暖炉を買う
揺らめく炎が見たかった。
ネットの通販サイトで一酸化炭素の出ない暖炉があると知って、購入した。安い買い物ではなかったが、思わずポチってしまってよかったと思っている。
アラフィフで独身の男は寂しいのだ。
今までの人生が背中に重たくのしかかり、思わず過去に戻りたくなる。そこへ戻ってもけっして幸福ではないというのに。
他に楽しいことは何もなく、ただ注文した暖炉が届くのを待つことだけが私の楽しみだった。
それを待つ間、私の心は満たされていた。
どうやって届くのだろうと思っていたら、宅配便のお兄さんは軽々とその段ボール箱を抱え、玄関のドアからそれを渡してきた。
小さめの洗濯機よりも少し小さいぐらいの箱だった。
早速開封した。
見た目はあのヨーロッパの家みたいなムーディーなそれではなく、現代的な、ガラスと金属で作られたオブジェみたいな感じだ。
しかしバイオエタノール燃料に火を点けると、本物の炎がそこに産まれ、揺らめく。
テーブルの上に置き、部屋の明かりを落として炎を見つめていると、心が落ち着いていく。
一緒にそれを眺める誰かが、隣に欲しくなった。
愛していた。圭子。
なぜ、別れてしまったのか……。今はわからなかった。
あんなに笑い合い、心が通じ合っていたように思っていたのに、別れる間際はお互いに笑顔も凍りついていた。
寒がりな彼女の手を、私の上着のポケットの中で繋ぎ、暖めた。
ずっと側にいて、守っていくつもりだった。
暖炉の揺らめく火を見ていると、隣に彼女がいるように思えてしまう。
ふと隣を見ると、ソファーの上に、オレンジ色の炎に照らされた彼女の美しい顔が出現しているような気がしてしまう。
しかしそこには誰もいなかった。
ただ暖炉の炎に照らされて、茶色いソファーのファブリック生地が揺らめいているだけだった。
私は、何を期待していたのだろうか。
暖炉を買えば、その揺らめく火の中に、幸せが戻ってくるとでも思っていたのだろうか。
暖炉を前に、スキー場のコテージで、身を寄せ合って愛を語り合ったことがあった。あの空気がここに、戻ってくるとでも……
チャイムの音がした。
「久しぶり」
玄関口に現れた圭子は、幻ではなかった。
顔に年月の皺が刻まれた彼女は、しかしあの日のように、オレンジ色の炎に照らされて、美しく微笑んでいた。