7話 変わる人、変わらない空
――焔を見た。
自然に満ちた里が焼かれ、同胞が斬られ焼かれ死に絶え、賊が家に押し入り、生き残っている者たちを次から次へと捕らえていく様を。
――絶望を見た。
掃除の行き届いていない馬車の荷台に乗せられ、表情の無くなっている同胞を見て、さらに絶望を深めていく自分を。賊たちが呵呵大笑の声を上げながら、自分たちは奴隷として高く売れると下品に笑っている様を。
――希望を観た。
冷たい檻の中に閉じ込められた自分の前に颯爽と現れて、美しい白銀の一太刀で冷たいを柵を叩っ斬り、冷めきっていた自分の心に温度をくれた。
――夢から覚醒す。
気付けばまた身も心も冷たい檻の中。わたしはご主人様に捨てられたのか……。そう思うと鬱になる。
この奴隷市場で売れ残った奴隷は地下の闘技場……否、賭場で見せ物の余興として、文字通り死ぬまで遊ばれるのだと言う。
助けてくれる者は、まだ現れない。
現れるかなんてわからない英雄を待ち続け、幾数日が経過し、いろんなご主人様の間を渡り歩くようにたらい回しにされて、いつしかわたしは檻の中へと住み着いた。
奴隷商からは『蟲憑き』と呼ばれ、ついに売れなくなり、おそらく近日中に遊ばれることになるだろう。
カツカツと石畳を踏む足音。ほぉら、来た。わたしを貶めた彼等の足音だ。わたしを痛めつける恐怖の残響だ。わたしの、新しいご主人様だ。
「だれか……たすけて……」
助けてくれる者は――まだ、現れない。
× × ×
ガタガタと揺れる馬車の中、俺たち異世界勇者組は、王都から離れた遠方の『ダンジョン』なる洞窟へと赴いていた。
和気藹々とクラスメイトたちが話しているその中には、もちろん勇者ではない俺も含まれていた。
乗車したその時から、俺は隣席で不機嫌そうに座っているやつに、心細く萎縮することしか出来なかった。
「……なんでテメェが隣なんだよ」
「あ、あはは……」
クラス一のマウント陽キャこと、鈴木耕太だった。男女混同に座っている馬車の席順で、意中の相手である柏原さんと離されたどころか、いつも一緒にいる仲間たちとも離された挙句、俺の隣に座っていることにご立腹の様子だ。
俺だってテメェと一緒に座りたかねぇよ、と言ってしまえればどれほど良かったか。言ってしまえば馬車から引き摺り落とされる羽目になるだろう。
隣席からの恐怖で被害妄想が膨らみ続けている俺に、同乗していた騎士の1人が問いかけてくる。
「そういえばカセ様は操術しか使えないのでしたっけ。だからステータスも赤子同然の異常事態なんだとか。体に異常があったりしませんか?」
「あー……取り敢えずは大丈夫みたいです」
言われて気付いた。俺が召喚されることが、あるいは召喚されてから起こっただろう事態が異常なら、俺の体や精神体みたいなものに変化が起こっていてもおかしくはない。何が起こったのかわからないから異常事態なんだから、もう少し気を払わなきゃいずれ死ぬぞ。
「少しは体鍛えろよな、お前」
「ご、ごめん」
鈴木が睨んで言ってくるもんだから、反射的に謝ってしまった。上下関係がはっきりしている証拠だな。
他の異世界召喚組は普段の鈴木を知っているせいか、あるいは仲の良いクラスメイトと乗れなかったせいか、気まずそうに萎縮し沈黙してしまっている。
鈴木のせいで重たくなってしまった空気に呆れ、もはやこれは一種の才能なんじゃないのか……、と感嘆のため息を吐くと、鈴木が敏感に察知してキッ、と睨んでくる。
「……んだよ」
「な、なんでもないよ」
目が空を泳ぎながら誤魔化す俺を睨みながら、「そういや、」と言って何かを思い出したように問いかけてくる。
「お前、出立の前に持ってたバカでかいバッグはなんだよ。旅行気分か?」
「ち、違うよ……」
気後れしながら辿々しく言う俺に、鈴木は「早よしろ」と言いたげな目を向けてくる。
「俺は一番弱いから、なるべく多めに準備しなきゃ絶対に死ぬんだよ」
「……」
横目で睨んでくる鈴木に、俯きながら説明する俺。
しかし言葉にはしっかりとした決意が凝り固まっていて、熱意の孕んだその言葉は、俺に対して冷めた感情を持つ鈴木の心を打ち砕くのかと思われたが……
「バァカ」
「えっ」
たった一言によって一蹴された。
あれ。今結構良い雰囲気だったよね? 俺を認めてくれるとか、そんな流れになるんじゃないの?
俺の空虚な妄想は虚しく潰え、鈴木は畳み掛けるように追い討ちをかけてきた。
「お前以外の俺たちは全員最強だ。少なくともお前よりは確実に強い。手前とお前の命2つくらい、俺たちだけでも守れるってんだ、わかったかクソザコ」
……だれだコイツ。
あれ、おかしいな。いつも俺を虐めてきていた鈴木はどこに行ったのだろう。それとも元からこんな感じだっただろうか?
いや、もしかしたら、俺が知らないだけで元からこんなだったのかもしれない。天上天下唯我独尊、弱きを挫き仲間を守る。身の回りの人たちに危険が迫った時、人一倍の男気を見せるガキ大将のような精神構造をしているのかもしれない。
予想していなかった言葉を鈴木の口から聞いたショックと衝撃により、脳が使い物にならなくなった俺の肩を、鈴木はバンッと押して横に詰める。
「狭えよ、そっちずれろ」
「……あ、悪い」
「……チッ、」
俺のことを目の敵にしているところは変わっていないようで一安心した。この悪寒と恐怖が我先にと湧いて出てくるような一睨みは、間違いなく鈴木の物だ。若干判断基準がおかしいが、判断材料としては間違っていない。
色々と噴き出すように湧いて出てくる感情を一挙に纏めて、俺は歪んでいるであろう顔で天を仰ぎ、鈴木に謝罪の言葉を述べる。
「悪いな……」
「……ふん」
鼻息を一つ立てて鈴木は外を見る。俺も釣られて見てみると、日本と変わらない青い空と白い雲、そして太陽が浮かんでいた。
異世界なのに日本と天体や気象などはあまり変わらないらしい。晴れるし雨も降るし雲も掛かる。朝になれば太陽が昇り、西へと流れて沈んでいく。
きっとこの世界を創ったとされる女神も男神も、変わることのない日常を思い描いてこの空を創ったのだろうか。
シャルではないが、そう考えると天体と言うものは美しく感じ入るものだ。
変わり映えのない見飽きた空から目を離し、未だ俺に背を向けたまま窓外に目を向けたままの鈴木を見る。
その背中はいつも見ていた恐ろしい物ではなく、操術師として尊敬できる頼もしい勇者のそれに、俺の視線は釘付けになった。