旅立ち。
「本当に、行くのかい?」
「ええ、兄様ごめんなさい。わたくし……」
「まあね。あんなことがあった後だ。すぐにまた結婚って気持ちになれないのはわかるけど」
ユリアス兄様は、それでもそっとわたくしの手を握ってくれて。
「僕はいつまでも待ってるよ。と、言いたいところだけど、流石に周囲がうるさくてね。ダメそうだ」
「ええ、兄様は素敵ですもの。きっとお似合いの奥様に巡り会えますわ」
「そうだね。君に似た人を探すかな」
「もう、ダメですよ? そんなこと言ったら」
「ふふ。それでもね、もし、君が帰ってきた時に僕にまだ相手が居なかったら、その時はもう一度最初からプロポーズしてもいいかい?」
「もう、いい人がいたらちゃんとその人と幸せになってくださいね。わたくしは兄様が幸せになってくれることを祈ってるんですから」
「そっか。やっぱり僕は君にとって兄でしかないのかな」
「ええ、大好きな兄様。わたくしにとって本当に大事な家族だと思っていますから」
振られちゃったな。そう言い、頭を掻いて微笑するユリアス兄様。
ごめんなさい。兄様。
だけど、わたくし、やっぱりこのまま誰かを愛することなんかできなくて。
カッサンドラ様に勧められ、聖女の職に就いたわたくし。
帝国内の各地にある聖女宮を訪問してまわることになった。
もちろん、その旅の間には聖女としての技量も学ぶ予定。
わたくしがちゃんと力をコントロールできていれば、もしかしたらあんなことにはならなかったかもしれないから。
♢ ♢ ♢
クレインに対する糾弾の後、彼の心は暴走し闇に呑まれた。
体中から漆黒の闇を放出し、魔人になりかけたクレイン。
危険な状態になったところをお爺さまの護衛によって取り押さえられ、そのまま命を落としたのだった。
わたくしが部屋を出た後に騒ぎが起き、驚いて戻ってみるともう事態は収束していて。
お爺さまやユリアス兄様にはお怪我はなかったし、誰にも被害は出なかったけれど、それでも。
わたくしは、彼のそんな兆候を見たのではなかったか。
魔に侵され闇に呑まれ、体からマナではなしに闇を放出するところを。
わたくしに、もっと知識があれば。
わたくしに、もっと力があれば。
もしかしたら彼のそんな最期だけは防げたのかもしれなかったのに。
そう思うとやるせなくて。
あんなことをした人だったけど。
彼の死までは望んでいなかった。
やってしまった罪は償ってほしい、そう思っていたけどそれでも。
甘いと言われるかもだけど、それでも。
やっぱりこんな最期は悲しくて。
こんな気持ちのまま、はい次の人、だなんて切り替えられなかった。
だから、ごめんなさい兄様。
わたくしはちゃんと一人前の聖女になれるよう、頑張ってみます。
だから——
ロクサンシームはオールベル先輩が次の王として即位した。
お爺さまは最初、国ごと潰してしまうおつもりだったらしいけど、それだけはお願いして思いとどまってもらった。
あの時兄様が少し様子がおかしかったのも、そんなお爺さまの意向をご存じでいらしたから?
わたくしにはそこまで話せない、ってそう思ってくださったのかな。
リリスは未婚のまま子を産む決意をしたらしい。
王族の血を引いているとはいえ罪人の子として生まれてきてしまうその子。
「そんなものどっちだっていいわ。どうせ私は貴族じゃないもの。貴族のしがらみからは離れた所でこの子を産み育てるから」
と、リリス。
クレインとリリスが浮気したと知った時はショックだったけど、そのおかげで彼の本性がわかったのだからそれだけは良かったかもしれない。
あんな男に引っかかったこの子もある意味かわいそうかもしれない、そんなふうにも思ったけど。
「馬鹿にしないでよね? わたくしは同情される謂れはないわよ? お姉様への意趣返しでクレイン様を奪ったのは事実ですもの。愛があったかどうかはわからないけど、この子はちゃんと一人ででも産んでみせるわ!」
そんなふうに言う彼女はある意味たくましく。
見習わなきゃいけないな。そんなふうにも思った。
「じゃぁ兄様。ここまで見送ってくださってありがとう。わたくしはこれで行きますね」
旅用の馬車隊を待たせてるからとそう兄様に挨拶して。
「うん、君ならできる。きっとりっぱな聖女になれるよ」
そう優しくわたくしの頭を撫でてくれた兄様。
嬉しくて。
ちょっとだけ涙が滲んだ。
空が、真っ青に輝いていたから。それがとても眩しくて。




