総三の役目 2
「身命を賭すは、今にあらず」
江戸薩摩藩邸の糾合所に浪士たちを集めた総三は、一人一人の顔を見回しながら言った。
これからはじまる戦を前にして、浪士たちは真剣な眼差しを己に注いでいる。
しかし総三は、この戦に勝つことではなく、次に起こるであろう大戦に備えるために逃げ延びよ、と言おうとしていた。
二百人のぎらつく男たちを前に、総三は大きく息を吸った。
「只今は戦闘を主眼とすべきときではない。我らは身命を保って京都に引き揚げ、西郷吉之助殿の次の指揮を待ち、第二の役目に就くことを目的とする。脱出するためにのみ戦闘をせよ。くれぐれも身命を大切にし、次の御奉公に役立てられたい」
総三の声が部屋の空間から立ち消える前に、一斉に鬨の声が上がった。
浪士たちの中には、総三が上州、武州、信州、羽州などを遊歴した際に知り合った脱藩浪士たちが半数ほどいた。
残りの半数は、江戸攪乱のために集めた身分もわからぬごろつきたちである。
全部で二百人ばかり。
浪士ひとりひとりに、京都までの逃亡資金を手渡し、残るは数人を残すのみとなった時である。
「談判手切れ!篠崎どんがやられもした!」
総三の指揮のもと、浪士たちが庄内藩屯所への襲撃と江戸城二の丸放火を行ったのは二日前のことであった。
報復として、武力行使もやむを得ぬと、庄内藩、上山藩、鯖江藩、若槻藩の武装した者たちが薩摩藩邸の周囲を取り囲み、浪士たちの引き渡しを要求しに来たのは、未明のことである。
その浪士受け渡しの交渉をしに来た庄内藩の者に、取次に出ていた薩摩藩の篠崎彦十郎がしばらくの話し合いの後、突き殺されたという。
「戦闘準備!」
糾合所を飛び出した総三は、すでに守備の配置についている者たちへ、大声で呼ばわった。
敵か味方か、どちらの銃声が先かわからない。
しかし、その音を合図に次々と頭蓋を震わす発砲音が周囲に満ちはじめた。
総三は近くにいた者に、いままで寝起きしていた長屋への放火を命じると、敵勢の状況を確認しながら走り回った。
薩摩藩邸を囲っている敵の数は、およそ千人。
(西門が手薄)
と総三はみた。
先ほど火をつけた正門前の長屋から、濛々と煙が立ちはじめた。
乱入してくる敵兵が、焔に気圧される。
「西門に集まれ! ここから討って出るぞ!」
総三が叫んだちょうどその時である。
大地を振るわすほどの轟音。
次に鋭い砲弾の風切り音。
(大砲か)
次の瞬間、総三の天地がひっくり返った。
これまで聞いたことがないほどの爆音。
火薬を貯蔵していた練武場に、砲弾が命中したのである。
鉄の味が口中に広がる。
(今しかない)
総三は、地に両手をついて立ち上がると、
「突撃せよ!」
事前に命じていた通り、五人一組となった浪士たちは、西門から一斉に飛び出した。
小銃の弾が飛び交う。
天空には、鳶が一羽。
悠々と飛行して、西門を駆け出る総三たちを睥睨していた。