隠者の質問
酔って顔を赤く染めたロジーが、僕に絡むようにして問い詰めてくる。
「エドワ君さ。今はイスキリに住んでいるんだろ。あそこらの教会どう思う」
僕は、ジロラにちらりと目をやった。彼女は、貴族街区を管轄とするシバサ司祭と関係が深いと言っていった。迂闊な事は言えない。
ジロラは、酒精を分離する装置の脇にしゃがみこんで何か呟いている。どうだったっけ、確か習ったのは……。ガラス管て無かったっけ。加工精度が低すぎる。聞き取れた内容は意味が分からないものだった。その視線に気付いたロジーは唇の一方を持ち上げるようにして、歪な笑顔を作る。
「そう警戒しなくていい。ジロラ嬢は都合上、シバサ司祭と協力関係にあるだけだ。恐らく、信仰心なんて全く無いよ。聖句の暗誦くらいは、して見せたかもしれないがね」
衝撃的な言葉だった。本当だとすれば彼女は邪教の信奉者で、獣同然である帝国の亡霊。周囲の人間を騙して、潜り込んだ一種の害獣……
「考えている事は分かるが、そりゃ違う」
「でも信仰心が無いって事は、良心も倫理もないということでは」
小さい頃、村の教会で聞いた説教を思い出す。僕は、それをずっと疑わずに生きてきたのだ。
「確かに彼女は異質だがね、君が今思い浮かべたような怪物じゃ無い。邪教も帝国も関係ないよ。彼女は、自分の良心を教会に預けてはいないってことさ。自分で考えて判断する。我々の間にあっては、考えられないような異質さだが、それがジロラ嬢の性質だ。なぜそうなったのか。これは、出自の異様さが原因だろう位しか言えないね」
高貴でも卑賤でも特殊でもなく、異様。異様と表現される出自とは、どのようなものだろう。
「なんだか、私ばかりが話しているようだな」
ロジーは鼻から、強く息を噴き出すと僕に詰め寄ってきた。
「それで、どう思う。都市部の教会の事だよ。遠慮せずに話してみてくれ。こんな隔離区域にはね。熱心だからこそ、教会の関係者は立ち寄ったりしないからな。聞き耳を立てている者もいない」
「え、えと。その。ジロラさんにお世話になる前に数度、組合側のアルベ司祭の所に行っただけなんですが」
「うむうむ、言ってみなさい」
意を決して、言葉を続ける。
「御布施……高いです」
建物内部に、甲高い笑い声が響いた。装置の陰から、ジロラも顔を出す。ロジーは涙を浮かべて笑っている。
「いやいやいや。教義とか解釈とか、組織の運営についてとかあるだろうに」
「切実だったんですよ。今は解決しましたが」
「切実かも知らんが、一応信徒だろうに」
「そもそも、文字読めませんし」
「算数はできるんだな。金勘定というべきか」
「数は、数えられます」
「そうか、考えてみればそれが普通だな。いや笑ったりして済まなかった」
そうは言うものの、ロジーの鼻の穴はふくらんだままだ。
「私は、どうも人付き合いが狭くてね。その中でも、ジロラ嬢は読み書きできる。数学も未知の領域だしな」
「基礎的な内容ですよ。専門じゃありませんでしたし」
と、ジロラが装置の横に座り込んだまま、口を挟む。いやいや、とロジーは首を振った。
「君の異様さを当たり前だとおもわんでくれ。数学や幾何学に関する天啓については、私程度では理解も納得も無理だよ」
何に使えばいいのかも分からないし、とロジーは付け加えた。
「それは良いとして。私の昔の知り合いも文字は読めたが。連中も修道僧だからな。分類するなら特殊な環境か」
「ロジーさんも修道女なんですか?」
「いや、いまは違うな。昔、ちょっと関わりがあったという程度だ」
ロジーは、ジロラが先ほど座り込んでいた場所に顔を向けた。ジロラは、既に装置の陰に隠れてしまっている。
ロジーは、すぐにこちらに向き直った。灰色の瞳があらためて僕を捉える。
「私の話をするよりもエドワ君の事を聞かせてくれ。ずれ過ぎた感覚を補正するためにも」
「たいした話は、ないですよ。ただ、イスキリ近郊の農村から出てきた、おのぼりさんていうだけです」
「周囲に、読み書きのできる大人はいなかった?」
「村の神父さんだけだと思います。僕の両親はだめでした。その頃の友人にも、読み書きを習っている様子はありませんでした」
ふうん、と声を上げてロジーは面白くなさそうな顔をする。
「そんなもんなんだな。教典の方は、神父の読み聞かせか」
「はい。あ、子供向けに版画も用意してくれていました」
「読み書き自体は、教えなかったのだね」
「えぇ、必要な時には読み聞かせるからという事でした」
「村にだって商人くらい来るだろうが、読み書きの必要な取引の場合もその神父が全て手配していたのか?」
「神父様が全てこなすので、村の皆は農業に専念できるということでした」
ロジーの顔はだんだん険しくなっていく。悪い事を言ってしまっただろうか。
「教会側から見れば優秀なんだろうな、その神父は。文字の独占。いわば知識の独占か。作物も金もちょろまかし放題だな」
「神父様はそんなことしませんよ」
子供の頃から親切にして下さった神父様の酷い言われように、僕は抗議の声をあげた。ロジーは目を細めて僕を正面から睨みつける。
「それを、どうやって確認した? 読み書きも出来ないのに」
「神父様は、僕が小さい頃からずっと親切にしてくださいましたから」
読み書きの出来ない僕に、確認なんてできるはずもない。またきっと笑われるのだろうと思いながら、僕は精一杯の反論を述べた。笑い声は起こらなかった。ロジーは苦笑いを浮かべて僕を見つめる。その目つきが先程より、穏やかになったように感じた。
「大変素直で、良い反論だ」
その声は、なんだか寂しげだ。
「ジロラが、手元に置いておこうとするのも分かる。この際、学が無いのも仕方あるまい。しかしな、そんな状況なら少しは疑え」
僕の肩に、ロジーの両手がかかる。
「教会の連中はお前さんが考えているより馬鹿だが、悪辣だ」
僕の肩から両手を離し、一歩僕から離れて振り向いたロジーの灰色の目は鋭さを取り戻していた。
「アルベ司祭が管轄する組合街の教会は、料金の支払いに使う天秤に細工がある。負担が重いと感じるなら、それが一番の原因だろう。単純な話でな、はじめから錘を載せる側に傾いているんだ、あれは」
「司祭様が、そんなこと……」
「立場は信仰の証にはならないし、地位は潔白である事を示さないよ。あるとすれば、異端や汚職の事実を一時、覆い隠す事ができるわけだ。その点がもっとも厄介なのだがね」
「ロジーさんは教会と、何かあったんですか。その、昔に何か……」
「昔から隠蔽とか、許せない性質でね。教会の上のほうはまだ良いんだが、いやあまり良くないが。下の方、直接に信徒と金銭のやり取りをするくらいの立場のほうが、今は酷いんだ。貨幣ってものは、人を狂わすね。労せずして自分の掌に落ちてくるなら、尚更だ」
「教会を商売の家とするな」
「教典の引用か。耳で聞いただけにしては、よく覚えている。しかし、この場合は違うな。僧侶が商人になっているのだからね。商人を追い出したら教会が無人になってしまう」
少しは良いとこを見せようとして、どうも誤った引用をしてしまったらしい。
「まぁ、感心なものだよ。そんな事まで覚えているなら、エドワ君の慕う神父様も本望だろう」
そう言ってロジーは、手近な椅子を引き寄せて座った。脚を組んで、その上に肘を乗せる。頬杖をつく体勢になって僕を上目使いに見上げた。
「次は、私が質問に答えようか。私が修道女だったのか、だったね」




