ペンギンカフェ
ペンギンを見ていた。
ぷかぷかと水面を漂い、時に水中に潜り、フィギュアスケートのように滑って、やがてふわりと浮かんでいく。
ミニプールほども広い水槽は清掃が行き届き、水は澄み、微妙な青い電気の光を通す。ヒーリング音楽は環境音のように耳の周りを流れ、ガラス一枚を隔てて、何十もの黒と白のマゼランペンギンが、あるものは浮かび、あるものは泳いでいる。
ペンギンは頭も背中も、翼のような鰭のような手も、くちばしも黒い。ただ首周りから目にかけて白い線が浮かんでいて、胴の中央にもラインが走っている。お腹は真っ白。
水槽を見上げてペンギンを見つめることが多いので、その白の印象が濃いが、光によって出来た水のような波紋を映すそれは、綺麗だ。
ペンギンは岩山を模した陸上にいる時は間の抜けたように見え、水面をぷかぷかとゆったりと漂っているのは可愛らしく、そして水中を泳ぐ姿は美しい。
ペンギンは放たれた矢のように、前へ進みながら潜行し、一定の深さまで至ると、プールの床に沿ってすーっと直線的に滑るように泳ぐ。
水面でゆったりとしているペンギンが多い中、時折、思い出したかのように、滑り始めるペンギンは、その希少さも手伝って、選ばれた者がカーペットを行くような、そんな優雅さを思わせた。
そして、彼らペンギンをその水槽の前で、二時間、三時間、四時間、日もとっくに落ちて、ビルの灯かりが輝きだしてとうに経つまで、ぼうっとし続けている、そんな自分は選ばれない者だろう。実際に、僕はパートナーとしてあり続けることを、真樹に選ばれなかったのだから。
浅草を観光して、浮かれる中国人をはじめとした外国人をよそに、ただ弾まない会話をしていた二人。あの時の、ぎこちなく照れてしまうような初々しい頃のそれとは違い、飽きてしまったような、疲れてしまったような、そんな空気の中に僕らはいた。
おみくじで中吉だった真樹はそれをなんとなく報告して、それからスマホでSNSにアップして、凶をひいた僕をなぐさめるわけでもなく、そのままスマホに目を戻していた。
カービィカフェで記念写真を撮って、それからちょっとだけ待って。丸型のキャラクターを模したプレート一杯のピザを僕が、お昼寝オムライスだっけな、ふわふわオム卵を布団に見立ててその中でケチャップライスの丸っこい別のキャラが眠っている、そんなんを真樹が食べて。それから大げんかをした。最初は声がうるさいよって言って、それからちょっと迷惑だから外に出ようと言って、なのに彼女はどんどんと爆発するように不満を口にして、僕もカッとなって。周りの空気がすっと引いて、怒りというよりも冷たくなったのを感じつつ、二十分。ファンシーな食いしん坊らしい、可愛らしい女の子が好きそうなキャラクターをモチーフに、オシャレとカワイイを詰め込んだカフェ。ウッディな内装にお洒落な服装の店員にお客さんたち。それだけに涙の混じる修羅場が、場違いに苦しかった。
一匹のペンギンと目が合った。一匹一匹それぞれのペンギンには特徴があるようで、エンタメ的な展示でもあった餌やりの時間には、飼育員は一匹一匹見分けて偏りが無いように餌をやっていた。しかし、自分は数時間見つめていてもそのような個性はわからない。いや、見つめていたのか。ただ、ぼうっとしていたんだ。
とにかくそんな見分けのつかない一匹のペンギンがこっちを見つめているような気がして、思わず顔をうつむけると、ペンギンはすっと水中に沈むように潜り、ぐぐっとこちらに突撃するように近づき、通り過ぎた。
からかわれているようで、励まされているような気持になる。ペンギンの方は無数にやって来る水族館の人間の群れから、僕という一人を見分けることが出来るのか。それは分からないが、なんとなく、自分に向けて泳いでくれた気がした。しただけだけど。
真樹と別れた理由、そんなのをペンギンの前でずっと探していた。本当はもっと前から探さないといけなくて、なんとか変わらなきゃいけなかったのかもしれない。
答えなんて月並みで、自分は真樹のことを気遣って大切にしているつもりで、真樹に映る自分の姿ばかり気にしていたんじゃないかな。とか。他に恥ずかしくて人に言えない理由も思いついたりもした。
ペンギンの水槽の前には、ペンギンカフェという喫茶店のような軽食屋がある。ペンギンの形を模した氷の入ったオシャレなドリンクがあって、それを注文しようと思っていたが、前にいるカップルがそれを頼んで、なにか気恥ずかしく、止めた。
代わりにペンギンをかたどったおにぎりを購入した。ペンギンの姿に切られた海苔のついた焼きおにぎりだ。おにぎりは白米の方がペンギンらしいと思うのだが、そうはしないところがカフェ流のお洒落なのだろう。
そんな気休めのおにぎりを食べながら、セットのコーンスープを飲みながら、ペンギンを見つめ続ける。食べ終わって、空になった後、どんな味だったか思い出せないくらいに、ぼうっとただ食べていたことに気づいたりした。
結局のところ、真樹とはどうやっても続かなかったのだろう。ただ一人、けんかの後、どうにかしようとするもがきのメールも入れずに、スマホすらも見ずに、ただ、水槽のペンギンを見つめ続ける自分。東京が好きで、オシャレが好きで、人の中で笑うのが好きな真樹。一緒の空間には居れない二人だったんだ。今思えば、合わせようと僕はだいぶ無理をしていたし、真樹も頑張って無理をして合わせようと、あるいはその光のある方へ僕を引っ張っていこうとしていた。
だけど、残念だけど、空と水の中は違っていて。僕たちはペンギンのように二つの空間を漂ったり、潜ったり、行き来しきれない。
そんな、そんな水中にいる自分と同じところで呼吸できるような、ずっと見続けてくれるような人と出会えれば、それは幸せなのだろうか。けれど、それは叶わないだろう。
ペンギンのドリンクを飲み終えたカップルは、ペンギンの水槽を離れ、水族館を後に、ビル街へと帰っていく。
自分はもまた、そうしないといけないが、だが、あと少しだけペンギンと一緒に居ようと思う。