあるから」
突然、素っ頓狂な事を言い出す。あっけにとられている僕たちを指差して、後衛隊長は言った。
「君たち、服のほうも虱まみれだからね」
「どっちにしろ、虱は湧くものでは?」
僕は、質問してみる。服を着ていれば、虱は湧き水のように勝手に出てくるもののはず。
「虱は虫の一種です。煮沸して成虫幼虫卵と殺してしまえば、暫くは平気。ただ、この町の環境では……」
すぐにどこかから貰ってきてしまうでしょうね。そう言った鳥仮面は、仮面の奥でため息をつくのだった。
「えーじゃぁ、無駄じゃないですか。所詮、虫なんでしょう」
アルトがごねる。
「放置すると病気を媒介しますから。具体的にはチフスになりますから駆除してください。分かり易いように言うと……その虫は病魔を運ぶ悪魔の使いですから駆除してください」
鳥仮面が、アルトに詰め寄る。
「お……おぅ」
鳥仮面の必死な様子に、アルトは押されて返事をした。僕も、従っておいたほうが良さそうだ。