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ガタン、ガタン。
揺られて揺れる。
乗り込んだローカル線。唸るモーター音と薄くなったシートの布、揺れる吊革。車窓からの景色は山間を抜けてやがて開けた。振動で窓が揺れる。
左手には細くて、でもわたしよりずっと大きな骨張った手が重なって、わたしは心地良さに目を閉じてその肩に頭を預けた。そっと重なる重み。ぼやける柔らかな感触に煌の頬が乗ったとわかる。
沈黙が優しくて心地良い。それが嬉しくて、わたしの口元は弧を描く。
「……レン、海だよ」
煌の声に瞼を開けると、抜けるように高く淡い青空を分断する濃い碧が見えた。
「……わぁ」
夏休みに入ってから、また夜中に忍び込んで来た煌に、遠くに行こうと誘われたのは数日前の事。午前中に出掛けて、夕食までに帰ってこれる場所に限られるけれど、わたしは迷わず海に行きたいと答えた。
昨日の夜、足の爪に丁寧に乗せたのは鮮やかなオレンジ。今朝は早起きして手間が掛からない上にゴミも少ないサンドイッチを作って、頑張り過ぎないようにTシャツにショートパンツ。どうせ歩くし海だし、合皮のグラディエーターを合わせて、初めて煌と駅で待ち合わせした。
無人ではないけれどこじんまりした駅舎に降りて、少しベタつく潮風を吸い込んで目を細める。
「海の匂い……」
「陽射し、強いよ」
煌がわたしの頭にストローハットを乗せてくれる。半袖のポロシャツだけど、やっぱり全身真っ黒コーデの煌は、露出した部分の肌が眩しい程白いから、わたしなんかよりずっと気をつけた方が良い気もするけど。
「俺は平気。人間じゃないから」
「……人の頭ん中読まないで」
右肩に下げたトートバッグをするりと取られて、左手を絡め取られる。
「海、行こう?」
ん、と頷いてから煌を見上げると眩しそうに目を細めて海のある方を見てた。そんな横顔を、綺麗だなって思う。煌の向こうに広がる青空はどこまでも高くて、まだまだ高く昇り続ける太陽の光を受けた黒髪が、潮風にさらさらとそよいでいた。目元と唇は、夏の陽射しが似合わない程やっぱり卑猥で。
そんな煌に見惚れながらも、これってデートかな? なんて思ったら急に恥ずかしくなって、繋いだ左手が徐々に汗ばんできた。
「あ、汗」
煌が歩きながら繋いだ手を見下ろして言った。
げっ!やだ……恥ずかしい! ヌルヌル、気持ち悪いだろうな。煌は人間じゃないから、尚更。
慌てて離そうとした左手は、指を絡めて更に強く握られた。勝手に更に手が汗ばむ。
……ひぃぃ! 離して欲しい。せめてもうちょっと、落ち着くまで。
「俺も離さないけど、レンもしっかり握っててね。離れちゃ嫌だから、絶対に離しちゃ駄目」
良い? って覗き込まれて、わたしは頷くのが精一杯で。何でか胸が一杯で。再び歩き出した煌の手を、しっかりと握った。
辿り着いた海は砂浜で、少し湾になった向こう側は岩場が広がっていた。熱い砂から逃げるように、ちょっと浮かれた気分も手伝って跳ねてみる。
「転ぶよ」
「熱いの」
でも楽しい。
聞き慣れないけど確かに知ってる波の音が懐かしく感じる。遠浅なのか砂の色で少しグレーがかった海は、近付いて見ると驚く程透明で、角立った波が陽の光を受けて煌めいてるのが、何だか煌の姿と少し重なって見えた。
爪先に触れた砂が湿ってて、わたしは煌に支えてもらいながらサンダルを脱いで裸足になる。
「楽しいね」
左側に立つ煌を見ると黙って、少し考えるような様子でわたしを見下ろしてた。
「……楽しくない?」
「ん? 楽しい、けどちょっと辛い」
微かに、本当に微妙にだけど、眉間を寄せて言う煌。人間じゃないとか、やっぱり関係無いんじゃん!
「大丈夫? 暑い? わたし飲み物買って来る」
少し先に見える海の家。あそこで休んだ方が良いのかな。繋いだままの左手を抜こうとしたら、引き留めるように強く握られた。
「違うの。生殺し。俺は死なないけど、気分的に」
ナマゴロシ?
「生?……何?」
「だって、レン、可愛いから。舐めたいけど此処で舐めたら怒られるし……」
繋いだ左手をぶらぶら揺らして、煌が拗ねたように唇を尖らせた。
「なっ! なめ……何を? 何が? なめっ、はっ?」
生殺し? 舐めるって何を!
「駄目?」
手をぶらぶら左右に振ったまま、煌は首を傾げる。
可愛い、凄く可愛い……けれど、最近コレわかっててやってんじゃないだろうか。しっかり! あたし。気をしっかり持って!
「駄目だよ!」
「んじゃ、ちょっと噛むのは?」
「噛むのも駄目!」
えー、って怨みがましい視線を送られながら、更に早く手を振られる。
変態! 処構わずじゃない!
「もう知らないっ!」
ブンブンと振られたタイミングで、手を離そうとしたら、ぐいって引かれて再び歩き出す。
「んじゃ我慢。仕方が無いからね、でも離しちゃ駄目。それだけは譲らない」
足に掛かる波は、思った以上に温いから、熱くなってしまった顔を冷やしてはくれなかった。
日陰を見付けてサンドイッチを食べる。食事をする煌を見るのは実は初めてで、簡単なものだけど、わたしが作ったサンドイッチを頬張る煌は、文句なしに可愛い。
「ゴチソウサマデシタ」
「オソマツサマデシタ」
潮風はべたつくけど、やっぱり楽しくて気持ち良い。お腹もいっぱいになって、少しだけ眠くなる。
「レンは、寝たら多分真っ黒になるよ?」
煌の言葉に慌てて目を開けた。
「寝てない」
「なら良いけど」
二人膝をくっつけたまま、煌が両腕を上げて伸びをする。気温も高いし、わたしは既に汗と潮風で髪も肌もべとべとするのに、煌は見てるだけでもさらさら爽やかで、やっぱり人じゃないんだなって妙に納得する。
敷いた小さなレジャーシートに着いた右手の先の方に、細い枝を見付けて腕を伸ばして取る。なんとなく、足元の先の砂に【煌】と書いた。
うん、ホントの名前は知らないけど、煌はやっぱり煌としか表せないと思う。
「コウ……俺の名前の煌?」
「ん、わたしのレンは?」
枝を手渡すと、煌は砂の上でそれを滑らせる。
【蓮】
「レン……蓮。不思議としっくり馴染むなあ。あんなに違和感あったのが不思議なくらい」
声に出すと、胸の奥がじんわりと仄かに熱を持つ。
「良いでしょ?」
「うん。煌も良いでしょ?」
「うん」
嬉しそうに笑った煌が、そのままわたしに唇を重ねる。短い間重なってすぐに離れて、小さく舐められた。
物足りなくて、心細くて、切なくて……。
じっと煌の唇を眺めてたら、もう一回、今度はゆっくり柔らかな感触が続く。
わたしはそっと目を閉じた。
どうしようもないくらい煌が好きなんだって、もう認めるしかなかった。




