81話 魔王の元で
「――というわけで、渋々帰還したワケなんですけども……」
「大成功ではないか。……クク。よくやった。流石であるな、策士殿」
魔王様大歓喜。
伊賀国の土豪を味方に付けた上、北中伊勢を平定したのだから当然と言えば当然である。
なぜこの程度で(一国と二地域だけでも充分すごいが)信長が喜ぶのかと言うと、相手が相手だからだ。
相手は超名門・北畠家。
後の三房・北畠親房や南朝の英雄・北畠顕家を家祖に持つ家柄である。
室町時代を代表する家系なだけあって領民からの信頼も厚いというに、今や南勢地域まで追い詰められている。
残るは南伊勢と志摩国。
ここまで勢力が弱体化すれば、かつて強火に燃えた家の灯も吹けば飛ぶ程度の蛍火になっている。
長島の一向一揆さえ無ければ悪くて従属まで話を持っていけていたはずだった。
逆に言えば彼奴等の命運は、完全に此方の手中に収まったということでもある。さらに本願寺の暗躍も浮き彫りに出来た。
それだけで大戦果なのである。
「フハハ。顕如も焦っておろうて」
「けど、これでは三河の方に迷惑を掛けることになるのでは? 徳川様にはどう言い繕うので?」
「あのタヌキならば耐え切れよう。問題は東の入道だ。最近、また怪しい動きをしていると報告が上がっている」
「……武田が? 相互不干渉の盟を裏切りそう、ということですか?」
武力バカ高お虎さんなイメージが強いが、実は裏切りが得意な梟将信玄のことだ。
外交関係では有効的に取り繕いつつも、水面下で色々と策謀を巡らせていることだろう。
「それはわからん。だが今川に塩止めを喰らい国が疲弊しているのは事実。間違いなく海に隣接する国へ攻め込むと断定できる」
「ですが無茶な行軍を敢行するより、他国から塩を輸入する……例えば伊勢港を押さえた織田と通商を結ぶ方が楽に塩が手に入ると思うのですが。何故攻めると思うのです?」
「決まっておろう。我ならばそうするからだ」
実際、としては大正解。
通商で一時的に塩を手に入れたとしても、恒久的な負債となるのは信玄としては避けたいところだろう。
故に塩止めを行う今川を是正する、という大義を元に駿河を攻め取れば今川の財産諸共手に入れることが出来る。
軍隊の拡張も民の安寧も、同時に手に入る駿河攻略が武田にとって最も効率的。
相手が北に山々、南に大海と大自然に護られた駿府であっても、当主交代後のゴタゴタで弱っている今川領を攻めない理由はないだろう。
「問題は駿府を取った後ですかね。甲相駿の同盟さえ裏切る程度には狡猾ですから。どう動くか、まるで予想がつきません」
「……ふん。どうにもこの件にはタヌキも噛んでいるようでな。タヌキは遠江を攻める算段を立てていると聞いた。少なくとも我には秘密の条約があるのだろうよ」
特に、今は歴史が早まっている。
信長の上洛が2年も早まり、京都での政治に介入して足利将軍との仲が拗れた結果、包囲網が組まれる歴史も早まる可能性が高い。
そうなると武田の西上作戦の時期も早まり、病没する2年前に信玄が来る可能性もあるということは。
「……ちょっと、まずいか?」
信玄病没がないと徳川家の滅亡は避けられない。
そうなると江戸幕府が開幕するしない、どころの騒ぎでは無くなってしまう。
「何を神妙な面で考えているのか知らぬが、まずは身体と頭を休めよ策士殿。辛ければ部屋を用意させるが、如何する?」
「いえ。すぐにでも清州に帰りたいので遠慮させて頂きます。長い間ここにいても不味いですしね。……あと、今回の報奨についてなんですけど」
「ほう。そちらから言うとは珍しい。聞こうではないか」
「ええ。まぁ……かなり無理を聞かせることになるのですけど……」
ーーー
「――却下だ。いくら策士殿の願いとて、一大名として聞き入れるわけにはいかん」
「ですので恩賞を賜る形で言ってるんです。殿様への奉公を果たした者として、願い出ているんです」
「策士殿には悪いがその願いは聞き届けられん。……そも、策士殿の言う状況になる確証もない」
「確実に成ります。貴方と将軍の今の仲が続く限り、この戯言は現実化します。俺の願いは、その折に必ず役立つ一手となるでしょう」
珍しく自ら願い出たアキラの恩賞に最初こそ難色を示した信長は、それでも食い下がる姿を見て神妙な面持ちになって思考する。
「…………ふむ」
揺らいでいる。
アキラの恩賞という名の献策に頭を悩ませる信長も、ここまでしつこく言われると敵わないのだろう。
あと少しだ。
あと少しで折れてくれる。
なら、アキラがすべきことは――
「――お願いします」
「…………」
――土下座。
畳に頭を擦り付けながら、真摯に頼み込むアキラの姿に、信長はため息を吐いた。
「…………わかった。認めよう」
「……っ! ありがとうございます!」
折れた。
苛烈と名高い魔王様が折れた。
その事実にアキラの顔は一気に明るくなり、己がすべき新たな歴史作成への決意を固めるのであった。
「その時には必ずや……武田を滅ぼしてみせましょう」
ーーー
「……やはり、危ういな」
アキラが去った出居の間にて。
信長は顔を顰めながら、先程起こったことを思い出していた。
さながら未来を見たかのように。
現在同盟関係を結んでいる武田が裏切り、京方面へと西上侵攻を仕掛けてくると言ってのけた。
そしてその対抗策を、一見無謀とも取れるような策を、恩賞として賜る形で申し出てきた。
流石の信長も最初こそ許可は出来なかった。
だが頭を下げられて頼みこまれては、その願いを無下にするのも寝覚めが悪い。
「彼奴は、何を考えている?」
信長はかつてうつけと呼ばれたバカ殿だった。
そこで庶民的な思考と武士的な思考、平民と地主という両極端な両者を学び心得たつもりだった。
「何故、この我が思考を読みきれない……?」
しかしアキラの思考回路は、そのどちらにも当てはまらない。
それ故に、信長はアキラが考えていること、そしてその目的を精査出来なかった。
平民でもなければ地主でもない?
ならば彼奴は何者か? 他国からの間諜か? そう思ったこともある。だが5年もの歳月を呑気に過ごし、いざという時は大成果を残す者が間諜なことはあるのか?
「わからないというのは、危うい……」
アキラ曰く、信長は何かを考えている時は目を細め、さながら獲物を狙う猛獣のような目をする。
眉を顰め、目を細め、手で唇を触る様子の信長は、側に控えていた小姓の名をを呼んだ。
「菊千代」
「はっ」
襖を開いて入ってきたのは、目鼻立ちが均等に整った一見聡明そうな少年。
菊千代と呼ばれた男の子は、苦虫を噛んだように渋い顔をしながら信長と対面するように座る。
「あれをどう思う?」
「申し訳ありません。小生では測りきれませんでした」
菊千代の答えに、信長は諦めがついたように大きなため息を零した。
「であろうな。彼奴は我でも読みきれん」
「あの方が信長様の策士だと聞かされた時は、その覇気の無さに驚嘆したくらいです。きっと隠している、というよりはあれが素なのではないかと」
「――と、あれを知らなければ思うであろうな」
他の者が語る人物評と同じ評価を下す菊千代に、その言葉を遮って信長は語る。
「温厚に見せて心に野生を飼っている者は数多く在れど。海道一の弓取りを狩る程の物となれば、それは怪異の類だ」
「――今川義元とは、それ程までに強大な存在だったのですか?」
菊千代の問いに信長は目を丸くして驚くが、しかしすぐに「ああ」と納得したような顔をした。
「そうか。知らなんだな、お前は」
「お恥ずかしながら……。御館様の愛刀である宗三左文字の前所有者にして、現在衰退を極める今川家に最盛期を齎した傑物、としか聞いておりません」
それを聞いた信長は「ふん」と楽しそうに笑みをこぼすと、菊千代の語りに続けて言う。
「その通りだ。そして武勇伝には続きがある。……いや。続きがあったと言うべきか」
「……続きが、あった?」
信長の説明を聞いた菊千代は、その説明の異質さに怪訝な表情を浮かべた。
「クク」とコロコロ表情が変わる菊千代を可笑しく思った信長は笑い、百面相を浮かべながら説明を待つ少年に言った。
「織田信長は本来、桶狭間で死ぬはずだった。それが何の因果か……否、ヤツが介入したことですべてが変わったのだ」