4話 あの、お姫様……?
俺たちが召喚されてから1週間程度が経過した。依然として魔王軍の魔の字もない平穏な、しかし元の世界とはまったく違う毎日を俺たちは過ごしていた。
異世界と言う不思議存在の片鱗は、もちろん自分のことも新しい生活に慣らそうとしてきている。その一例として最近の俺の日課は、王宮の図書室に通うことになっていた。
元の世界では図書室に通うなんてことは絶対にしなかったので、これはこの世界で身に付けた日課だと思ってくれればそれで良い。
この世界にある文献は、どれを見ても元の世界には存在しない物だ。文献が違うと言うことは文化や歴史、あるいは常識が違うと言うことであり、その知識を知らなければ、この世界で生活していくにあたって不便になることも多いだろう。
基本的に俺たち勇者は外出できない。この勇者支援施設という物は、力の制御が効かない者、あるいは能力が弱い勇者を保護するために造られた施設らしいのだが、ほとんど隔離のような措置が取られている。
ベール王たちも俺たちのことは全て信用しているわけでもないらしい。つまり今の状況は、俺たちが力の制御を出来ずに暴走して、国民に危害を与えないための最低限の措置と言ったところだろう。
まったく、拉致紛いのことをしておいて配慮が足りていないと言うか……失礼極まりない。
ところで話は変わるが、この世界では5歳になると教会に行って、神様から天職を伺うことが出来るという風習があるらしい。
そして神によって与えられた職業がステータスに反映され、その職業に特化した成長を為していく。俺たち勇者の場合は、初めから【勇者】の職業に割り当てられているため関係ないと言えば関係ないのだが、問題は俺にあった。
俺の職業【操術師】は、限定的ではあるが何かを操ることに特化した職業であり、本来、勇者の儀では召喚されることのない職業だとか。
とある文献によれば、勇者と言う職業は、『何かに特化していない』ことに特化している職業であり、その真髄は『なんでもできる』ことだと言う。底が知れない職業なのだ。
なんでも、この世界の人々に与えられた職業の限界よりも更に上へ登り詰める可能性を持った職業なのだとか。
だからこそ未知なる存在である魔王を、未知の多い存在で倒せる可能性がある。そこに希望をかけたベール王は勇者召喚を行い、俺たちを召喚したのだと俺は推測する。ハムラビ法典のようなものだ。目には目を。歯には歯を。
しかし何故俺だけが勇者になれなかったのか。そこに懸念が生じているのだが、今はそんなことを悠長に言っていられる状況ではないらしい。
図書室から施設に用意された自室へと戻る途中、王の側近たちが立ち話をしているのを聞いてしまった。
「しかし……あの操術師の小僧は哀れだな」
「ふん、我らの呼び声に応じておきながら土遊びをしている小僧が悪いのだ。同情の余地などないわ」
「はっはっ。そう仰られますな。何処で誰が聞いているかわからないのですぞ」
「誰も聞いているわけがないだろう。現に誰もいないのだから!」
声高に俺の罵倒をする3人の王の側近。
ここまでは別に良い。俺が少し悔しがるだけだ。歯を食いしばるだけで良いのだ。後で見返してやればそれでいい。それだけでよかったのだ。
しかし、看過できない問題はその後に発せられた。
「知っていますか? 彼については、暗部による存在の抹消も考えられているのですよ。これが哀れと言わずして何と言いますか!」
「はっはっ! 勇者として呼び出されておきながら、歴史に名を刻むことも出来ないのだからな! 役立たずにはそれぐらいが丁度いいのでは?」
「たしかに」
はっはっ! と馬鹿笑いをする3人。
それを陰から盗み聞いていた俺は、恐怖のあまり呼吸が荒くなる。
ーー狂っている。
この世界は根幹から狂っている。役に立たないのは自分でもわかっている。自分の技量を試したことがある。サッカーボールサイズの土しか操れず、何もすることができないのだから、『土遊び』等と後ろ指を指されて揶揄されるのも肯ける。
俺は土を操る操術師だ。勇者と言う未開拓で、頼もしい職業などではない操術師に割り振られている。操術師の職業を持つ者が、世界に多く存在するのも知っている。こんなありふれたものが使えないなんて言うことは、俺だってわかっている。
しかし、それでも簡単に『殺害』と言う行為を行う見当をつけられると言うのは、やはり日本出身の俺からしてみれば、狂気の沙汰としか思えない。しかもその矛先が俺に向けられているとなれば、募る恐怖も倍増する。
「――やめなさい!」
恐怖と狂乱の空間に、凛々しい声が響いた。
「シ、シャルロッテ様……!」
「……な、何故このような場所に?」
「ここは王宮です。王女である私が何処にいようとも、別に文句を言われる筋合いはないでしょう」
長い金髪は腰まで伸びているのに少しの崩れもなく、蒼穹のように済んだ空色の瞳は曇りなく輝いている。華奢で無駄のないプロポーションを、豪華なアッシュグレーと金糸雀色のドレスに包んだ少女。
年齢は俺と同じくらいだろうか。召喚されてから1週間も経つのに、一度も会ったことがなかった美少女は、穏やかそうな瞳でメンチを切るように細めて3人を睨んだ。
「それよりも貴方達、先ほどから聞いていればなんたる不遜。王宮でそんな不埒なことを話すなど言語道断です。たしかに彼については、倫理に悖るような話も議論に出てきていますが、話しているのは貴方達のような極小数。実際に行動に移すかは別問題です」
まるで誰かに説明するように、そして不安を払拭させるような穏やかに語る。しかしその言葉には一瞬の気の緩みもなく、この場には緊張感が張り詰めていた。
「――それと、私はこれでもお父様に愛されているのです。お父様は私やお母様の言うことなら大抵のことは聞いてくれるのです。ですから、」
全方向に語りかけるような言葉の矛先は、3人に一点集中されたかのように、楔形の尖った言葉となって3人を貫く。
「ーーこの一件、お父様に言いつけますよ?」
空色の瞳をさらに細めて、王女様はーーシャルロッテと言ったかーー脅迫するように言った。
「ヒィッ!」
「も、申し訳ございませんでしたッ!」
「何卒、命だけはご勘弁をーーッ!」
3人の側近は怯んで、謝罪をして逃げて行く。
それを見送って、ふぅ、とため息を吐いたシャルロッテは、物陰に隠れている俺の方を向いて囁くように言った。
「ーーもう大丈夫ですよ。出ていらっしゃい」
ビクついていた脚には震えは無く、俺の体は自然と体が動いていた。物陰に怯えて隠れていた俺は、王女様の前に出て行く。
伏せていた頭を上げて王女様を見ると、視線が合った王女様は視線を外して頭を下げた。
「申し訳ありません」
「ーーえ、えっ? ぇ、な、何がですか?」
「先程のやり取りを見ていたのでしょう。お見苦しい物をお見せしました」
「いや、あの、僕は大丈夫ですから……」
頭を下げるシャルロッテに俺は混乱した。頭を下げるのは彼女の役割ではない。むしろ感謝の意を込めて、そして面倒なことをさせてしまった謝罪を込めて、自分が頭を下げるべきだろう。だと言うのに、何故俺は上から彼女を見て、その彼女が頭を下げるのだろうか。
「我が王宮の側近に、あんな小悪党のようなが者がいるなど王家の恥です。我が王家は秩序と原則を以って然るべきなのです。だと言うのにあの3人ときたらーー」
「俺は大丈夫ですから! ありがとうございます、王女様! それでは俺はこれで!」
これ以上聞いていると罪悪感で押しつぶされそうだ。いや、別に俺が悪いわけではないのだが。スタスタと自分の部屋へと足を向け、早足で駆けて行こうとすると――
「あ、ちょっと待ってください」
「っ!」
ぐいっ、と。服の袖を掴まれて後退する。その反動で俺の体は後ろに倒れ、ポフッと柔らかい2つのナニかが背中に当たった。
「〜〜〜〜っ!?」
発狂しそうになった口を噤んで、なんとか発声を堪える。
今の俺の顔は真っ赤になっていることだろう。平均、平凡、童貞の三拍子を揃えた健全男子高校生である俺は、こんなアクシデントと言うか、ラッキースケベに耐性が無い。
俺は羞恥と苦悶と背徳感で体全体の鳥肌が立ったのに、被害者であるシャルロッテは微動だにしない。
「……あの?」
「ご、ごめんなさぃぃ……!」
「……? 何がですか?」
自分の謝罪の言葉に王女様は小首を傾げる。この王女様、色々と無防備すぎやしないだろうか。
性的知識が足りていないと言うか、この王宮、どんだけ清純派なんだよ。そんだけ危険意識があるんなら、予防接種の如く少しくらいは教えてもいいのではないだろうか。倫理的に。
「それより、貴方の名前をお聞かせ願えませんか?」
「お、俺の名前ですか?」
「ええ。知りたいのです、勇者様」
ニコリと微笑んで言うシャルロッテ姫。
別に隠す義務も必要も無いので、ここで言ってもいいのだが、なにぶん自分は先程の話に出てきた操術師だ。勇者などではない、ありふれた操術師だ。
気不味い空気になってしまうかもしれないし、なんなら2度と会うことがないかもしれない。その証拠に、召喚されてからいままで1度も会っていなかったのだ。ここで踵を返して帰ってしまっても良い。
ーーしかし。
しかし、ここで俺史上稀に見る美少女の頼みを断ってしまっても良いのだろうか。そんな男子としての青臭くて卑しい下心だらけの思考が過った。
そして俺は、そんな下心に従順な男子高校生だった。考え改めるよりも先に、俺の頭は言葉を選び、口は言葉を発していた。
「……嘉瀬皓です」
「……まぁ、貴方が。私はシャル。シャルロッテ・ド・ウェルガマです。ベール・ド・ウェルガマ王の一人娘で次期女王候補。ウェルガマ王家の末席に連なる王女です」
リーシャ姫は少し目を開いた後、何事もなかったように名乗った。ヒラリとドレスの裾を掴んで持ち上げる様を見ると、自分の脳髄には『お姫様』という三文字が流れてきた。
ヨーロッパではカーテシーと呼ばれる女性がする挨拶の一種らしいのだが、日本でする人はまずいないため、やはり自分とは違う世界の住人なのだと思い知らされる。
そして件の王女様は、流れるような動きで俺の腕を取った。
……えっ?
「……えっ」
「王女命令です。少し、付き合ってくだいますよね、アキラ様?」
空色の瞳は俺の目線に合わせられ、その一つの欠陥もない端正な顔には小悪魔めいた悪戯な笑顔が刻まれていた。