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総三の役目 5

 十二月二十九日の夜半、紀州熊野浦の九鬼港へ入った翔鳳丸は、翌三十日、兵庫港へ向けて再び出航した。


「旧幕府海軍の軍艦が、五隻います」


(しかも戦闘準備をしている。まさか、我らの入港を悟られたか)


 しかし望遠鏡に映る敵艦は、どうも翔鳳丸を迎撃するようには見えなかった。

 近くには薩摩藩の軍艦、春日丸と平運丸も浮かんでいる。


(海戦が、あったか)


 望遠鏡から目を離した総三は、春日丸に使いを送るように命じた。


「昨日の午後、鹿児島へ帰る春日丸と平運丸を旧幕府海軍が追捕し、砲撃を開始したそうです。いまは薩摩藩士の赤塚さんという方が旧幕臣の榎本和泉守と談判の最中とのこと」


 戻ってきた使いの者が告げた。


(はじまったか)


 海戦が起きたということは、すでに江戸の薩摩藩邸のことが彼らにも伝わっている、ということを意味した。

 でなければ、旧幕府軍と薩摩藩が戦をすることなど、まずあり得ない。

 そう簡単に戦が起きるようであれば、総三らの活動に意味がなかったということになる。


「誰でもよい。兵庫に商人か漁師の知り合いがいる者はいないか。小舟を一隻用意して欲しい」


 総三は、この海戦に巻き込まれるわけにはいかなかった。

 己の命の使いどころは、ここではない。

 何としても西郷さんに会って、次の役目を果たさなければならない。

 総三は翌日の未明、密かに翔鳳丸から商人の船に乗り移ると、ほかの浪士二十人ばかりと共に兵庫港に上陸した。

 ちなみに伊牟田尚平は九鬼港で上陸し、別行動で京都に向かっていた。


 総三が京都の東寺に辿り着いたのは、正月五日の日が暮れてしばらく経った頃のことだった。

 道中、京都から地方へ避難する町人や、戦場へ向かう長州藩と思われる軍兵を見かけた。

 兵庫から京都に辿り着くまでの三日間、総三は宿場町で情報収集に努めた。


 総三たちが行った江戸城二の丸放火や屯所の襲撃の報復として、旧幕府派の藩が薩摩藩邸の焼き討ちを実行した。

 このことを聞いた大坂城の徳川慶喜は、元旦、薩摩藩に対して宣戦を布告。

 一万あまりの旧幕府軍を淀城、伏見奉行所へ進発させ、さらに二条城を占拠しようと北上させた。

 これを食い止めようとした薩摩藩兵と鳥羽街道で衝突し、とうとう戦端が開かれたのである。

 三日の午後五時頃であったという。

 同時刻に伏見奉行所でも砲撃が開始された。

 この日の夜半には、旧幕府軍は伏見から撤退したらしい。

 翌四日、仁和寺宮(にんなじのむや)嘉彰親王(よしあきしんのう)が征討大将軍に任じられると、錦の御旗が新政府軍に翻った。

 これで旧幕府軍と薩長両藩の戦闘は、「官軍」と「賊軍」の戦となったのである。

 鳥羽街道と伏見街道で旧幕府軍を後退させた新政府軍は、五日、淀城を包囲した。

 淀城に入城しようとした旧幕府軍は、藩主不在を口実に淀藩にこれを拒まれ、橋本まで撤退することとなった。

 総三が東寺に到着したのは、この日の夜のことであった。


 東寺は薩摩藩の本営となっており、西郷がいると聞き及んで赴いたのである。


「小島どん、ようやってくれもした」


 多忙であるにも関わらず、満面の笑みで西郷は総三を出迎えた。

 己に会うために時間を割いてくれたのである。


「そのお言葉が聞けただけで、報われた気がします」


 じんわりと視界がぼやけた。

 疲れのせいもあるだろう。

 これまで抑えていた腹の底にある何かが、一気に頭の頂点まで逆上してくる感覚があった。


「こげん、はよう成してくるっとは、感謝してんしきれん」


 西郷は総三の手を握らんばかりである。

 三日の戦闘で、倍近くの兵数を破った薩摩藩と長州藩は、旧幕府軍にいまもなお勝利し続けている。

 時勢はすでに動き始めていた。

 西郷ら新政府軍にとっていい方に、である。

 これも、総三ら浪士たちの江戸においての暗躍があってこそであった。


「京都に着いたばっかい申し訳なかけっど、小島どん。お主にやってもらいたいごったあん」


 西郷はまっすぐに総三を見つめた。

 それは、関東にいつ出兵してもいいように、山科能登之助(やましたのとのすけ)という男が広州で兵を募っている。

 その軍に小銃と弾薬を手配することになっているのだが、運搬を頼みたいということであった。

 そして、そのまま軍に加わって関東出兵の先駆けをしてほしいという。

 その軍は、綾小路(あやのこうじ)俊実(としざね)滋野井公俊(しげのいきみとし)という公卿を担ぐ予定らしかった。


「第二の役目、ですね」


 これまで関東において攘夷活動をしてきた己に、東征軍の先鋒として、新政府軍が攻める手助けをしろということである。


 京都の薩摩藩邸で休息した後、総三が広州坂本に向けて出立したのは、次の日の夜更けであった。



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