3話:この世界では、それを『好意』と呼ぶ(レオポルドside)
俺はグランディア王国の第一王子として生まれた。王位継承権はもちろん第一位だ。
幼少期から、言語や歴史、宗教、数学、天文学、音楽、そして政治というあらゆる学問を叩きこまれた。それだけではない。
礼儀作法や騎士道、そして成長とともに剣術、馬術、戦術などの軍事教育も当然のように課され、学園に通ってからも軍事演習に参加する日々。
息をつく暇など、ほとんどなかった。
幸い、俺はそれらをそつなくこなせる能力を持っていた。
しかし、その代償として、他人の感情に配慮する機会はほとんどなかった。自然と、まともに話せる相手も限られていった。
そんな俺に、王妃である母はよく言っていた。
「国民の気持ちを自分事のように考えられる王になりなさい」
――国民の気持ち。
その言葉の意味が、俺にはよくわからなかった。だって自分は自分で他人ではないのだから。
「それは……どんな学問や軍事演習よりも難しいのですが」
思わずそう返した俺に、母はにっこりと微笑みながら言う。
「そうですね……。まずは、学園にきちんと通うことから始めてみては?」
正直、俺は学園にはほとんど顔を出していなかった。
特別措置もあり、試験の成績さえ問題なければ、在籍しているだけで卒業できる状況だったからだ。
――もう通う必要もないだろう……。
そう思っていたのに、母の言葉がなぜか頭に引っかかった。
***
ただ、母が言ったことで外れていたことはこれまでなかった。
それもあって、俺は久々に学園へ足を運ぶ。そこで、俺が形だけの生徒会長だったことを思い出した。
ちなみに副会長はエドワード……のはずだったのだが、いつの間にか彼の婚約者でもあるカトリーナがその役目を担っていた。俺のいない間に、生徒会の行事をすべて取り仕切っていたらしい。
「レオポルド様、やっと学園に顔を出されたのですね」
「すぐに来なくなると思うがな」
「あら、どうしてです?」
「俺がいると、クラスメイトが緊張するようだ」
「まずは笑顔を見せて、皆に親しげに接してみては?」
「無理だ」
ピシャリと言うと、カトリーナは苦笑した。
彼女ははとこにあたり、昔からの親交があって、唯一と言っていいほど気楽に話せる相手だ。
昔、彼女との縁談が持ち上がったものの、カトリーナは弟のエドワードが好きだとはっきり言っていたので、こちらから断って、ついでにエドワードを推した。
おかげで彼女はエドワードとの婚約を無事に取り付けられたというわけだ。
そんなエドワードは学園の寮に入り、学園にどっぷりつかっているので、最近パーティーでしか見かけなくなっていた。
「ところで、エドワードは? 本当はあいつが副会長だろう」
「最近は全然生徒会室にも顔を見せませんわ」
「そうなのか……困ったやつだ」
そう言ったとき、カトリーナの目が潤んだ。
……と思ったが、気づけば彼女は笑顔で、引継ぎをしていく。
俺はその時、カトリーナとエドワードがうまくいっていないことなんて、知りもしなかったのだ。
***
それから俺は学園に通いはしたものの、授業にはほぼ出ず、生徒会室に入り浸るようになった。
やることもなく、ただ窓から中庭を眺める日々。
そんなある日――ふと、目に留まった少女がいた。
ブラウンカラーのストレートヘアー。整った制服の着こなし。やけに姿勢がいいが、その身体はこぶりでまるでシマリスのようだった。
そんな彼女はいつも一人、中庭の椅子に座っていたり、時にはなぜか植え込みの後ろに隠れていたりする。
妙に目を引かれた。
彼女はほぼ毎日、中庭に現れる。
そんな彼女を毎日眺めているうちに、俺は彼女が見ているものに気付いた。
彼女は、他人の恋愛模様を観察していたのだ。
ある日は、男女が話しているのを真剣に見つめ、二人が嬉しそうに握手すれば、当人以上に顔をほころばせる。
またある日は、男女が喧嘩して反対方向へ歩き去るのを見届けると、草むらで号泣していた。
(……変わったやつだな)
自分に何の得もないのに、他人の感情に寄り添い、まるで自分事のように一喜一憂している女性。
しかし俺は、いつの間にか彼女のことを目で追うようになっていた。
***
「彼女、同じクラスのエミー・ローランドよ」
ある日、いつものように彼女を眺めていると、突然背後からカトリーナの声がした。
「エミー・ローランド……?」
こんなに毎日眺めていたのに、名前を初めて知ったのはその時だ。
カトリーナは続ける。
「彼女、おとなしいけれど、噂話や意地悪なことは一切言わないのよ。ローランド男爵家は修道院や孤児院、病院への寄付活動を積極的に行っているし、その影響もあるのかもしれないわね」
「……そうか」
妙に納得がいく。彼女は、きっとそういう人間なのだ。
そう思った瞬間、カトリーナがニィッと口角を上げた。
「なんだ?」
「いえ……。レオポルド様が女性に興味を抱いているのを初めて見たもので」
からかうように笑う彼女に、何か言い返さねばと、口を開く。
「彼女が時折見せる、本当に嬉しそうな顔が可愛いと思っていただけだ。それに、悲しそうな顔をしている時は、抱きしめて慰めてやりたいとも思うだけだ」
きっぱりと言い放った瞬間、カトリーナは目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「な、なにがおかしい……」
「殿下。この世界では、それを『好意』と呼ぶんですよ」