7.弟子入りしました。
翌日、ギルドにたどり着いた私は目的の人物を探してキョロキョロと辺りを見回した。ロビーに姿がなかったため、食堂まで足を運ぶと、優雅に朝食を食べているターゲットを見つける。私は早足に近づくと、爽やかな笑顔を作った。
「おはようございます。ディエゴさん」
「……あれ、ナディアちゃん。おはよう。嬉しいねぇ、ナディアちゃんの方から声をかけてくれるなんて。ナディアちゃんもこれから朝食?」
突然話しかけられ驚いたのか、一瞬きょとんとした表情を浮かべたディエゴさんだったが、直ぐにいつもの調子に戻ると、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いえ、朝食は家で済ませてきたので」
「ん?……なら、どうして食堂に?」
首を傾げるディエゴさんに、私は少し緊張しながら彼の瞳を見つめた。
「ディエゴさんにご相談があって」
「……オレに相談?」
「はい。……今、よろしいですか?」
「いいよ。女の子からの相談ならいくらでも聞いてあげちゃう」
ディエゴさんはうんうんと頷くと、向かい側に座るように誘導してくれた。ありがたく彼の向かいの椅子に腰かける。ディエゴさんは片手にパンを持ちながら、空いている手で頬杖をついた。
「で、どうしたの?」
「昨日の一件で、今のままの実力だと、私はこの世界の魚を制覇する前に海の藻屑になってしまうと気づいたんです。ようやく海のある場所に来て、夢見た魚食生活が送れるところまで来たのに、死んでしまったら元も子もないなと思いまして……」
「う、うん」
18年間我慢し続けて、ようやく海のある国で魚を食べることのできる環境にこれたのだ。魚愛好家として、この世界の魚全種類を食べつくすまでは死ねないのである。
「それで、もっと知識と技術を手に入れて、強くならないといけないと思ったんです。海獣と戦うことも考えたら、今のままでは絶対に勝てないですし。でも、どうやったら強くなれるのかが分からなくて……。ディエゴさん達はどうやって3ヵ月でAランクになれるくらいに強くなったんですか?」
前世とこの世界の漁はあまりにも形式が違いすぎる。どちらも魚との戦いではあるが、知恵と工夫、そして根性で乗り切った前世と違い、この世界は文字通り戦いなのである。あんなモンスターみたいな生き物に勝てる実力を、どうやったら短期間で身に着けられるのか。私はそれが知りたかった。
「俺たちはちょっと色々特殊なんだよね。だからあまり参考になるようなことが言えないんだけど……漁師としての実力を極めたのは弟子入りがきっかけだったよ。新人だった俺たちを指導してくれた師匠がいてね。その人のおかげで俺たちはここまで強くなれたんだ」
なるほど。確かに漁の腕を磨くのなら、弟子入りは一番確実かもしれない。前世も新米漁師だった頃は、ベテランの漁師さん達の船に乗せてもらって色々とコツを教えてもらったものだ。
「いいですね、弟子入り。経験のある方に教えてもらった方が色々とためになりますし。……あの、私にその方を紹介していただくことってできますか?」
「残念ながら、師匠は今ここにはいないんだよ。もう半年以上、とある仕事から帰ってきていないんだ」
「え……」
半年も帰ってきてない?それって……
「師匠はこのギルドのトップと言われるほどの実力者で、オレ達とは比べものにならないくらい強い人なんだ。オレ達は3人でようやく海獣を倒せるけど、師匠は1人で海獣を倒してしまうんだよ。それに、魚の捕獲技術もピカイチでね。漁の依頼の成功率は常に100%だった」
「凄いですね……」
漁に出ても収穫のない日なんて、普通にある。特に技術の発達が乏しいこの世界で、魚を捕獲するのは中々に難しいことであるはずだ。それを毎回完璧にこなすというのは凄いことだと思う。
「ある日、師匠を指名してとある貴族が海獣の捕獲を依頼してきた。それは100年間、誰も捕獲に成功のしたことがない海獣の捕獲の依頼だった」
「100年!?」
1世紀もの間、誰も捕らえることができない海獣?……一体、どんな生き物なんだろう。
「海龍。海獣の中でもトップクラスの強さを誇るという伝説級の生き物だよ。やつが出没してから現在にいたるまで、数々の海の漢たちがやつに挑んできたが、誰もやつに敵うことはなかった」
海龍か。……名前からして強そう。語感からして龍みたいな見た目の生き物なんだろうか。そうだとしたら、100年間誰も倒せなかったのも頷ける気がする。
「流石にオレ達は彼を止めた。そんな危険を犯してまで引き受けるような仕事ではないと思ったからね」
それは皆止めるだろう。100年も達成者がいない仕事。いくら強いといっても、倒せる保証はない。死にに行くようなものだ。
「でも、師匠はオレ達の制止を振り切って海龍狩りに向かってしまった。……後から知ったんだけど、彼は依頼人に借りがあったみたいで、家族を人質に取られていてね。断れなかったみたいだ。俺たちがもっと早く気づけてれば良かったんだけど。その当時は彼がそんな事情を抱えていることも知らなくてね」
ディエゴさんの表情が悔しそうに歪められた。片手に握られていたパンが潰されて、ぽろぽろと破片がおちる。
「……その人のご家族は無事なんですか?」
「うん。幸い、依頼人だった貴族が悪事を働いていたことが明るみになって、もうその貴族はいなくなったから。家族は俺たちの方で保護して、今は元気に暮らしているよ」
ふっと緩められたディエゴさんの表情につられて、私もほうっと肩の力が抜ける。その方の家族が無事で良かったと素直に思った。
「そうですか。では後はその方が生きて戻ってくれればですね」
「うん」
「探しには、いかないんですか?」
「行きたいのはやまやまなんだけどね。オレはまだしも、オスカル達を危険に巻き込むわけにはいかないから。それに、そんなことしたら師匠に怒られそうだしね」
ディエゴさんが困り顔で肩をすくめる。どうやらのっぴきならない事情がありそうだ。
「それに、あの人が死ぬイメージが湧かないんだよ。なんか忘れたころにひょっこり顔をだしてきそうな気がするんだ。だから、オレはあの人を信じて待つって決めてる」
遠くを見つめながらそう語るディエゴさん。その瞳には確固たる信念が宿っていた。
「……て、ごめん。ついつい話が長くなっちゃったね。えーと、強くなるために誰かに弟子入りがしたいって話だっけ?……うーん、どうしよう。他に心当たりがないわけじゃないんだけど、ちょっとナディアちゃんを任せるには不安があるんだよなぁ……」
「不安ですか?」
思わず聞き返すと、ディエゴさんは言葉を探すように視線を揺らしながら言った。
「あー、うん。ちょっとデリカシーに欠けるというか。男相手ならまだしも、女性相手だとちょっと色々と問題があるかなぁっていう」
「別に女性扱いされなくても、私は平気ですよ?一人前の漁師になるためなら、血反吐はこうが、血尿だそうが試練についていくくらいの覚悟はあります。寧ろ、女性だからって手を抜かれるのは嫌です」
前世も男社会の中で女漁師として戦いながら生きていた。女扱いされないのはもはや当たり前だし、女だからと見下されることもあった。酒が入ると平気でゲスイ下ネタを言ってくるデリカシーのない人もいた。だが、それを笑い飛ばせるくらいには私のメンタルは強靭であった。女漁師の道を極めるためなら、どんな過酷なことだって乗り越えるために強くなれた。
「何この子。逞しすぎてかっこいい……って、駄目駄目!その覚悟は素晴らしいけど、自分の身体は大切にしないと。(やっぱ、駄目だわ。あいつに預けたら可憐なナディアちゃんが、逞しくなりすぎて可憐さを失いそう!)」
やけにうろたえるディエゴさんを不思議に思い首を傾げていると、背後から声がかかった。
「何を話しているんだ?」
「っ!ネロ!」「ネロさん!」
聞き覚えのある声に後ろを振り向くと、そこにはネロさんとオスカルさんがいた。2人はこちらに向かって歩いてくると、私たちのいるテーブルの側に立ち止まった。
「朝から随分と賑やかだな。それにしてもディエゴ、お前、また彼女に迷惑をかけているのか?むやみやたらに女性にちょっかいを出すなとあれほど……!」
眉間に皺を寄せ説教を始めようとするネロさんに、ディエゴさんが慌てたように手を振る。
「違う!違う!なんでオレが悪者になってんの!?オレはただナディアちゃんの相談にのっていただけなんだけど!?」
「そうですよ、オスカルさん!ディエゴさんには私から話かけたんです。知りたいことがあって、教えてもらっていたんです」
流石にディエゴさんが誤解されるのは不味いので、私からも急いで訂正を入れた。私達の言葉に納得したのか、ネロさんは怒りの形相を解く。それにディエゴさんはホッとしたように息をついた。
「相談?何か困りごとか?」
ネロさんの隣で話を聞いていたオスカルさんが片眉を上げてそう聞いてきた。せっかくなら2人にも聞いてみようと、私は先ほどまでの話を2人に説明する。
「私、もっと理想の魚食生活を送るために強くなりたくて、どうやったら強くなれるのかディエゴさんにお聞きしたんです。それで、ディエゴさんから師匠がいたという話を聞いたので、私もどなたかに弟子入りをしようと思って、師匠となる方を紹介してもらえないか相談してたんです」
「弟子入りか……。まぁ、確かにその方が安全かつ効率的だな」
話を聞いたオスカルさんは、なるほどというように頷いた。そして、少し逡巡した後、難しそうな表情を浮かべて言う。
「だが、殆どのAランク以上のギルドが今は出払っていていないんだよな。生憎、あいつか俺たちしかいない」
どうやらこの時期にしか取れない高級魚がいるらしく、多くのAランク保持者がそれを捕りに遠い海へ出掛けている人が多いらしい。1ヶ月近く帰って来ない人が殆どだそうだ。
その他の上位ランク保持者も、高難易度の依頼を引き受けて、遠くへ出張に行っているらしく、会うのが難しいみたいだ。
「でも、あいつにナディアちゃんを任せるのは色々と問題があるだろ?それで悩んでたんだよ」
「あー、確かにな」
「ふむ」
ディエゴさんの言葉に2人が苦虫を噛み潰したような顔をする。……あいつと呼ばれるその人はそんなにヤバい人なのだろうか。
しばらく続いた沈黙を破ったのはオスカルさんだった。クリスタルのような綺麗な瞳が私に向けられた。
「……なら、俺たちのところで学ぶか?」
「……いいんですか?」
私としては昨日出会ったとはいえ、3人のことは信頼できる人だろうと思っているし、知らない人よりも知っている人に弟子入りできた方がありがたい。
ただ、オスカルさんからそう言って貰えると思っていなかった私は、思わず本当に弟子入りして大丈夫なのか不安になって聞き返してしまった。何となくオスカルさんは守備が固そうというか、あまり人と関わりを持ちたがらない人だと思っていたので、その提案が意外だったのだ。
「ああ。ちょうど1人、弟子を受け入れる予定だったからな。もう1人増えたところで、変わらない」
「えっ?!何それ。オレ聞いてないんだけど」
「私もだ」
ぎょっとしたようにオスカルさんを見るディエゴさんとネロさん。どうやら、オスカルさんの独断で既に弟子を1人受け持っていたらしい。
「今言ったからな」
「……はぁ、お前はいつも勝手に」
「……まぁ、オスカルが決めたことなら何も文句は言わないけど」
見た感じ、オスカルさんがこの3人の中でリーダーなのだろうか。オスカルさんの勝手な決定にやれやれといった反応をする2人だが、オスカルさんへの信頼が厚いのか満更でもない表情を浮かべていた。
「俺たちは少し特殊な目的のもとに行動している。そのため、他のギルド員に弟子入りするより、不自由が生じるかもしれないが問題ないか?」
「大丈夫です。弟子入りさせていただけるだけでありがたいので。ぜひよろしくお願いします!」
せっかくのチャンスを逃す方がもったいない。勢いよく私が頷くと、オスカルさんは満足気に頷いた。
「よし、なら決まりだな。ようこそダドランチャートへ」
「これからよろしくね、ナディアちゃん。あんなことや、こんなことまでお兄さんが手取り足取り教えてあげる……あ、痛っ!」
ゴツンという音と共にディエゴさんが頭を抑える。どうやらネロさんに殴られたらしい。うずくまったディエゴさんが、涙目で隣にいたネロさんを見上げた。
「こちらこそよろしく頼む」
恨みがましいディエゴさんの視線を気に留めることもなく、涼しい顔で私に手を差し出したネロさん。私がその手を取ると、しっかりと手を握り上下に振った。
こうして私はダドランチャートに弟子入りを果たしたのであった。