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総三の役目 4

「京の都は、まだか」


 横になった総三は、苦し気に呟いた。

 翔鳳丸は一度、伊豆半島の子浦港に入り損傷個所への応急処置を施すと、翌日未明に再び大阪湾に向けて出港した。

 運悪く、嵐に見舞われた。

 暴風雨のなか、総三は船が沈みやしないかと不安になったが、暫くすると、それどころではなくなった。

 己自身の具合が、悪くなったのである。

 胸のあたりにむかむかとした不快が続き、胃の腑を裏返さんばかりの嘔吐に襲われた。

 眠っている間は良かったが、起き上がると、えづきが止まらない。

 腕を抱くようにして横になったまま、寒さと船酔いのために、意識が朦朧とする。

 薩摩藩邸の焼き討ちから、三日が立ったであろうか。

 それすらも、曖昧であった。


「総三さん。もう京では、どんぱちやっているだろうか」


 顔を真っ青にした伊牟田尚平が、横になったまま弱々しく言った。


「どうだろうか。江戸の薩摩藩邸がやられたことは、西郷さんや岩倉さんにも知れた頃だろう」


 総三は、手の甲を眉間に当てながら、船内の天井を見上げて言った。


「西郷さんたちに命じられた第一の目的は、果たせましたな」


 言葉と共に胃の物も吐き出しそうな様子で、伊牟田尚平は言った。


 西郷さんたちに見送られて京都から江戸へ発ったのは、十月に入って間もなくことであった。

 二か月以上前である。

 それ以前も総三は、伊牟田尚平ら勤皇浪士と共に江戸にいたことがある。

 その時は、薩摩藩邸ではなく、土佐邸に匿われていた。

 六月に結ばれた薩土密約により、土佐藩邸から薩摩藩邸へと移ったのである。

 薩土密約とは、大まかな討幕路線を薩摩藩と土佐藩の上層部藩士が確認し合った密約である。

 昨年の第二次長州征伐が失敗に終わると、幕府の求心力は目に見えて衰えていた。

 いまの徳川幕府ではこの国を背負って異国と対峙していくことはできないと、薩摩藩と土佐藩が武力を用いて幕府を倒し、新たに天皇中心の政府を作ろうとしたのである。

 そこで、関東周辺で燻っていた血の気の多い総三ら勤皇浪士の出番がやってきた。

 乾退助が土佐藩邸で何かの役に立つのではないかと匿っていた彼らを、西郷吉之助が引き受けたのである。

 京都の薩摩藩邸にいた総三が、いよいよ江戸に向けて立とうとしていたある日、意外な報が届いた。


  ―大政奉還―


 幕府が政権を天皇に返上したのである。

 十月十四日のことであった。


「徳川はこれで、一大名となったということか。わざわざ徳川を討たなくてもよくなったのか?」


 総三は伊牟田尚平に尋ねた。


「それが徳川慶喜の狙いよ」


 徳川慶喜は先手を打ち、大政奉還により、討幕の名目をなくしたのである。

 さらに徳川慶喜は、今後新たにできるであろう政府の中心に居座ろうという魂胆であった。


「しかし、西郷さんや岩倉さんは、あくまで徳川と戦をすると……」


「ああ。そこで我々の出番よ」


 つまり、徳川との戦の名目を作るきっかけに、勤皇浪士たちを使おうというのである。


 総三は乾退助に匿われるまで、様々な攘夷活動を行ってきていた。

 天保十年(1839)に旗本の家臣の四男として生まれた総三は、幼い頃から国学や兵学を学んだ。

 二十歳になると私塾を開き、多くの青少年から、先生と尊敬されるようになる。

 文久元年(1861)、東北や信州などを遊歴した総三は、様々な人と関わっていくなかで、攘夷の必要性にかられはじめる。

 そして、各地で攘夷を説いて回ったのである。

 この遊歴の時に知り合った同志たちの多くが、薩摩藩邸を拠点とした江戸攪乱活動に参加することとなった。

 総三の父は、もともと下総国相馬郡の商人で、武士の身分を買うことができたほどの大富豪であった。

 そのため総三は、父に借りた資金を使って、天朝組の赤城山挙兵や水戸浪士の天狗党の乱に援助金を出している。

 そのどちらも、攘夷の即時実行を幕府に促す挙兵であった。

 総三自らも、この乱に参加しようとした。

 しかし、どうも、


「違う」


 己が命を懸けるのは赤城山挙兵でも天狗党の乱でもない、と思った。

 実際、どちらもうまくはいかなかった。

 文久三年(1863)十二月の赤城山挙兵においては、仲間の二人が、企ての最中に恐れをなし、奉行所に訴え出たため計画が露見するところとなり失敗。

 元治元年(1864)の天狗党の乱は、挙兵の名目は外国人居留地の襲撃であったが、途中から水戸藩の内乱の様相を呈してきた。

 そのため、総三は早いうちに天狗党を脱退している。

 どちらの攘夷活動も失敗に終わったが、総三は一つの成果を得た。


 相良総三。

 攘夷実行のためには援助を惜しまない、危険な人物。

 藩に属さない草莽の志士と呼ばれた者達の代表格として、その名が全国に知れ渡った。

 幕府からは、厄介な存在として見られることとなったのである。

 その総三を何かに利用できるのではないかと考えたのが、土佐藩士の乾退助であった。

 いずれ役立つだろうと、幕府から追われる総三らを江戸の土佐藩邸に匿っていたところ、薩土密約により、薩摩の手に委ねることとなったのである。


 薩摩藩に匿われて、しばらく経った頃である。

 伊牟田尚平とともに京都に呼び出された総三は、はじめて西郷吉之助という男に会った。


「相良総三です」


菊池源吾(きくちげんご)でごわす」


 総三が名乗ると、相撲取りのように恰幅のいい男が言った。

 もちろん総三は、目の前のこの男が、噂に聞く西郷吉之助だと知っていた。

 訝しんでいると、西郷の隣に座る背の高い痩せぎすの、顎にふわりとした髭を生やした男が、くくくと口先で笑った。

 この場にはこの男のほかに、薩摩藩士が三人いたが、ぽかんと口を開いたまま茫然としていた。


「すみもはん。昔に使うてた変名じゃ。西郷吉之助でごわす」


 大男は改めて名乗ると、からりと笑った。


「こちらこそ、申し訳ございません。本名は、小島四郎といいます」


 総三は頬が熱くなるのを感じた。 

 相良総三という名は、尊王攘夷活動をするうえで使っている変名であった。

 ここしばらくの間は本名を名乗ったことはなく、己を紹介するときは、相良総三と名乗っていたのである。

 聞くところによると、菊池源吾という名は、西郷が安政の大獄の際に身を隠すために使っていた変名だという。

 この名を西郷が使っていたことを知っている者は、薩摩藩でも片手で数えるほどしかいないらしい。

 先ほど笑っていた大久保という男もその一人であった。


「人は何と名乗るかはどうでもよか。何を成すかが重要じゃ」


 西郷はそう言うと、頬を緩めた。


「お主らには、江戸で幕府おひざ元の佐幕派諸藩を挑発していただこごた」


 大久保が、黒い髭をもさもさと動かした。


「徳川家を残しつつ新政府を作っどする者もいっどん、我々薩摩藩は、あくまで討幕で行く。お主ら草莽の志士には、先駆けとして暗躍していただこごた」


「されば、軍備を整えねばなりますまい」


 総三は、先ほどから黙然としている西郷を窺うように言った。


「武器弾薬は、すでに江戸三田の藩邸に蓄えちょいもす。」


 これに答えたのも大久保であった。

 活動の内容に関しては終始無言であった西郷は、別れ際、


「小島どん、お主にしかできんこっじゃ。頼りにしちょいもす」


(ああ、こういう男か)


 総三は得心した。

 相手の欲する言葉を見極め、何食わぬ顔でその一言を言う。


(でかい人だ)


 江戸の薩摩藩邸で、関東擾乱の指揮を執っていた総三の脳裏には、常に西郷のこの言葉があった。



「俺にしかできないことを、してのけたのだな」


 船中で隣に横になっている伊牟田尚平に顔を向けながら、総三は言った。


「我々は導火線に火をつけたのだ。日の本は、これで大きく動くぞ」


 真っ青な顔の伊牟田尚平は、誇らしげであった。


(しかし、己が本当に成したかったことは、これだったのか)


 いつの間にか、船の揺れが小さくなっていた。


「外の空気を吸ってくる」


 立ち上がった総三は、よたよたと這うようにして甲板に上った。

 潮気を帯びた冷たい風が、髪を大きく靡かせた。

 数刻前までの暴風雨が、嘘のように止んでいる。

 黒い空にちりばめられた光の粒が、各々違う明るさで瞬いていた。

 地平線の方角は真っ暗である。

 まるで、己ひとりだけがこの世に取り残されたかのような錯覚が、総三を襲った。



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