初任務 前編
肉を焼く臭いがする。芳香ではなく、悪臭。屍を黒焦げにしていく臭いだ。周囲を覆う深緑も、雨上がりの地面が放つ湿った土の匂いも今は悪臭にかき消されている。
顔を覆ったマスク越しに感じる悪臭に僕は、顔を背けた。焼けているのは、ゴブリンだ。全部で五体。勿論、僕が仕留めた訳ではない。戦闘の担当者が仕留めたゴブリンの死体を穴に放り込んで焼却するのが、組合新入りの仕事だというだけだ。身長1m程のゴブリンも、筋肉が多く案外重い。その死体を引き摺って焼却のために掘った穴に落とすのは、嫌がられる仕事なのだ。しかも、燃やすのにやたら時間がかかる。
焼けていく死肉から目をそらす。隣にはもう一人、自分と同じ新入りで同じ仕事を振り分けられた同僚。空はどんよりと曇っている。雨季の終わり特有の厚い雲だ。雲を通して感じる太陽の気配は、南をやや過ぎて西へと移りつつある。
焼却穴の向こうに、村の内と外を隔てる粗末な柵が見える。一部破壊されている部分からゴブリンが侵入して今回、組合の仕事となったわけだ。柵の向こうには、村落の小さな家が何軒か建っている。家の壁に、幾らかの破壊跡がある。組合の部隊が、都市から駆けつけるまでに幾らかの被害が出たという事だった。
組合の本部がある都市とは、趣は違うが農村も長閑でいい。今回のように襲撃を受けて家が壊されたりしなければ、ということだが。
再び、焼却穴に視線を落とす。死体と燃料が完全に燃え尽きるまで見張るのも役目だ。山火事防止のための仕事だという。
こういう処理を行う組合は、珍しいと思う。怪物退治で出た屍は放置が普通だ。わざわざ、手間と資材を投入して焼却することに何の意味があるのだろう。そんな事を、同僚のアルトに話しかけてみた。彼は、数歩離れた位置で、焼却用の穴を覗き込んでいる。
「しらねぇよ。組合の方針も、費用の出所も俺たちが心配する事じゃねぇだろ」
にべもない。話しながら、支給されている皮袋に入った水を飲む。
「でも、気になるじゃないか。怪物を弔っているようで、ちょっと気分悪いし」
「考えすぎだろ。こんなクソ適当な穴ぼこに放り込んで火ぃかけるだけの葬式がどこにあるよ。お前の故郷じゃこうだったのか?エドワ」
「いや、そんなことないよ。燃やさない。棺に入れて埋めるし、神父様も来る」
「遺体をぼーぼー火で燃やす地方もあるというがな。まぁ、俺たちの目の前にあるような、こういうのじゃないだろうさ」
アルトの表情は伺えない。仕事中は、ギルドから支給されるマスクをつけているからだ。
マスクだけではない。何重にも生地を重ねた頭巾。胴体部分は厚い布鎧で、肘から先の布地は、さらに分厚くなっている。手首から先も、分厚いミトン。手先を使う作業に従事する場合には豚革の手袋を使える。下半身も厚い布に覆われていて、足首から先は必ず靴を履く。サンダルは禁止だ。全体的に白ずくめというか、白いシルエットのようになる。
夜間の社業は避けることになっているが、それでも日が落ちてから作業をする場合に幽霊の集会と勘違いされる事があるのだとか。わからなくもない、というか納得できる見間違いだ。
「まぁ言う事はわからんでもないぞ。うちの組合は妙なことが多すぎる。こうしてゴブリンの死体を焼くのもそうだが、たまにこういうの持って帰って、本部の裏口から搬入してるっていうぜ。装備を貸与すんのも珍しいしな。知ってるかい? 普通はこういうの有料なんだ。新入りで簡単な雑用係やってるうちは普通の服で仕事すんの。護身用の武器くらいは貸与してくれるんだろうけれどな」
アルトは、持っている長柄武器を、ゆらゆら揺らす。組合で貸してくれるやつだ。それを眺めながら僕は呟いた。
「……刺又だけれどね」
「使い方も教えてもらったろ?格好悪いとか考えてんなよ。安全確実ってのなら、組合の指導は合理的なんだからよ」
「僕はもっとこう、怪物を向こうに回して甲冑着て剣とか持って……」
「囚われのお姫様の救出ってか?お前考えてみろ。姫君なんて相手なら誘拐するのは身代金目当てか、政治的な目的か。そんな事するのは怪物じゃなくて人間だろが。入る組織間違ってんぞ」
「小さいころ、ゴブリン退治に村に来た人らをヒーローだと思ってたんだよ」
「見込み違いだったわけか。やってることは、その時お前が見たまんまのはずだがな」
ひどい言葉遣いで、的確な事を言う。僕と同期なのに、随分大人びて見える。全身白ずくめで、今は顔も見えないけれど。
「冷めてるね」
「仕事として割り切ってるだけさ。こっちは憧れも何も、食い扶持稼いで怪我しなきゃいいんだからな。そういう意味でも防具の貸与までしてくれる組合は貴重なんだよ」
矢張り、じぶんと同期の新入りとは思えない。年頃も僕と同じはずだが。
「アルトこそ、そういう目的なら職人組合とか商人組合のが良かったんじゃないか?安全を考えるなら入る組織間違ってるよ」
それは、一寸した反撃のつもりだった。アルトの揺らしていた刺又が止まる。体の動きを止めて僕を見ている。表情は頭巾とマスクに覆われているが、目がこっちを見ているのが分かる。何か、まずい事を言ってしまったのか。
「……まぁ、そう言うなよ。事情ってものがあんだ」
暫くにらみ合った後、アルトはそう言った。刺又を、またふらふら揺らし始める。もうこちらを見ていなかった。
僕も、再び焼却穴に目を落として考える。アルトの事情。安全安定を考えながら、こうして怪物相手の仕事をする事情。万が一があれば、怪物の襲撃で命を落とす可能性もないわけじゃない。自分のような英雄願望でもなく、いったいどんな事情が彼にはあるのだろう。
何を話せばいいか、どう声をかけるか決まらないまま僕は声だけをかけた。
「あ……ねぇちょっとい」
そこまでしか、言葉は出なかった。そんな無駄話をしていたからだ。そして燃えるゴブリンの悪臭を嗅ぎ過ぎていたからだ。二人とも、何も気づかなかったのだ。
後頭部に重い衝撃が走る。僕は、うつ伏せに倒れ伏した。何が起こったのかわからない。頭がぐらぐらする。視界がゆがむ。
「コノヤロ!」
アルトの罵声が聞こえる。背後だ。体をひねって、向きを変える。上を向いて、上体を起こす。
目の前にアルトの後姿。その先には、身長1mほど、赤黒い皮膚にまばらに生える獣毛。獣の臭いと塵貯めの臭気を混ぜて強烈にしたような悪臭。
ゴブリンだ、牙を剥きだして唸り声を上げている。手に持つ棍棒で地面を叩いて威嚇している。あれで殴られたのか。ふらつきながら起き上がる。アルトは刺又でゴブリンを牽制する。
「笛吹け。早く!」
アルトが怒鳴る。僕は、腰にぶら下げていたホイッスルを手に取り思い切り息を吹き込んだ。鋭い音が鳴る。これで、周囲の組合員が気づくはず。あとは時間を稼がなければ。地面に落とした刺又を拾い上げて、僕は初めて怪物との戦闘に臨む。