42話 ティコ・シャンボール
今日もまた、『今日』がやってきた。
すでに外では何日か経過しているようだが、今の俺に、それはまったく無関係だ。
体感時間はおよそ1週間。体感時間がきっちりと稼働しているのであれば、おそらくそれくらいの時間だろう。
身体はすでに疲れ果て、心はやさぐれている。精神は腐肉のように腐りきっており、括り付けられ上に固定された腕は限界が近い。
もはや人間としての限界が近いだろう。だから、
「はぁ、はぁ……」
そんな俺よりも疲れた様子のティコが、外から帰ってきたのを見た時は、結構、いやかなり驚いたものだ。
「あ、あのエルフ、なんだったの……?」
「…………?」
エルフ? こんな森に現れたのだろうか。
ティコが持って帰ってくる品々は、常に人間の街で買えるものばかり。と言うことは、ティコが外に出る時は必ず街に向かっていると言うことになる。
しかもいつも疲れる様子を見せないティコが、今日に限っては疲れた様子を一つも見せないのだ。
この洞窟の近くに街があると言うことは明白なのだが、どの程度の距離が離れているのかを把握していない俺に取っては、ティコほ疲れた様子は新鮮な光景だ。
「……疲れてるのか?」
「うん。もぉ……。まったく! 結局なんだったの、あのエルフ!?」
「……エルフ……」
此処に隠れているのに問題を起こしているとは思えないコイツに、奇襲を仕掛けるヤツがいるとは思えない。
となれば、過去にコイツに何かをやられた相手だと思う。コイツの素性を、俺は全くと言ってもいいほど知らないが、しかし何かをやらかしていると言うことだけは知っている。
「へぇ……男?」
「そっち趣味だったの?」
「待て。違う。断じて違うぞ」
「ふふっ♪ 知ってるよ。最後には諦めてくれるもん。そういうところ――好き」
ティコが耳元で囁く。ぞわりと全身が総毛立った。
しかし、こんなことは日常茶飯事だ。臆してはならない。
「で、どうだったんだ」
「……つまんないなぁ。女の子だったよ」
「女か……」
1.エルフは森から出ない。女だったら尚更。
「それに綺麗だったな。若いのかもね」
2.見た目は若い。そして綺麗。
「なんで私を襲ってきたのか、まったく理由が思いつかないよ……」
「お前、理由しかないんじゃねえのか?」
「……さぁて。どうだろうね?」
「…………」
3.直にティコを狙った。それは俺が種を撒いた。
「……フッ」
「どうしたの?」
「いや。お前も災難だなと思ってな」
「本当だよ〜。あの街で張り込みとかされてたらすごく面倒くさい。しばらくあの街には近寄れないな……」
「他の街は?」
「遠いな〜。一番近くても冒険者ギルドがあるし、あんまり近寄りたくない」
「腹は減るぞ。頼む。飯は食わせてくれ」
「そんな格好で言われてもダサいだけだよ……もう。仕方ないなあ♪」
不機嫌な顔が一気に上機嫌になった。
きっと、俺に頼られたのが嬉しいのだろう。
いつもは積極的に俺の世話をしてくるのだが、しかし俺から何かを注文することはない。
「……ふぅ」
「どうしたの? あっ。今日のご飯はちょーっと待っててね。今から作るから」
「……わかった」
いらないなんて言えない。
こんなところで餓死するなんて、死んでも嫌だから。媚薬さえ入っていなければ、普通に美味しいご飯だから。
……コイツは、何処で感情の枷を解いてしまったのだろうか。普通の暮らしさえしていれば、おそらく普通の女の子として生活していたはずなのに。
俺は疑問を口にすることはせず、胃に溜まるものを待つのだった。
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ティコ・シャンボールは普通の少女だった。
普通の家系に生まれ、特に何不自由のない生活を送っていた。
近所の友達と遊ぶことを趣味としていた。裁縫を得意とし、料理を得意としている。将来は実家の定食屋を継いで、未来の伴侶とともに暮らすことが安定したはずの未来だった。
彼女は愛らしかった。
彼女は美しかった。
故に、彼女は愛された。
しかし、ティコ・シャンボールは12歳の時、ふとした拍子に死んでしまった。
いや、死んではいない。心の中には生きている。
ただ、堕ちてしまっただけなのだ。
「七罪」と呼ばれるスキルがある。
それ一つさえあれば、世界を丸ごと変えられると言うスキル。人の欲望――傲慢、嫉妬、憤怒、強欲、食欲、怠惰、色欲の欲望を媒介にすることが発動条件だとされる。7つのスキル。
人を滅ぼして世界を変えるのではなく、人が滅ぼして世界を変える、「必要悪」と呼ばれる七つのスキル。
古来から引き継がれ続けている、世界にとっては害悪極まりない能力。人々によって虐げられるべき能力だ。
その継承者として、ティコは選ばれてしまった。
継承してからは、生活は一変した。
家族は自分をまるで腫れ物のように扱い、人は自分から遠ざかり、友達と呼べる存在は何処かへ消えた。
ひとりぼっちになった。
愛されて生きた人間は、突然愛を失った。それがどれほどの苦痛だったのかは、おそらく今の自分は覚えていない。知っているのは当時の自分だけだ。
故に、愛に狂った。
家族愛を、友愛を、性愛を、敬愛を、情愛を、慈愛を、仁愛を、恋愛を。
様々な愛を望み、羨み、嫉妬し――そして狂った。
その狂気がスキルとして昇華するほどに。
彼女の愛への渇望は深まってしまった。
それが異性間でも、同性間であっても関係ない。
友人であっても、家族であっても関係ない。
軽くても重くても、それが愛であれば関係ない。
故に、彼女は探し回った。そして、違った者を殺し回った。
まるで悪魔に取り憑かれたなように。
悪魔よりも、悪魔らしく。
狂気の赴くままに。
彼女はただ、愛が欲しかっただけなのだ。未だ、心に痼りを残して、この世を彷徨う程度には、
彼女の愛は、深かった。
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「――起きたか?」
「……はれ? 私、寝てた?」
「ああ。ぐっすりと。……ところで俺の胸板からいつ手を離してくれるんですかね?」
恥ずかしい。
行為の途中に寝てしまうなんて。
体力には自信があったのに。
「なんて、はしたない……」
「いや、行為強要してる時点で、お前の倫理観はお察しだろ」
「ちょっと何言ってるかわからない」
「なんでわからないんだよ逆強姦魔」
ちょっと何言ってるかわからない。
私は愛故にあなたと行為をしているだけなんだけど。なんでそれがわからないかなあ? 運命の赤い糸で結ばれてるんだよ?
「……お前」
「ん? なに?」
「……泣いてんのか?」
「え?」
言われて私は目に手をやる。
しっとりと温いものが指に付いて、それが頬を伝っているのがわかった。
何故、自分が泣いているのかがわからず、次第に混乱していく。
「あ、あれ? なんで、私……」
「きっと嫌な夢でも見たんだな」
「そう、なのかな? そう思う?」
「知らねえよ。俺はお前じゃない。お前が泣いてるんだとしたら、それはお前の問題だ。自分でなんとかしろ」
辛辣に言うが、しかし彼は目を一切逸らさない。
彼が真剣に向き合ってくれている証拠だ。彼は人を差別しない人間だ。例えそれが悪であろうと、自分にとって大切なものであれば味方するような人間だ。
無償の愛。
それは、ティコにとって破格の存在だ。同時に、ティコが手にするべきものでもあった。
故に、ティコは一目見た時に気付いた。彼は無償の愛を振り撒ける人間性の持ち主だ、と。
愛を欲するティコにとっては、これ以上にないほどの伴侶だったのだ。
だからその彼が私を他の人同様に、等しく平均的な態度で応じてくれることが、これ以上ないほどに嬉しかったのだ。
「……やっぱり大好き!」
「は? やめろよ抱きつくなよ。暑い。マジ暑い。お前、俺にどんな薬飲ませてんのか忘れたのか?」
「ううん。けど、ちょっとくらい我儘を聞いてよ。年下だよ?」
「危ない媚薬飲ませてくる年下がいてたまるかボケ。せめてちょっとは薄めたりしろや」
「やーだ♡」
外ではすでに太陽が昇っている中、洞窟からは少女の嬉しそうな声と、少年が何かを我慢する声が聞こえてきた。




