32話 腐り物には蓋をせよ
「くっせぇぇ……」
「うるさいです。我慢してください。わたしも、そろそろ限界が近いんですから……」
鼻を刺激する腐臭が、剣を振れば振るうほど、魔法を放てば放つほど増していき、冒険者たちのやる気を削ぐ。
それは俺も例外ではなく、飛び散るスライムが地面に飛ぶ度に、これを俺が操作するのかと陰鬱な気持ちになる。
しかし冒険者である以上、スライム討伐は義務らしい。これを義務化しやがったヤツには右ストレートとアッパーカットを御見舞いしてやりたい所だが、激臭と汚物に視界を占領された今は、そんなことを考えている暇すら与えられていない。
臭いの濃度は、これだけで森の木々が枯れるのではないかと思ってしまうほどだ。とてもじゃないが、生身の人間の嗅覚では耐えきれない濃度の刺激臭である。
これに耐えられているのは、単にリーシャが風属性の魔法で覆ってくれている風のベールのお陰だ。
これが匂いを飛ばした空気を取り込むことによって、ある程度の新鮮で綺麗な空気を吸うことが出来ている。
「ともあれ、そろそろキツイよな……」
「ですね。……増殖するのも、精神的にクルものがあります」
「……たしかに」
ぼんぼこ湧くように増えるスライムの軍団に、俺とリーシャは苦渋を舐めたかのように顔を顰める。戦力とは何も武芸の極みだけではない。数の暴力と言うのもあるのだ。
これは自分よりも弱い敵を袋叩きに出来るだけでなく、自分より強い敵であっても精神的に追い詰められる。これがかなり厄介だ。
「一掃したいところだけど……風属性魔法での火の粉飛ばしは、やっぱり危ないよな」
「はい。極力使わないように立ち回りたいです」
「だよなぁ……」
俺は一つ、ため息を吐き出す。
「仕方ねえなぁ……」
大地に手を置き、イメージを増幅する。
俺の扱う操術とは想像力の結晶であり、術者の思い通りに万物を操る力のことを指す。それはつまり、イメージを膨らませれば膨らませるほど、操術の操る力と言うものは大きくなるのと同義なのである。
簡潔に言うならば、それはイメージを膨らませるほど操術師は強くなると言うことに他ならない。
「まずは地面に円を描きつつ……ドームで囲うように壁を作る」
スライム軍団をドームが覆う。
「さらに大地は下へ陥没し、半球に覆うドームの屋根は水平に均す。そして、陥没した大地は――隆起する!」
操術によって作られたドームの中から、グシャッ、と生々しい不快な音が聞こえて来た。
たらりと汗を流しながら待つこと数秒。ドームの中から紫色の液体、あるいは個体の判別が付かない物質が溢れてきた。それが発する匂いは刺激的なもので、一瞬で嗅覚が持っていかれる。
「ぐおっ……、ぃ、いや、でも成功だな」
「なにじだんでずか?」
「ズグラッブ」
スライムは分裂するが、その実分裂した個体は元々が一つであるため、魔力の流れの形成上、あまり遠くへ離れていくことはできない。一体で群れを為すことができるモンスターなのだ。
しかし俺は着眼点を、離れられない、と言う部分において対抗策を講じた。
離れられないのであれば、一気に殺してしまえばいい。しかし一気に殺すには火が必要だ。しかし草木の多いこの場所で、火を軽々しく使うことは気が引ける。主に経済面で。
だから、火を使わない倒し方を考案した。
それが今のスクラップである。
スライムとは言え、生き物であるならば幾らかの知性は持っているだろう。でなくとも危機感知能力なるものがあるのだろう。
であれば避けられるのは非常に不味い。いくら策を講じる時間があるとは言え、外してしまえば問題しかない。俺は命を賭けた一発屋である。外すわけにはいかない。
だから、アリ地獄方式で逃げられない環境を作ってから、地面を操って殺すことにしたのである。
ただし、問題があるとすれば――
「……臭いです!」
「まぁ、スライムを一気に殺したからなぁ。その匂いが溢れてくるのは当然だろうな」
「さっきの何倍も臭いです。どうするんですか」
「……我慢しようぜ」
「頭が痛くなってきました」
「……奇遇だな。俺もだよ」
ガンガンと俺の頭が警鐘を打つ。きっとリーシャも同じなのだろう。痛そうに頭を抱えて蹲りながら、ジトッ、と器用に俺を睨みつけている。
「次、行くぞ」
「はい。……まるで御通夜の空気ですね」
「スライム殺して回ってるし、似たようなもんだろ」
「スライムの葬式なんて出たくなかったです」
リーシャは頭痛が痛いとばかりに息を吐き出し、暗い顔を前に向けて歩き出す。消臭効果のある風属性魔法が効いていないようだ。
鼻腔を擽る牛の糞みたいな臭いに苦しみながら、俺たちは次のスライムの狩場へと向かうのであった。




