25話 奴隷の檻
冷えた床に寝かされて、リーシャの意識は覚醒する。頬に冷たい感触を感じて重たい瞼を開く。
(ここは――)
――檻の中、か。
朦朧とする意識の中で、何度も打ち込まれた金属の入れ物を思い出す。
一寸先も見えない闇の中。現状を確認するために目を慣らすことに努める。しかし数分経っても慣れないところを見ると、どうにも幻術の類の魔法を掛けられているのだろう。
視界を覆い隠して周りを見させないためだけの魔法。しかし、いま使われるのは、自分の現状を確認できないからすごく困る。
檻に閉じ込められているのは確実、か? 地面を触ると冷たい金属の感触がする。ということは、頼れるのは視覚以外の五感だけか。それを理解したリーシャは、耳を澄ます。
コツコツとレンガを踏む足音が聞こえてくる。
「――おい、起きてるか、リーシャ。……大丈夫か?」
「その声は……クリス様?」
「おう。……てことは目が見えてないんだな。目を開いてんのに見えてないとか、幻魔法ってのは面倒なもんなんだな」
不躾に幻術の使用者を罵るクリス。何処で誰が聞いてるかわからない奴隷商館で、こんな皮肉を言う奴隷は数少ない。彼は数少ない奴隷のうちの一人だった。
ケケッと笑う声を発した彼の名はクリス。狼族の獣人の少年だ。歳は16歳とリーシャよりも8歳ほど小さいが、リーシャの見た目年齢が若いためか彼の言葉から敬語は外されている。コンッと檻のすぐ外に皿を置いて立ち去ろうとする。
「まっ、言葉を返せるんだったら大丈夫そうだな。ほら、メシを置いとくから、食っとけよ」
「……あの、見えませんので、わたしの手に置いてくださいませんか?」
「ん、ああ、そうだったな。悪い悪い」
彼は皿をリーシャに近づける。
皿の側面に触れようとすると、微かな熱気がリーシャの指を刺激した。これは……シチュー、だろうか。スプーンを探してあたりにパタパタと手を伸ばす。しかしスプーンと思しき金属が見つからなかった。
「はぁ……、ったく。――ほらよ」
「あっ……、ありがとうございます」
リーシャの手にスプーンが乗せられる。
見つからなくて困っていた。だから見つけてくれた彼には、代価にはならないかもしれないが、微笑んで御礼を述べた。
「……っ!」
何故か彼が息を呑んだ。空間が狭いせいで微かな音も逃さずに聞こえてくる。しかし腹が減っていたので、気にすることもなく温かいシチューにありついた。
「……美味しい」
「……そ、そりゃどーも」
「もしかして、クリス様がお作りになったのですか?」
「おう……って! そうじゃなきゃ俺が変なやつになっちまうだろ! 流れ的に!」
「ふふっ……、そうですね」
……。
何故か今の流れに懐かしさを感じた。何も見えない暗闇の中で目を瞑る。あの人と交わしたなんでもない日常の一幕を、ふと、思い出す。
『これは……』
『ふふーん。どうだすごいだろう』
『はい。まさか土を後方に動かすことで足を絡めとるなんて……。これが発想の転換というやつですか……。先人の知恵に感謝ですね』
『はっはっは、これが大地の恵み『ランニングマシン』……リーシャちゃん? キミもう少し流れを読むことを覚えようね? 言葉的にただただ威張ってるやつになっちゃうからね。俺。考えたのは俺よ?』
『あははっ。まさか。アキラさんが思いつくわけ……』
『はい傷付いたー、傷つきましたいまー。俺の心にダイレクトアタックですー。今日の晩飯は俺の好物にしてもらいますー』
『アキラさんの好物ってなんですか』
『ふっふん。それはな――』
たしか『かれえ』なる食べ物だった。
美味しいのかと問えば、少年のように目を輝かせて『めっちゃ美味えぞ!』と答えていたのが印象的だった。結局、その日は材料不足で渋々ながら彼にも諦めてもらったのだが。『今度絶対作ってくれよ!』と一方的な約束を取り付けられてしまった。
「……そういえば、あの約束は果たしてませんでしたね」
「うん? なにがだ?」
「いえ、なんでもないですよ」
おそらく今の自分の表情はだらしなくなっていることだろう。彼のことを考えると胸がポカポカする。それは恋心とは違うものなのだろうと割り切っているが、しかしやはりその可能性も捨てきれない乙女な自分が憎らしくなる。
嬉しいような悲しいような複雑な感情を抱くリーシャを見て、クリスは疑念を抱いたが、すぐに耳をピクッとさせて自分が来た方向に耳を傾ける。
「……リーシャ。俺はもう行くけど、そのだらしない顔は引っ込めとけよ。誰か来るからな」
「え? あ、うん」
やっぱりだらしなくなっていたか、わたしの顔……。表情筋に働きかけて顔をキリッと引き締める。
やがてコツコツと走り去っていく少年の背中を思い浮かべて……、そして、再びコツコツ歩いてくる2人の足音を聞き分けた。
(――ああ、もう来たのか)
ほぉら、わたしの新しいご主人様だ。
しかし今までと違って心に新たな希望を抱いている。彼が与えてくれた自由は何物にも劣らない光だった。最低なご主人様としか会ってこなかったが、世界にはアキラのような優しい馬鹿者がいることを痛感し、希望を見出した。
(――さようなら、アキラさん。かれえを作ってあげられなくてごめんなさい)
ふっと笑って再び顔を引き締めた。
このご主人様は、きっとわたしを買い取るだろう。もちろんそれは過大評価などではない。わたしは美人の種族で、そうでなくても世界で唯一の力を手にしてしまっている。買わない理由がない。
「――という感じなのデスが、どうでしょう? お値段は後できっちりお話させてもらいますガ」
「……ああ、いいだろう。そのかわり、少しその蟲付きと話してもいいか?」
「もちろんデス! もちろんデスとも! 主と奴隷の関係は良好でなくてはいけないデスからネ!」
大歓喜。
そうとしか言葉に表しようがない喜び方をした男は、男の隣を歩いていた萌黄色のフードを被った男の背を送り出す。フード男の足音がわたしの檻の前まで近づいて来て止まる。
「――おい、私とお前の周りに結界を張れ」
「……? はい……」
結界型魔法【トランクィル】を使い、静謐が支配する結界を作る。シアンのベールが包み込んだことだろう。これで彼の言葉も、わたしの言葉もたった1人にしか届かなくなった。
「――よし。……で、数時間の家出は楽しかったか?」
「――は、ぃ……? 〜〜〜〜ッ!」
目の前の男がフードを取る。
黄色の肌にくせっ毛のある茶髪。鼻は低く、目は猫のように細く、なのにそれでいて丸い。はっきり言って、この世界の人間とは思えない顔立ちの人間。けれど、今のリーシャが安心できる唯一の居場所を与えてくれた大恩人。
「――アキラ、さん……!?」
「おう。お前を買い取りに来たぜ、リーシャ」
誰も認めてくれないかもしれない。
誰かが聞いたら鼻で笑われるかもしれない。
わたしにとって世界で唯一の英雄がリーシャ・アロンダイトを迎えに来てくれた。




