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2話:彼の頭の上の矢印

 ボッチの私にできることは限られていたけれど、それでも、カトリーナ嬢とエドワード王子の仲を何とかしようと試みた。

 学園ではカトリーナ嬢の良い噂を流そうとした。だけど、モブのボッチが発信する情報など誰も気にしない。


 最終的には、パーティー会場に早く行って考えることにした。

 そうしているとリリィ嬢が予想より早くやって来たのだ。

 ふと、彼女の紅茶にお腹が痛くなる程度の軽い毒を仕込むという策を思いついた。

 だが、仮にもエドワード王子はこの国の第三王子。

 大好きなリリィに毒が盛られたと知れば、犯人を見つけて首を飛ばしかねない。


(自分があまりにも無力……!)


 私はガックリとうなだれた。

 無情にもパーティーはスタート。

 ちょうどエドワード王子の姿が見えたので、私は意を決して「ご、ごきげんよう。あの……!」と話しかけようとしたが、その瞬間、リリィ嬢が現れ、見事にはねのけられた。


 パーティーが始まってからも、エドワード王子に近づくたびにリリィ嬢の妨害に遭い、時間だけがどんどん過ぎていく。

 そして、パーティーも佳境に入った頃……。


「カトリーナ・フォン・アルセイン! 貴様の数々の悪行、もはや見過ごすことはできない!」


 会場内に、エドワード王子の怒声が響き渡った。

 華やかなダンスパーティーの最中に始まった突然の糾弾劇にみんなは驚いていたが、私だって「本当に糾弾しちゃった……」と泣きそうになった。


 へっぽこ王子とはいえ、証拠なしにここまで強引なことはしないだろうと、どこかで信じていたのに。

 どうやら、予想を超えたバカだったらしい。


「私は何もしておりませんわ」


 冷静な声が会場に響く。名前を呼ばれた本人――カトリーナ嬢だ。

 背筋をぴんと伸ばし、堂々とした佇まいは一分の隙もない。

 そんな彼女の隣で、エドワード王子の腕にしがみつきながら、リリィ嬢が必死の形相で訴えていた。


「嘘をつかないでください! あなたはずっと私を……いじめていたじゃないですか! 私は学園に入ったばかりの頃、食事のマナーがなっていないって、カトリーナ様に叱られました! 平民の私に貴族の常識がないからって、わざと恥をかかせたんです!」

「それは単に、フォークの使い方が間違っていたので教えて差し上げただけですわ」


(……あぁ、確かにそうだったわね。っていうか、いじめってそのことだったの? 気づかないはずだ)


 だけどリリィは引かない。


「嘘よ! あなたは私をずっと見下していた! それだけじゃない! エドワード王子と私が話すのが許せなくて、最後には階段から突き落としたのよ! ほら、これが証拠よ!」


 リリィ嬢が顔を赤くし、右腕の包帯を見せつけながら涙声で叫んでいた。

 それには、カトリーナ嬢も驚いた顔をして、それから眉を寄せる。


「それは何ですか? 身に覚えがないのですが……」

「昨日、私を階段から突き落としたでしょ!」

 その言葉に、周囲から「まぁ、ひどい!」などの非難の声が上がる。みんなはエドワード王子の態度から、リリィの言い分を真正面から信じているようだ。

 だけど、私は首をかしげた。


(昨日? そもそもその包帯、今日会場に来たときにはしていなかったような……?)


 私は今日、早く来て、リリィに軽い毒を入れようとしたから彼女を見たけど……。

 その時、確かに彼女の腕には包帯なんて巻かれていなかったのだ。

 そんなことを考えている間に、リリィの大きな瞳が潤み始めた。

 彼女の泣き顔には、人の心を揺さぶる力があるらしく、周囲の貴族たちは「なんてひどい!」「婚約者をとられたからって……」とざわめき始める。


「リリィを泣かせるとは、許せんな!」

 エドワードへっぽこ王子……いや、エドワード王子も拳を握りしめ、憤る。


(いやいや、本来なら泣きたいのはカトリーナ嬢の方でしょ……!)


 つい、心の中でツッコミを入れてしまった。

 しかし、カトリーナ嬢を見ても、彼女は平然とした表情を崩さない。

 

 ――そう、思ったのに。


 彼女の頭上にある小さな赤い矢印。

 それはいまだにエドワード王子へ向けられていて……そして、かすかに震えていたのだ。


 ドキッと、私の心臓が小さく跳ねる。

 そして私はまた、自分の手をぎゅうっと握りしめていた。

 しかし、エドワード王子は無慈悲に言い放つ。


「よって、貴様との婚約をここに破棄する!」

「まあ!」

 リリィ嬢が大げさに口元を押さえる。まるで芝居じみた仕草だった。

 一方のカトリーナ嬢はため息をつき、「……それでは、正式な手続きを経てお願いいたしますわ」と、あくまで冷静に返した。

 それでも彼女の頭の上の矢印は、エドワード王子に向いたまま……。


(前世でも、今世でも、人前で大きな声なんて出したことない。……でも、このままじゃ……)


「しょ、少々お待ちください!」


 自分でも驚くほど震えた大きな声が、会場に響き渡った。瞬間、全員の視線が一斉に私へと向く。

 目立ちたくない私が、なぜこんなことを……。そう思うけど、言葉を飲み込むわけにはいかなかった

 私は意を決して、震える手を握り締めながら言葉を続けた。


「り、リリィ様、その包帯を取って怪我を見せていただけませんか? そもそも王族が証拠もなしに公の場で婚約破棄を宣言するのは問題ではないですか……」

 言うなり、リリィ嬢が私を睨みつけた。

 その鬼のような形相に身体が震える。

(か、かなり怖いんですけど……っ!)

 しかし、リリィ嬢はあくまで冷静に声を出した。

「なに言ってるのよ……っていうか、あんた誰?」

「クラスメイトのエミー・ローランドでしょ」

 カトリーナ嬢があっさりと告げる。リリィは首を傾げた。

「……いたかしら?」

(クラスメイトなのに、私の顔も覚えてなかったのね。当然か……)

 間違いのないモブの私を、主役肌のリリィ嬢が見えてなくて当然だろう。


(恥ずかしいし、本当はこの場からすぐに逃げ出したいくらい……。だけど……)


 私は震える声で続けていた。

「と、とにかく、その包帯を取って見せていただけませんか? 怪我が本当にあるなら、婚約破棄の重要な証拠になりますし……」

「な、なにを……」

 リリィは言葉を詰まらせるが――さすが我が国のへっぽこエドワード王子。

 何も考えていないのか、得意げに言い放ってくれた。

「そうだよ! ひどい怪我だって証明してやれ!」

「でも……」

 リリィ嬢はしどろもどろになりながらも、必死に何か言おうとしている。

 その腕に、エドワード王子の手が伸びた。

「やめ──!」

 リリィ嬢が制止する間もなく、包帯がするりと剥がされる。

 そして、そこにあったのは――。

「……何も、ない?」

 露わになったのは、白く滑らかな肌。傷ひとつない、完璧な腕だった。


「やっぱり……」

 私が呟くと同時、

「証拠はない、という証拠だな」

 そんな凛とした声が会場内に響いた。


 一瞬にして空気が凍りついたのがよくわかった。誰かが、震える声で呟く。

「レオポルド様……」


 レオポルド第一王子――それは、エドワード王子の兄で、学年は二つ上の学園の生徒会長だ。

 整った金髪に鋭い碧眼を持つ長身。頭脳明晰で冷静沈着、そして氷の王子と言われている。


 私は昔からこの王子がなんとなく苦手だ。

 生徒会長なのに、ほとんどみんなの前には顔を出さない上、なんだかとても冷たい瞳をしていたから。

 それにこのレオポルド王子に目を付けられると、学園を退学……どころか、人生から退場させられる、なんて言われているのも知っていた。


 そんな人間に関わりたいはずはない。というか目にすることすら一年ほどなかった。

 でも……。


「……へ?」


 私はレオポルド王子の頭上を見て固まってしまった。

 とんでもない非常事態に頭の中は真っ白だ。


 そんな私を気にもせず、レオポルド王子の声が冷たく響く。


「第三王子ともあろう者が、証拠もなく公衆の面前で婚約者を糾弾するとは……見苦しいな」

 静寂の中で、レオポルド王子は静かに歩み寄り、カトリーナ嬢の前で頭を下げた。

「弟が無礼を働いた。すまなかった、カトリーナ嬢」

 会場がざわめく。そんな中、カトリーナ嬢はゆっくりと頷いた。


 一方、リリィ嬢は悔しそうに唇を噛み、くるりと背を向けて走り去っていく。

 そしてなぜか、それをドラマみたいに追いかけるエドワードへっぽこ王子。

(なんで追いかけるかな……)

 なんて突っ込みを入れることすら忘れるほど、私の頭の中は今、非常事態。


 その時、熱い視線を感じて私の視線を少し下げると、レオポルド王子と目が合った。

 その瞬間、なぜか彼の頭の上の矢印がポン、とまた少し大きくなった。


 そう……彼の頭の上の矢印。

 それは真っ赤で、見たことのないほど大きくて……

 そして、それが、私に向かっていたのだ。

 反射的にばっと後ろを振り返っても、そこには誰もいない。


(……え、ちょっと、本当にどういうこと? さっきまた大きくなったし)


 その時、レオポルド様が一歩、こちらに歩いてくる。また一歩、また一歩と近づいてきた。

 私は恐怖なのか、それとも別の感情なのか、ちょっと漏らしそうになりながら彼を見ていた。

 いつの間にか彼が私の前で止まる。

 そして言い放った。


「エミー・ローランド。君に少し話がある」


 その声に会場がざわめきだす。貴族たちが、一斉に戸惑いの表情を浮かべた。

 ただ、間違いなく一番戸惑っているのは私だ。

 かといって第一王子の言葉を断れる国民はいない。


「は、は、はいぃ……」


 私が蚊の鳴くような声で返事をした途端、なぜか彼の頭上の矢印はまた一回り大きくなった。

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