10.乙女ゲー展開は求めておりません。
「これがヴィシュートを捕獲するための道具だ」
そういってオスカルさんが取り出したのは先端がかぎ針のようになっている細長い棒状の道具。形状的にこれに魚を引っ掻けるということだろうか。
「このかぎ針の部分にヴィシュートの身体を引っ掻けて獲る。このかぎ針の先端をヴィシュートの脳天に突き刺して、そのまま持ち上げるんだ」
「なかなか高度ですね……」
ただ身体を引っ搔けるんじゃなくて、脳天に突き刺すのか。水中にいる魚相手にそれは結構難しそうだ。
「ヴィシュートは危険を感じると身体の粘液を体表に出して身を守ろうとする。即死させないとどんどんヌルヌルになって捕らえるのが難しくなっちゃうから気を付けてね」
かぎ針を手に取ったディエゴさんはウィンクをしながらそう言った。
どうやらヴィシュートという魚は、漁をすると甲板の床がヌルヌルしすぎて歩けないくらい粘液を出す魚らしい。ヌルヌル被害を最大限に防ぐためには、即死させることが一番のようだ。
二人の講義を聞いていたところで、甲板の倉庫から何かを引きずって来たネロさんが私達のもとまでやってくる。ずっしりとした袋に何が入っているのか聞いてみると、これから撒くヴィシュート用の餌だという。
「見てみるか?」
ネロさんの言葉に甘えて、私は袋の中をのぞこうとして……悲鳴をあげた。
「ひぃっ!」
「……うわぁ。ここまで集合体になっていると、鳥肌立ちますね」
私の後に続いて袋の中を見たレナートさんもその中の光景に顔をこわばらせる。
袋の中でもぞもぞと蠢く餌。それはミミズのような糸状の虫だった。
「ヴィシュートの大好物なんだ。繁殖も簡単だから、漁では重宝される」
「ちょっと、ネロ。女の子にそんなもの見せるんじゃないよ。そういうところがモテないんだよ、お前は」
「す、すまない……」
「いえ、見たいと言ったのは私なので……」
ディエゴさんにたしなめられてネロさんが頭をかきながら謝ってくる。私は慌てて首を横に振った。
いやぁ、油断してた。しばらく漁から離れていたせいで生きた幼虫を見る機会がなかったので、耐性が弱まっていた。漁師やってた頃は耐性がついていたとはいえ、こういうぐにゃぐゃの生き物ってあまり得意じゃないんだよね。なんか背筋がぞっとする。
単体ならまだしも、袋の中で大量に蠢いている姿は流石に心臓に悪かった。
「よし、準備ができたことだし早速漁をするぞ。ネロ、それをばらまいてくれ」
「了解っ!」
ネロさんが海に向かって袋を振り上げると、海一面に赤いものが舞い落ちた。海に漂うそれは波に揺られながら次第に広がっていく。
しばらくしたところで、海のそこから何やら黒い影が這い上がってきた。一つではない。複数の影だ。
バチャバチャバチャッ!
一斉に魚が水面に顔を出す。必死な顔で餌に食らいつく魚たちの群れはある意味地獄絵図だった。
「その黒光りした細長い魚がヴィシュートだ」
オスカルさんの言葉に頷くと、私とレナートさんはヴィシュートめがけてかぎ針を振りかざした。
鰻に近い姿をしたその魚。ただ鰻よりはるかに身体が長いし、身体も大きいため一つ一つの動きが非常に激しい。
脳天めがけてかぎ針を刺そうとするが、するりとしなやかな身体で巧みに逃げられてしまう。隣にいたレナートさんの様子を横目で確認したが、彼も苦戦しているようだ。何度もかぎ針を振りかざしているが、一向に捕まる気配はない。
「む、難しい……」
逃げられれば逃げられるほど、海面に彼らの出した粘液が浮いているのか滑ってしまって身体に刺さらない。やみくもにやっても事態は悪化しそうだ。
「はははっ!最初はそんなもんだよ。これにはちょっとしたコツがいるんだ」
私のそばにきたディエゴさんが、お手本を見せながら捕り方のコツを教えてくれる。
「最初に目標となる餌を定めて置くんだ。その餌の上にかぎ針を固定しておいて、ヴィシュートがその餌めがけて顔をだした瞬間にっ――こうやって頭を刺す」
「なるほど……」
ディエゴさんの持つかぎ針には、しっかりとヴィシュートの頭が刺さっていた。ディエゴさんはかぎ針にささったヴィシュートの身体をくるくると器用にかぎ針に巻きつけると、さっと船の上に引き上げる。
かぎ針をヴィシュートから引き抜くと、ネロさんの元に転がした。ネロさんは転がされたヴィシュートを受け取ると、手慣れたように血抜きを始める。どうやら、このヴィシュートは血に毒があるらしく、釣り上げたら直ぐに血抜きをしないと身が食べられなくなってしまうらしい。
「ざっとこんな感じ。ナディアちゃんもやってごらん」
「はい!」
気を取り直して私もかぎ針を持ち直し、海面へと向ける。こんどは海に漂う餌の上に固定してヴィシュートが顔を出すのを待った。
ゆっくりと浮き上がってくるヴィシュートの影。すぐに振り上げたいのをグッとこらえ、私は息をのみ、その影を見つめる。そして、ヴィシュートの口が海面へと出た瞬間、持っていたかぎ針をヴィシュートの頭めがけて振り下ろした。
「と、捕れた!」
ようやく捕らえられた感触に、私の心は嬉々として踊る。ヴィシュートがかぎ針から抜け落ちないように気をつけながら、くるくるとヴィシュートを巻き取った私はとなりにいるディエゴさんを見上げた。
「捕れました!ディエゴさん!」
「うん。上手だったね。おめでとう」
にっこりと笑いながら拍手を送ってくれるディエゴさん。そんな彼に笑みを返しながら、引き上げたヴィシュートをネロさんに渡そうと一歩を踏み出した私は、床に落ちていたヴィシュートの粘膜に足をとられつるりと足を滑らせた。
―あ、やばい転ぶ。
やってくるであろう痛みを想像して目をぎゅっと閉じた私であったが、襲ってくるはずの痛みは一向にやってこない。それどころか、腰のあたりに温もりを感じた。
「おっと……気を付けて。今は床が滑るから」
「あ、ありがとうございます」
至近距離にあったディエゴさんの顔に思わず視線を下にそらしながらも、耐性を立て直してディエゴさんから身体を離す。離れてもなお残るディエゴさんの温もりに心臓がドクドクと音を立てた。
(思ったより筋肉あったなディエゴさん。細身だけど力強かった……)
前世といい今世といい、若い男性とはあまり縁がなかった私。漁師のおっさん達の裸は見慣れているし(近くに女性がいるのに平気で上裸になる)、コミュニケーション事態は男性だろうと関係なくとれるのだが、こういう接近には免疫がなかった。
助けてもらっただけだし、照れるのもおかしいから表面上は平然を装っているが、ひょうひょうとしたディエゴさんの少し焦ったような表情と、男性らしい逞しい体つきに不意打ちとはいえ、少しドキッとしてしまった。
(いけない、いけない。今は漁に集中しないと!)
今度は滑らないように足元に細心の注意を払いながら、ネロさんの元に行きヴィシュートを渡す。せっかくなので、ネロさんに血抜きの方法を教えてもらうことにした。
「まずは首を半分切り落として、神経が見える状態にする」
ネロさんはそう説明しながら、ガッと勢いよくヴィシュートの首に刃を立てる。するとヴィシュートの首が半分だけ繋がっている状態になる。
「そして、このピックを使って神経を引き抜く」
首筋の白い部分にピックを当てると、ネロさんは器用に白い糸を引き抜いた。結構太い神経なので、引き抜くのに力が要りそうだなと思いながらその様子を眺める。すすすっと気持ちよく抜けたそれは、結構な長さがあった。
「あとはこうやって頭が下になるように吊るして、血が落ちるのを待つだけだ」
なるほど。水にさらして血を抜いた方がいいとは思うけど、船上じゃ水が手に入らないし、こうするしかないんだろうな。
血抜き事態は前世でも沢山したし、そこまで工程も変わらないから問題なさそうだ。
私は早速、ヴィシュートの首にナイフを当てようとする。が……
つるっ
つるんっ
つるるるるんっ
す、滑る……
ここまでヌルヌルの魚はさばいたことがない。手が滑ってヴィシュートを支えることが出来なかった。
「ちい……て……な」
ネロさんがボソっと何かを呟いた。聞き取れなかったので、視線を上げてネロさんを見る。すると彼はハッとしたように私を見ると苦笑いを浮かべた。
「ああ、すまない。ナディア嬢の手の大きさだとこれを抑えるのは難しいかもしれないな」
ネロさんにそう言われ、私は自分の手を見る。確かに今世の私の身体は華奢で細い。手も前世と比べてかなり小さかった。
鰻くらいの太さならまだこの手でも胴体を握ることができたのだろうが、いかんせんこのヴィシュートは太い。私の手では上から胴体を抑えることしかできないのは痛手だった。
「私が後ろから抑えていよう。そうすれば首に切れ込みが入れられるはずだ」
ネロさんは立ち上がると、私の背後に回った。そして、私の背中側から手を伸ばすようにしてヴィシュートの頭と胴体を抑えてくれる。
(ち、近いっ!)
直接身体が当たっているわけではないが、わずかに熱気を感じるくらいにはネロさんの身体が近くにある。私の身体に少し緊張が走った。
「これなら上手く切れるはずだ」
ひえっ!声がいい!そんな耳元で囁かれたら腰抜けそう……!
吹っ飛びそうになる思考を何とか抑えながら、目の前のヴィシュートに集中する。
首のところにナイフの刃をそっと当てると、それを断ち切るように刃をギュと押し引いた。すると綺麗に切れ込みが入り、首が半分付いている状態になった。
「ふぅ…できた……」
「ふふ、よくやった。完璧だ」
いやぁあ!だから耳元で喋らないでぇ!その綺麗なバリトンボイスはちょっと刺激が強すぎるから!
「そのままピックで、この神経をくり抜いてみてくれ」
声の良さに震えながらも、私はナイフからピックに持ち変えると、ヴィシュートの神経にピックを刺した。そしてそれを引っ張り出すようにぐいぐいと引いていく。何回かそれを繰り返したところでヴィシュートの神経がスポンと抜けた。
「よし、それで大丈夫だ。中々上手かったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
ネロさんはさっとヴィシュートを私から取り上げると、甲板に吊る下げてくれた。
ネロさんとの距離が離れたことで、私は一気に身体の力が抜ける。……私、こんなに免疫なかったっけ?……なんかどっと疲れたな。
「面白いことしてるね」
「うわっ!」
俯いていた私を、ディエゴさんが楽しそうに覗き込んできた。ぬっと現れたディエゴさんの顔面に私は驚いて仰反る。
「ふふふ、ナディアちゃんって反応が素直で面白いよね。見ていて楽しいよ」
「……乙女の純情弄ばないでください!」
く、乙女ゲーの主人公か私は!クールに流せない自分が恥ずかしい!
「ごめんごめん。……はい、手出して」
くつくつと喉を鳴らしていたディエゴは、片手にタオルを持ちながらそう言った。意味が分からず首を私が傾げると、ディエゴさんは私の手を指さして言う。
「女の子がいつまでも血濡れた手でいるのはマズイでしょ。それに今の君の手、ちょっと扇情的で目の毒だし」
……。ああ、なるほど。先程までヴィシュートに触れていた私の手は確かにヴィシュートの血で汚れている。扇情的というのは、おそらくヴィシュートの粘液で指先がテラテラと光輝いてるからだろう。……想像力豊かだな、この人。
私が言われた通り手を出すと、ディエゴさんは丁寧に手を拭ってくれた。私がお礼を言うとディエゴさんはにっこり笑った。
「どういたしまして」
チュ
「……っ?!」
ディエゴさんは拭うために掴んでいた私の手を自分の方に引き寄せると、手の甲に自分の唇を押し当てた。突然のことに私はびくりと肩を揺らす。そんな私を見てディエゴさんはふっと笑みを浮かべた。
ゴンッ
「痛っ!」
鈍い音ともにディエゴさんは頭を抑えて、その場に蹲る。ディエゴさんの後ろには額に青筋を浮かべたオスカルさんの姿があった。
「油断も隙もないな、お前は!」
「…… 完全に君からは死角だったはずなのに。君の視界は一体どうなってるのか不思議だよ、オスカル」
オスカルさんは無言でディエゴさんからタオルを奪い取ると、私のところに来てディエゴさんがキスをした方の手を取る。そして、ぐいぐいと少し強めの力でキスされた部分を拭った。
「あ、何するのさ!」
「消毒!……すまないな、ディエゴのやつが。今後このようなことがあったら、やつをぶん殴っていいから。それが無理なら悲鳴を上げて、助けを呼んでくれ」
「あ、ありがとうございます……」
ディエゴさんも本当に懲りないな。ロネマ人はスキンシップが激しいと聞いたことがあるから、本人からしたら大したことないのかもしれないけど。こういうの慣れてない私はどうしてもびっくりしてしまう。まぁ、ディエゴさんの場合は自然すぎて嫌らしくないから、不快感はないんだけどね。
「……って、あれ!?もしかして、もう捕り終わっちゃいました!?」
ふと視界の端に積まれたヴィシュートを見て、私は驚きの声をあげた。
「まぁ、今回捕獲するのは5匹だけだからな」
オスカルさんによると、ヴィシュートは漁獲量が減っている魚のため、必要最低限の数しか捕獲しないようにギルドで制限が出ているらしい。そのため、依頼を受けている数しか捕獲しないようだ。
「意外とあっさり捕獲が終わりましたね。もっと苦戦するものかと思ってました」
「まぁ、今回は大量の餌をばらまくことで何とかヴィシュートをかき集めたからな。それでもあれだけの数しか集まらなかったし、あまり大きな個体もいない。殆どは稚魚ばかりだった」
どうやら、今日捕ったヴィシュートは成魚になって間もないものばかりらしい。本来ならこの倍の大きさのヴィシュートが市場で出す通常サイズだという。
ヴィシュートの他に白い小魚が沢山いるなと思っていたが、どうやらあればヴィシュートの稚魚のようだ。あんな小さい魚がこんなに大きくなるのだから、魚って凄い……。