異世界の終着点
目が覚めた瞬間、男は何も見えなかった。
暗闇。
目を閉じているのかと思った。
だが、何度まばたきをしても景色は変わらない。
手を伸ばす。
硬い壁。
右も左も、上も下も。
すべてが冷たい壁だった。
狭い。
一畳ほどの空間。
棺桶より少し広い程度。
「……なんだよ、ここ」
声が妙に近い。
反響すらしない。
男は必死に記憶を探った。
仕事帰りだった。
スマホを見ながら歩いていた。
信号。ヘッドライト。
そこから先がない。
事故。
誘拐。
監禁。
いくつも可能性を考えた。
だが時間が経つにつれ、もっと恐ろしいことに気づく。
腹が減らない。
喉も渇かない。
眠くもならない。
最初は安堵した。
けれど、それは徐々に形を変えた。
死ねない。
そう理解した瞬間、男は壁を殴っていた。
「出せ!!」
鈍い音。
「誰かいるんだろ!!」
拳が痛む。
皮が剥ける。
だが空間は何も返さない。
やがて怒鳴ることも減った。
時間の感覚が壊れていく。
何日経った?
何ヶ月?
何年?
分からない。
眠らないから区切りがない。
空腹がないから朝も夜もない。
意識だけが続いていく。
男は過去を思い出し始めた。
小学生のころ、母親に作ってもらったカレー。
湯気。甘い匂い。
高校時代、友人と笑いながら歩いた帰り道。
初めて貰った給料。
終電を逃して見上げた夜空。
そんな記憶ばかりだった。
人生を変えるような瞬間じゃない。
ただ、そこに確かに生きていた証拠みたいな記憶。
暗闇の中で、それだけが少し暖かかった。
男は膝を抱える。
「帰りたいな……」
声は小さい。
もう叫ぶ気力もなかった。
誰にも届かないと知っているから。
その後も、男は思い出を反芻した。
同じ記憶を、何度も。
擦り切れるまで。
やがて思い出すことも減った。
母親の顔が曖昧になる。
友人の名前が消える。
自分の声すら、少しずつ他人のものみたいになる。
最後に残ったのは、不安だけだった。
ここが人生の終着点なのか。
誰にも知られず。
誰にも見つけられず。
永遠に。
暗闇の中で。
男はゆっくり目を閉じた。
閉じても何も変わらなかった。
あなたの世界は明るいですか?




