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ツキリ、ツキリ……
胸の奥を裂かれたような、そんな衝撃的な痛み。
視界に入れたくない、それでも入る二人は、まるで一幅の絵画のように美しくて景色さえも陳腐に見えてしまう程に。
今朝逢った煌よりも少し大人びた表情。
そう言えば、あの雨の日もそうだった。
仕事をしていたんだろうか。
相変わらず、胸の奥はツキツキ、ビリビリと痛んで、脚はコンクリートに埋められたみたいに動かない。
煌の横に立つ作り物めいた綺麗な女の人から、視線を外す事ができなかった。
煌と同じように全身黒を身に纏う、見ているだけで匂い立つようなその女の人の黒く長い艶やかな髪が揺れる。煌を迎えに来たんだろうか。煌を連れて行ってしまうんだろうか。
いつもの公園には不似合いな程に美し過ぎる男女を少し先の目の前、わたしは震える手をどうにか動かして、鞄をギュッと持ち直してから身体の向きを変えようとした。
「蓮っ!」
背中から響く綺麗なテノールを振り切って走り出したいのに、動く事ができない。だって、あまりに綺麗にわたしを呼ぶから。
動けなくて、下を向いて足元を見れば、紺のハイソックスと黒いローファー。どんなに着飾ったとしても到底あの女の人には敵わない。
惨めだ。
でも、それでもわたしから煌を取らないでって、そんな風に思う自分が何より凄く嫌だった。
「蓮、お帰り」
後ろからお腹に腕を回されて、びくりと肩が揺れた。ただいまって言いたいのに、喉がくっついて声に出せない。その腕を触りたいのに、わたしの手は鞄を持ったまま動かす事もできない。
「蓮?」
「―っ、……」
「どっか痛い? どうしたの、蓮」
辛うじて頭を横に振る。その振動でポタポタと落ちる雫がスカートの襞を転がる様子を滲んだ視界にぼんやりと映す。
不意に顎を掴まれて上向かされて、泣いてるのなんか見られたくなくて、煌に何て言われるのが怖くて、ギュッと強く目を閉じた。
「……可愛い」
ー溜息混じりの言葉と共に落ちてきた柔らかな感触が、わたしの目尻に重なって音を立てて雫を吸う。
「、ゃ……煌」
「……蓮、可愛い」
背中に腕を回されて、平らな胸に引き寄せて押し付けられた。
「……信じ難いが、お前、誠その魂と番いなのだな」
煌に抱きしめられたままのわたしの横から響くのは、高過ぎず低過ぎず綺麗なアルト。
さっきの女の人に、その木琴のような声は余りにも似合っていてわあたしは益々惨めな気持ちで煌から離れようとしたけれど、その瞬間腕の力は更に強まって、抜け出すことは許されなかった。
「言ったであろう? 名を授け、授けられた我の番いだと。解ったら去ね。これから俺は蓮と遊ぶから忙しい」
聞き慣れない口調の煌の声、前半は全く解らないけれど後半は解った。煌はまだわたしを選んでくれるんだろうか。
息苦しい中、無理矢理顔を上げるとわたしの額にキスを落とす煌の隣、その綺麗な女の人の紅い瞳と視線が絡む。
「お前のような清浄な魂が……本当にコレで良いのか? この性悪で自分本位な男で良いのか?」
コレ、と煌を指で指した。多分、わたしに言ってるんだろうって事はわかるけど、その綺麗な顔を心配そうに歪めてわたしを見ている美人の言っている意味は解らなくて。
「お前っていうな」
「では蓮と」
「呼ぶな。減る」
「貴様阿呆か」
殺伐とした二人の会話からは甘さは一切感じられない。でも二人の間にある気安い雰囲気と同じ種類の空気に、またツキリと胸の奥が軋んだ。
「煌、お願い、……行かないで」
気付くとわたしは煌にしがみついて、そんな事を口走ってた。
「……蓮?」
わたしの肩を緩く掴んだ煌が、少しだけ身体を離して覗き込む。眉を下げて困ったような表情を浮かべて。頬に触れる手がするりと滑る感触に、思わず自分の手を重ねた。
違うのに。煌を困らせたい訳じゃないのに。そんな顔させたい訳じゃないのに。
わたしはわたしの事ばっかりで、こんなの嫌なのに、でも好きになっちゃったから。煌が人じゃなくたって構わない、そんな風に思えちゃうくらい好きになっちゃったから。
らしくない。わたし自身そんな事解ってる。誰かを好きになるって、楽しいだけかと思ってたのに。
「煌を連れて行かないで」
なんて身勝手で身の程知らずなんだろう。
でもお願い、お願いします。煌を、わたしから取らないで。
わたしに向けられた煌の全てが全部嘘だったなんて、そんな悲しい事にしないで。
煌の腕の中に納まったまま、わたしはまるで死刑を待つかのような気持ちで二人の次の言葉を待っていた。