杯
「……という経緯でした」
僕がお披露目での事を語り終えると、ロジーは声を上げて笑った。
「それはそれは。婿入りとなれば、随分な逆玉じゃないか」
「笑い事じゃありません」
ロジーとは逆に、眉を顰めるジロラ。
ここは、隔離区域のロジーの庵。お披露目の後に、正式に辺境伯令嬢の従者の身分を与えられてた僕は、ジロラについて再びこの場に来ることになったのだった。
前回とうってかわって、僕はこの場を訪れる事になったのを喜んだ。別館に居るうちは良いのだが、誰々への紹介という用事で本館に呼ばれる。その度に、悪臭と不衛生に晒される事になるのだった。以前なら豪華さに目が眩んでいたであろう本館も、今の僕から見れば小奇麗なゴミために過ぎなかった。特に閉口するのは通路に落ちている排泄物だ。たまに、ハンカチが被せてあったりもするが、臭いは変わらない。もともとこの世界の住人である僕が、ジロラの基準に暫く慣らされただけでこれなのだから。ジロラ本人がこの世界に感じる嫌悪は計り知れない。
昼時に焚き火を熾して肉と魚を焼き、スープを作る。今回は、スープの中にジロラ特製の謎の塊が入っていた。白っぽい肉塊に黒っぽい斑点がみえる。
「肉じゃありません、蕎麦粉です。細く切る技術と道具が無いので、蕎麦がきにしてみたんです」
粘り気のある塊に、スープが染みている。そこに醤の塩気を足して食べてみるが、どう評価して良いものか。食べた事の無い代物で、僕には良し悪しも区別が付かない。焚き火の向こうではロジーも、首をかしげている。ジロラは、よく玩味して評を下した。
「やはり、もっと細かい臼で挽かないと食感がいまいちですね。皮も確り取り除かないと……」
なにか、ジロラの世界の拘りがあるようだった。
食事の後のひと時が過ぎた。ロジーは今回の事件の顛末についての説明を求めている。
「救出後には病人という事で、真っ直ぐここに戻ったからね。それぞれの顛末を聞きいておきたい」
「誰からにしましょうか」
「そうだな。軽い所で、傭兵達はどうかな?」
確かに、彼らには辺境伯令嬢誘拐への関わりが疑われていた。
「彼等なら、そう悪くもしませんでした。彼等も騙されていたという方向で決着です。事件に関して証言を求められる他は……身分を誤解させる仮装が問題となる位でしょう。イスキリの都市部への進入禁止一年程度で済む予定です」
「私としては、もう少し何かあって欲しかったね。一応、拉致されたんだし」
「彼等もまた被害者ということで、アルベ司祭に責任を被せます」
確かに、アルベ司祭に関する評判は酷く悪化するだろう。今頃は、使用人の類なんかも逃げているかも知れない。それどころか「自分も騙されていた」として、アルベ司祭に関して事実無根の訴えを起こす輩がいてもおかしくない。僅かな褒章目当てに、落ち目の権力者を密告、讒訴する人間も決して少なくないのだ。
「では、次だ。アルトの奴について」
「話せません」
「そっけないな」
アルトについては、僕も知りたい所だったのだが。どうも、この事に関してはジロラの方では、詳しく話す気は無いようだった。
「とはいえ、このままでも気持ちが悪いでしょうから最小限だけ話しましょう。アルト君は、今回の事で顔と役割が知れてしまったので逃がしました。彼の事を知っている者の居ない場所で、透破として活動してもらっています」
「場所は。あの、もう一度会う事は」
僕は、そう聞いてみた。我ながら、情け無い声が出る。
「できません」
即答だった。
「迂闊に接触をもてば、アルト君の方でも活動の妨げになります。居場所は把握していますので、必要があれば接触するように指示を出しますから」
ジロラは大きく息をついて、思案顔になる。何か迷っているようだった。
「時期を明言できません。暫くは、待ってもらう事になります。しかし、いつかまた会う事もあるでしょう」
それを聞いて、僕はぼんやりと「アルトに会う事は、もう無いのかもしれない」と感じた。剣を返せなかった事、一撃くらいは小突いてやれなかった事が心残りだ。
「では、主な被害者であるアルベ司祭について」
ロジーは、冗談めかして聞いた。
「司教から『事故死の同意』が得られました。今回の事件の吟味中に事故死。司教は、辺境伯に弱みが出来ると言う事で決着です。杯に『よく効くネズミ捕り』が混入、といった事故でしょう」
「そうか。奴も終わりだな。当分は、ジロラ嬢の周辺を嗅ぎまわる輩も出てこないだろう」
「えぇ。ここ暫くの懸案も、これで解決です。アルベ司祭の担当区域は暫定的にシバサ司祭が担当する事になります。エドワ君も、お披露目で会いましたね」
僕は、シバサ司祭に会ったはずだと言うのだ。しかし、あの御披露目の記憶がどうも曖昧だ。途中から「如何にして痛む腰を庇いながらお辞儀をするか」と言う事に集中しすぎていた。僕はそう正直に話して、ジロラにさらなる頭痛の種を増やすのだった。
「ほら。長身痩せ型で、目の細い……」
彼女も色々と特徴を挙げて、僕の記憶を呼び起こそうとしてくれる。一方、僕は全く覚えていない。
そんな二人の様子をロジーは面白がってみている。
「腰痛持ちの勇士に、しっかり者の姫君とは、なかなかお似合い。と、言いたい所だがね」
「分かっています。そんな気は起こしませんよ。ジロラ殿下の置かれている状況も、僕等に対しての認識も忘れていません」
「なら、いいんだ。なに、意地悪を言っているわけじゃない。不幸にならないためには、必要以上に接近しない事も大切だと言うだけだ。嬢もまだまだ、帰還の目処が立たないからね。手を貸してやってくれ」
「はい。全力を尽くします」
迂闊にも、僕はそんな表現をしてしまったのだ。
「なら、読み書きはもう少し頑張りましょう」
「……努力します」
実の所、僕の読み書きの習得は大した進展を見せていないのだった。
「最後に、エドワ君か」
「聞くまでも無いでしょう。目の前に居ます」
「対外的にさ。本人はどうあれ、関係ないところで話は進んだのだろう?」
そうなのだ。尾鰭がついた噂の中の僕は、もう自分の事とは思えないありさまになっている。
「何十もの害獣を蹴散らして、麗しの姫君を助け出し、莫大な財宝を手に入れた。そんなところですね。尚、財宝は家から出る報奨金と給金ですが」
僕が受け取ったのは、組合の下っ端からすれば莫大な額の銀貨。それに、貴族の従者に相応しい程度の服装や勇士に相応しい武具といったものだ。若造が得る金額としては莫大だが、それが財宝かとなると少し違うと言わざるを得ない。
「ゴブリンが、人の視点での『財宝』に価値を見出して溜め込むわけないんですから。その辺は妥協です。洞窟の奥深くに眠る、黄金宝石秘宝の数々なんて絵空事ですよ」
「別に、問題があるわけじゃありません。ただ、僕のものにするわけにも……」
「迷惑料と言う名目で受けておいてください。立場ある側からすれば、あまり少なくても問題が出るのです。『安く済んでよかったよかった』とはならないのですよ」
人事ながら、貴族と言うのも大変だ。
一通りの報告と連絡が済んで、帰り際にジロラが杯を取り出した。
「ひとまず、私とロジーの身の安全の確保が成功しました。意味も分からずに巻き込まれてしまったエドワ君に私からのお礼を」
「いろいろと、頂きましたが」
「あれは、フラカス家からのものです。私個人からは、まだ何も渡していませんから」
杯には、強い酒精の匂いを放つ白い酒が満たされる。
「うろ覚えで、白い葡萄酒に酒精を加えました。シェリーの製法はこれで正しいはずです。多分」
少し頼りにならないジロラの言葉に、以前飲まされた酒精の事を思い出す。
「直接、あれを飲むよりマシになっているはずですから」
そんな言葉と笑顔で勧められたら断れない。
「それでは、ジロラ嬢の作戦成功を祝して」
ロジーが声を掛ける。
「今回の事件における害獣、最後の一匹の駆除を記念して。ジロラ・フラカスが恩人たる勇士に杯を献ずるものである」
ジロラが、それに続ける。
「謹んで賜ります。乾杯」
僕は、杯の酒を一息に飲み干した。




