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幻想害獣譚  作者: 犯人
19/32

露見

 非番だというアルトと別れて、組合建物に向かう。「だいぶ疲れてんだ。今日はゆっくりするよ」とはアルトの弁だ。

 建物内部に入ると、街の悪臭が弱くなる。通路も、広間も、それぞれの部屋も、ゴミ捨てと用便が禁止されている。その上定期的に、汚れているようにも見えない床や壁を、布で擦って掃除を行う人員までもが居るせいだ。ジロラが、全て自分の要求なのだと言っていった。

 困窮した家庭から売られた子供たちが、理由も分からず首を傾げながら清掃を行っている。清潔や衛生といった考え自体が無いのだから仕方ない。いや、こんな事を考えている僕も、人のことは言えない。ジロラの説明を受け、ロジーの話を聞いてそれを信じるまでは清掃の意味も分からなかった。

 今朝方、アルトが言っていた。「人が居れば、汚れて臭いがするのは当たり前だろ。それがないなら、人の領域じゃないんだよ」その言葉を反芻する。この言葉にも、一理あるとは思うのだ。人が居れば、汚れは出る。多く人が居れば、多くの汚れが出る。だから、人の集う都市は、汚物と汚水の集積地でもあるはずなのだ。

 礼拝堂で、組合員の治療を終えたジロラにそう話してみた。彼女は、心底呆れたという顔で言うのだった。

「汚れたなら、拭くなりできます。ゴミが出るなら、集めて焼くなり埋め立てるなりできます。どうして、汚れもゴミもそのまま出た場所から動かさないのが前提なんですか」

もっともな話だ。ジロラのもとの世界では、どうやってゴミの処理が行われるのか。どうして汚れやゴミを「何とかしたほうがいい」と気付いたのか。聞きたい事は多かったが、今日はその手の質問をしない事にした。隔離区域から戻ってきたときの、もとの世界の事を話すジロラ。その寂しげで悲しげな様子を、僕は思い出していたのだった。


 とり合えずの従者としての任務。いや、任務というほどの事も無い。読み書きの習得という、つまりは学習だ。ペンというものを持ったことが無い僕は、ペンの正しい持ち方に苦労する。手首から小指の付け根にかけての手の外側が疲労する。

「変なところに力を入れると疲れます。ペンの重さを支えるだけにしてみましょう」

ジロラの指導をうけて、ペンの先に水をつける。水で、書き損じの紙の余白に文字を書いてみるのだ。なにしろ、紙やインクは高価だ。無駄にしない目処がつくまで、繰り返しの出来る方法で練習という事だった。


 

「ジロラ殿。いらっしゃいますか」

突然、大きな声がする。部屋の戸口に現れたのは、痘痕面。僕達の初任務で前衛隊の指揮をとっていたデビ隊長だった。僕の顔を見て、少し考える素振りを見せた。

「むぅ。あぁ、新兵のエドワ君か。一寸、外していなさい」

酷く急いでいる様子だ。

「はい」

素直に、出て行くことにする。そこへジロラが声をかけた。

「戸口の外で、人払いをしていてください。誰も近づけないように」

「殿下。いけません」

「いいえ、彼にやってもらいます」

「まだ年若い、新兵ですぞ」

「彼には、既に個人的な用件もこなして貰いましたし、私の素性も明かしてあります。年齢的にも、このぐらいのほうがいいでしょう」

「過酷ではありませんか」

「とはいえ、もう手遅れですから」

充分に、苦労してもらいましょう。そう言って、ジロラは僕のほうを見る。

 文字を覚えるだけでも、苦労しているというのに、まだまだ過酷な事があるのか。しかし、それは当然だろう。ロジーの話にあった「世界に対する異端」その従者なんて過酷でないわけがない。

 何より、僕が音を上げた瞬間に、ジロラは僕の屠殺に取り掛かる事になる。ロジーの話では、そういう事だ。本人に確認するわけにも行かないので、勿論これがただの脅し文句である可能性もある。だからといって、命を懸けて確かめようとも思わないが。


 僕は、戸口の外に出た。扉を閉めて左右の通路を確認する。人払いなんて、一体何を話しているのか気にはなるけれど、きっと聞いちゃまずい事だ。両隣の部屋も無人である事を確認して、一旦礼拝堂に戻った。

「通路と、両隣の部屋は無人です」

「御苦労。この話は、部外秘密だ。新兵に聞かせるわけにはいかん」

「分かっています」

僕は外に出て、扉を閉めようとした。しかし、前衛隊長の話は続く。

「しかし、洩れ聞こえてしまうのは致し方ない。見張りの指示をしたのは、こちらだしな。秘密が外部に洩れたりしない限り、この件で君を処罰する道理はない」

「はぁ」

「なお、部屋が暑いため扉は開いておくように。これが殿下の御意向だ」

「……はい」

開いた扉の外に立って、通路の先に目を光らせる。という建前で、話を聞く事になった。本格的に、逃げ出したくなってくる。逃げても留まっても、碌な事にならない予感、或いは確信がある。

 直立不動の姿勢をとり、前衛隊長が報告を始める。

「アルベ司祭が、隔離区域にて『異端の隠者』の住処を把握した模様です。捕縛のために助祭と傭兵が向かっている様子」

それを聞いて僕は、思わず声を上げた。

「ロジーさんが、なぜ」

前衛隊長に、凄い迫力で睨みつけられた。そうだ、僕にとってこの報告は、洩れ聞こえてしまっているだけなのだ。

「口実は。と、聞くまでもありませんね」

ジロラが、僕の疑問を引き継いでくれた。

「異端者ですからな」

そうだった。忘れていたが、彼女は異端なのだ。前衛隊長が、説明を続ける。

「辺境伯の設けた隔離区域を利用して身を隠し、イスキリに災厄と疫病をもたらそうとしている。といった筋書きのようです」

「申し開きのしようもありませんね。そもそも彼女は、拷問と刑の執行をこちらで行うという口実で引き取られましたから。戦力はどうです?」

「傭兵は、人間相手に戦争をするのが仕事ですからな。他方、我々は害獣の駆除が仕事です。多少の数的有利がこちらにあっても、お話になりません」

「でしょうね。勿論、そんな必要なありませんが。ただ、彼らにしてみれば害獣の駆除は得手ではない」

「そうです。手続きの上でも、刑の執行にあたってはこちらに話が回ってくるものと思われます。少しでも渋れば、害獣駆除組合と異端者との繋がりを喧伝して回るでしょう」

「司教とアルベ司祭の側から、あの方への攻撃材料になる……と」

「御父上とシバサ司祭にとっては、痛手でしょうな。殿下御自身の身も危ない」

ジロラは、大きく息を吐いて。伏目がちの顔を正面に向けた。普段よりも、顔が青白く見える。

「アルベ司祭側に逆らわず、刑の執行を行いましょう」

「そんな」と声を上げた僕を、今度はジロラが睨む。

「組合長の意見も同様です。詳しい予定が纏まり次第、改めて報告に上がりましょう」

「お願いします。執行には、私も医師という名目で同行します」

「承りました。準備致します」

「そして、エドワ・ジェン」

急に名前を呼ばれて、反射的に姿勢を正す。ジロラが僕を、こんな風に呼ぶのは初めてだ。

「異端者への刑の執行は、通例として昼間に行われます。その晩、日が落ちてから私の所に来なさい」

いつもと違う、上位者としての命令形。喉が引きつって、とっさに声を出せない僕は必死に頷いて見せた。


 寮への道を走りながら、僕は考える。一体、どこからロジーの情報が洩れたのか。あの隔離区域は、病気が伝染するという風評によって人を遠ざけていた。あの場所を知っているのは「ロジー」本人、ロジーを匿った「辺境伯」、ロジーを定期的に訪問していた「ジロラ」、お供でついて行った僕「エドワ」この四人。あとは、組合の幹部達も知っていておかしくはない。僕が考え付くのはこれだけだ。

 いや、違う。僕が隔離区域へのお供をしたことを知っている人物がいる。直接、ロジーを知らなくても「何かがある」と推測できたかもしれない。

 「アルト」彼は、僕の親友だ。信頼している。だから、裏切らないで欲しい。裏切らないで、欲しかった。

 息を切らせて辿り着いた、寮の部屋はがらんとしてアルトの荷物も無くなっている。争った形跡はない。ここで「ゆっくりしている」はずのアルトと彼の荷物は、陰も形もなくなっていた。

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