50話 憤る魔剣
大きな魔力の渦が収まる。
その中心に立っていた女の子は、先程までの愛らしい容姿をかなぐり捨てて、見るも恐ろしい人外の身体へと変化していた。
エルフに負けないほど長い褐色耳。
魚類の尾鰭のような海類の翼。
ピクピクと動く長い黒尾。
山羊のように捻れ、禍々しい巨大な角。
裂けんばかりに釣り上がる口角。
殺人鬼として鬼に恐れられた少女は、
真正の悪魔となって剣聖と対峙する。
「…………」
「随分と不気味な姿になりましたね。それがあなたの悪魔ですか」
「……ッ! ……ッッ!」
「……やれやれ。対話は不可能ですか」
ティコの突進を闘牛士のようにいなすフィリアは、はぁ、と深いため息を吐き出した。
先程よりも動きが単調になった。避けるのは簡単だ。前しか見ない突進を仕掛けてくるなら、横か上に良ければ良い。前進にしか力を向けていないのだから、止まることは出来ないだろう。
「……あぁあああああああ!!」
「ほう」
その代わり、腕力が強くなったようだ。
目の前の木々を薙ぎ倒して急ブレーキをかけ勢いを殺して、底抜けの体力で再び突進をしかけてくる。
「ッ!」
「……むっ?」
ティコが走った道のりに、ほんの少し違和感を覚える。
亀裂が入っている。地割れを起こすほど柔らかい大地ではないはずだが、しかしそこには、はっきりと稲妻のような亀裂が残っていた。
次の瞬間。
ビキビキッ! と嫌な音を立てて地面が割れて行く。
ティコが何かをしたのだ。フィリアは見当を付ける。
「……走って戦うことは不可能か。ならば、」
空色の波紋を虚空に出現させて、フィリアは空に大地を作る。
フィリアのスキルに『無形封印』と言うものがある。
何か形のあるモノを封印するのではなく、形のない何かを封印するためのモノだ。
開封したのは『足場』の概念。
本来は空中戦になる相手に使うものであるはずだったが、今回は特別に解放した。非情事態だ。これくらいの大盤振る舞いは許容範囲内だろう。今宵は無礼講だ。
地面で戦えば走り続けることになるだろう。
わざわざ無駄な体力は使うまい。
――しかし、
「ダァッ!!」
「跳んで来ますか」
猫のような脚力で空中の足場へと跳んできた。
流石は悪魔と褒め称えるべきか、あるいは悪魔ならこれくらいはして然るべしと気を引き締め直すか、一瞬だけ迷ったがすぐに気を引き締め直すことに集中する。
「《剣閃花》」
「……グァッ!?」
「あなたでは届きませんよ」
無言の剣閃がティコを襲う。
するとティコの身体は、何か透明な物に拒絶されたかのように吹き飛ばされた。
フィリアの技《剣閃花》とは、言ってしまえば『剣戟』だ。
刀剣で戦うことを意味した概念であり、フィリアは『無形封印』でそれを封印している。それに威力を持たせて解放したのが《剣閃花》である。
刀剣が当たると言うことは、使用者に必中していると言うこと。敵対する使用者が得物を持っていないと言う事は、それは敵対者に必中していると言うことに他ならない。
不可視の必中剣。
それがフィリアがスキルに潜ませた必殺技だ。
「……グ……グガガ……ッ!」
対するティコは満身創痍だ。
身に余る強大な力を酷使しているからか、両手両足は痙攣しており、心はさらに強く速く鼓動を奏でる。先程よりも息切れが激しくなっている。
元来、身体に馴染まない強力な力と言うのは、使用者の身を滅ぼすものである。それを子供の身でありながら使うなど、あってはならない愚行だ。
しかしティコは使った。覚悟を決めて使ったのだ。力が身体に馴染まなかったとしても、自分が力に溺れて全てを破壊し尽くしても、あの人を必ず自分のモノにするために。
彼女はまさしく、色欲の権化だった。
「……やれやれ」
しかし、ティコが子供であるのは変わらない事実。大人であるフィリアが彼女を守らない道理など無いはずがない。子供を守るのが大人の役割だ。
そして、道を踏み外した子供を僑声するのもまた、大人の役割であった。
ダンッ! と力強く着地して、再び自分に突貫をかけて来ようとするティコ。それを見てフィリアは再び、呆れたようにため息を吐き出した。
「『魔剣錬鉄』」
魔剣の創造を開始する。
フィリアを中心に紫色の魔力が球体となって、宙に浮かぶフィリアを包み込む。まるで卵が羽化する前触れのように、不規則に揺れる魔力塊。その源を辿れば、フィリアの剣に集中している。
「グラムハイド……40%」
身体に内包する魔力が乱れる。
正規の順路を通っていたはずの魔力は、全てが上流、あるいは逆流してフィリアの剣に収束する。
さながら波紋を巻き戻しているかのようだ。全ての魔力が源である剣に回帰して行く。
「『憤る魔剣・40%』」
錬鉄が完了する。
神聖な、それでいて少し禍々しい濃密な魔力が放出される。グラムハイドによって化合された魔素が酸素を飲み込み、ティコの息遣いを荒くするほどとなる。
「逆上の仕置きを受けなさい」
ズンッ、と空気が重くなる。
まるで不可視の重石を背負わされたような感覚。
圧倒的なまでの威圧感がティコを襲う。
それは憤怒の一撃。静かに怒る魔剣の断罪。
戦斧が如き剣聖の一撃を持って、あの殺人鬼に引導を渡す力を振るう。
しかしティコも死ぬわけにはいかない。
残った理性を総動員して鎌を振り翳し、
憤怒の魔剣に負けじと余る力を全て込める。
魔剣の切先がティコに突き刺さる寸前――
「……?」
「……っ!?」
2人の影が、陽光を背後に聳える大きな影によって隠される。いち早く気付いたフィリアが離れ、その次の瞬間には大地が割られていた。
咄嗟に避けたことでティコは一命を取り留めたが、しかし死んでいないだけで生きているとは言い難い気分を味わっていた。
宙に舞う百の腕と、その中心で五十の頭が一つに纏まり見上げるほどになった巨大な体躯。ギョロリとティコを一心に睨み付ける凶悪で醜悪な容貌。
バクバクと音が鳴る心臓がうるさい。耳障りなほどに鳴っている。同時に己に芽生えた恐怖に、心が警鐘を鳴らしている。
百腕を持つ巨人が、そこに立っていた。




