Side.D 再邂逅:魔王とヒト
『やあ』
「お前か、アグノス」
『うん。僕だよ』
白い部屋。
否、部屋と言ってもいいのかわからないほど、果てしなく一面真っ白な場所。見るも無惨なカタチとなった義元の首を拾い、首実験してようやく一息吐いたのも束の間。
どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。なぜわかるかって? 現実に目がチカチカするほど白い部屋なぞない。胡蝶の夢にも見合わない。それに眠っている時にしか現れない白いヤツもいる。断定するには十分だ。
「何用だ、我は起きておらねばならんのだが」
『まあまあ。ここは夢なんだからさ。ゆっくりしていってよ』
「寝首を掻かれかねんぞ我」
『大丈夫だよ〜』と何処から自信が湧いて出るのか。
アグノスはへらへらと笑いながら信長を手招いた。そしていつの間にか出現した茶の間のような空間で信長は茶を啜る。
前回飲んだ茶と同じ味。玉露という信長の知らない茶だ。今度は前の四本足の御座ではなく、慣れ親しんだ畳上での茶会となる。幾日前より遥かに信長の気は落ち着いた。
「それで? 今度は何用だ?」
『ん〜? ちょっとお話したいなってね』
「話だと? あのでいだらぼっちに乗った男のことか?」
でいだらぼっちに乗った男。
そういえば信長の初見ってそうなっちゃうのか。とアグノスは心の中でケラケラ笑うが顔には出さない。
アグノスの心境とは打って変わり、神妙な面持ちで尋ねてくる。
「そも、奴は何者なのだ? 妖術師か? それか物怪の類か? 少なくともヒトの類ではあるまい?」
『あはは。アキラくんは正真正銘人類だよ。それは僕が保証するし、アキラくんも人間以上のことは出来ない。だから古事記や神統記を読み返さなくてもいいよ』
『強いて言うなら操術師かな』とアグノスは微笑む。その単語すら知らないことは言った方がいいのだろうか。知っていて当然のような顔をするな。
『僕が聞きたいのは、彼のことをどう思った? ってことだね。やっぱり気になるんだよね。彼、僕からしても不思議だし』
「どう思った、とは漠然としているな。一度きりしか見ていない輩のことを詳細に答えるのは骨が折れる」
『抽象的でもいいよ。彼について思ったことを、そのまま言ってくれれば嬉しいかな』
思ったことと言われても、信長の頭の中には土巨人の頭上に乗った男という印象しか残っていない。そういう意味では一言、奇怪だったとしか言いようがないのだが。
「そうさな………奇奇怪怪とはあのような男の事を言うのだろうな。間違いなくこの世にない術を持ち合わせているのだろうよ」
『ふんふん。仲間にしたいと思った?』
「仲間……? いいや、家臣とするには危ういな。平安京に名を轟かせた安倍晴明も、同胞の芦屋道満と権力闘争を繰り広げたろう?』
『似たようなことが起きかねないと? それは他の家臣も同じなんじゃないかな?』
「規模が違う。規格が違う。我の片手に収まる程度でなければ、文字通り、我の手に負えん。妖術は流石に管轄外だ」
『ああ……なるほどねぇ……』
魔法と縁のない魔王からすると、アキラの力は手に余るらしい。マグナデアでは逃避という名の追放を受けていたのに、まさか第六天魔王から強すぎNGが出される日が来ようとは。
アグノスはほろりと涙を流す。
しかしそんなことはお構いなしに、信長はアキラの批評を続けた。
「家臣は使い捨ての駒とは違う。志を共にし、己らの野望のために歩調を合わせて生涯を歩み続ける者らのことだ。我が手で掬いきれぬ一杯の水が、増水してしまえば御家は崩れる。それが社会の摂理だ。我にはとても扱い切れんよ」
『へ〜。信長って冷酷無比なイメージあったんだけど、そうじゃなかったんだ』
「……確かに我は必要ない者は切り捨てる覚悟だが、冷酷なだけで家臣団を統率など出来ん。硬軟織り交ぜて接することこそ人を纏める基礎ぞ」
織田家流人心掌握術。配下には常に温厚に接し、何か失敗したら苛烈に骨の髄まで詰めたてる。
自身の考えを絶対と家臣に強いた上で、多少は家臣の考えにも耳を傾け良ければ採用する。現代で言う飴と鞭だ。
『尾張の虎』と呼ばれた父・信秀はそれで上手く家臣を統率し、周辺諸国の強敵達と渡り合っていた。
父親に出来て自分にできないはずがない。信長は確固たる自身と確信を持って家臣団と察している。
「故に、我がくびきを打てぬ家臣なぞ必要ない。この件に優秀かどうかは関係はない。我が御しえるか否か、これが最も重要な要項なのだ」
『じゃあ野放しにしてみる? キミがそれでいいなら僕は何も言わないし、彼も自由に動き始めると思うよ?』
「なんだ。ヤツを登用して欲しいのか? 我としてはやばさかではないがな」
『あはは。僕としてはそれが一番だけどね。多分彼は登用には応じないんじゃないかな』
「……なんだと?」
では何故我のところに呼び寄せたのだ、と怪訝そうな顔をしてアグノスを見る。
これに応えるようにアグノスはニコリと笑い、
「彼もだいぶ特殊な存在だけど、キミも大概特殊なんだよ。なんせこの『世界』では死んでいたはずなんだから」
「死んでいた? 我が?」
桶狭間での戦いを経て安堵しているのか、信長は本来死んでいるはずと言われ、不服な感情が面に出てきた。
しかしアグノスは信長の感情の移りようを気にも止めようとせず、淡々と起こったことの説明をし始める。
『本来なら上洛を果たして、足利義元として今川家が畿内を治めて、天下統一が果たされる前に大和の三厄に滅ぼされるのがこの『世界』の日本だった。だけどこの桶狭間の戦いを契機に、大躍進を遂げるキミを知る『世界』のアキラくんがこの『世界』に干渉した。幸い、アキラくんは強いからね。なんとか『世界』の歴史の修正に成功したんだよ』
アグノスの説明を最後まで聞いた信長は、その説明の不可解さに眉を曲げ、納得のいかない部分を指摘する。
「我が此度の戦いに敗れていたと。何故そのような戯言を言う? ヤツの干渉無くとも、雨天に嵐、奇襲可能な立地さえあれば我だけだろうと勝つことは出来る」
『絶対に無理だよ。キミは生身であの宗三左文字と打ち合えるのかい? 僕には無理だと思うな。打ち合う間もなく斬られて終わりだよ』
宗三左文字。
今川義元が持っていた、いまは信長の手元にあるはずの伝統ある妖刀。
義元が持っていた宗三左文字は幾何学文様が浮かんでいたが、信長が振るってもぶんっと音を立てるだけだった。
しかし戦場で相対した時の宗三左文字といえば、恐ろしい以外の何物でもなかった。
色々と聞きたいことは多かったが、概ね信長は納得した部分が大きかった。
「嘉瀬アキラならば、打ち合えると?」
『実際に打ち合うどころか、高密度の土を束ねて物量戦で圧勝したでしょ』
「そう言われれば……そうだな」
『でしょう? キミは軍力で際立っていても、神秘使いの義元には勝てない。目には目を、歯には歯を。義元にはアキラくんをぶつけるしかなかった』
「……彼奴ならば、何が来ようと勝てると?」
『ふふふ。アキラくんに興味が湧いてきたみたいだね。でも残念ながら大和の三厄には勝てない』
「……大和の三厄……」
さっきの語りにも出てきた大和の三厄とは何か。正体不明の敵の存在に、信長はまたもや怪訝そうな表情をする。
アグノスといえば『おっと』とまたもや口を素晴らしたかのような、しかし何か画策があるような胡散臭い顔をする。
信長にとってそのアグノスの顔は、どうしても気に食わない物だった。
『多分これについては僕は説明しないほうがいいかもね。ちょっと『世界』に干渉し過ぎちゃったし』
「ならば何故それを言った。我を舐めるなよ、今のは間違いなくわざとであろう。白い詐欺師め」
『やだなぁ、そんなわけないじゃないか』
へらへらと笑うアグノスに、遂にキレた信長がキンッと刀の鍔を爪で弾く。
キラリと怪しい閃光を放つ刀は、簡素な音を立ててアグノスに圧を掛ける。それを見たアグノスは焦るでもなく、しかし観念したように息を吐いて言う。
『…………事実を言うと、キミにも意識をしてほしいんだ。アキラくんだけじゃ三厄に勝つのは無理。だから最大限の補助をして欲しいんだ』
先程までとは打って変わって真剣な表情のアグノスは、静かな声音で信長に向かい合う。
雰囲気がガラッとと変わったのを察知した信長は、出した刀身を柄の中へ締まって聞き返した。
「……我は何をすれば良い。軍略、戦略ならまだしも、妖術なぞ管轄外だ」
『キミの周りには既に、キミの言う妖術使いがいる。もちろんアキラくん以外のね。その人をアキラくんと一緒に、三厄のうち一つの場所へ向かわせてほしい』
「……誰だそれは。そして何処だ。具体的なことまで話せ」
『滝川一益。キミもよく知っているだろう。元は甲賀忍の家系で、この『世界』の魔術体系にも精通しているジャパニーズニンジャだよ』
最近やって来たという、恒興の従兄弟を名乗る男か。
確か近江国の国人領主の家系だったが、近江隣国の河内で某氏を殺めてしまった故に尾張池田を頼って尾張国まで流れてきたのだという。鉄砲の扱いに長けていると宣っているが、その実力を試すための鉄砲が無いため実力未知数の男だ。
「あの男か……」
『うん。彼の存在自体は珍しい物ではないけど、彼がいるといないとでは結果は大きく変わるだろうね。……って、天照が言っていたよ。僕はこの国の未来は見えないから、文句は熱田神宮で言ってね』
「成る程な……しかし天照だと? 随分と大物からの言伝ではないか」
『彼女は故あって姿は見せれないからね。代理として僕が招聘されたんだよ』
「大神からの招聘とな。貴様は何者なのだ」
『僕は僕だよ。アグノスという人間以外の何者でもないよ』
アグノス元来の胡散臭さもあって言葉の真意を汲み取りきれなかったが、どうやら何かまだ隠し事はあるようである。
これだから信用しきれないのだ。嘉瀬アキラとやらもこんなのに付き合わされて大変だな、と今日初めてその面を拝んだ男に同情の気持ちが信長の中に芽生えたのだった。
『場所は和歌山……紀伊山地、熊野三山。神社の中にいる住職に必ず声をかけるように。あ、キミは行っちゃダメだよ。なんの比喩もなく死んじゃうからね』