80話 策士として
その後、魔力切れによって気絶した後のことは、すべて滝川さんが何とかしてくれた。
アキラと信綱の戦いに巻き込まれた織田兵は三千。
軽傷者約2000名。
重症者約500名。
行方不明者約31名。
――死者、推定459名。
剣聖との戦いに巻き込み、これだけの無辜の人々を負傷させてた。
覚悟していたとはいえ流石に多過ぎだ。アキラは無駄に命を失わせてしまった。
だが滝川さんはこの件を咎めないだろう。
何故ならば、アキラによって命を救われているから。敵となった剣の達人の間合いに入って尚、生き延びれたのはアキラの死闘あってこそ。
故に、滝川さんはこの件に対して何も言わないだろう。
――ならば、
この咎は己の内で裁かねば。
ーーー
「ん……んんっ……?」
けたたましい音に目を覚ます。
ぼーっと頭は濃霧のような曇りを見せ、何が起こっているのかという当然の疑問すらも思いつけなかった。
それほどアキラは衰弱していた。
原因は準備なしの超膨大な魔力消費。これがアキラの脳や身体に大きな負担を掛けたのである。
「くぁ……ぅん。……ん? ぁんだ?」
一息大きな欠伸をした後、数秒の思考停止をしてようやく外の音に気が付いた。
呂律が回っていないことにも気づかず、また自らの格好が髪ボサボサの服ヨレヨレな不恰好だということにも気付いていない。
陣幕の外に出ると、アキラ陣の警護役を果たしてくれていた足軽が出迎えてくれた。
「ん? 嘉瀬様! 起きられましたか!」
「んぁ……お、おお。おはよう。あんのさわぎ?」
「はっ。一から説明します――」
説明としてはこう。
アキラは3日ほど寝ていた。その間に長野氏を討伐して中伊勢を平定したらしい。
「ああ、もう。早いね?」
「いくら名門当主とて、家臣に叛意の兆しありともなれば冷静ではいられなかったのでしょう。あ、芋羊羹どうぞ」
ズズー、と呑気に茶を啜るアキラ。
それに応じて茶請けを出してくれる足軽。
なんて気が利く足軽なんだ。
早すぎるだろとは思うかもだが、もちろんこれはアキラの調略がある。
実は長野氏に仕える細川藤敦という城主に織田家との密通の疑いあり、という流言を伊勢長野氏に流していた。
この細川藤敦という男。当主である長野具藤との仲は最悪なのだという。
というのも、長野具藤は北畠から養子として入った。つまり長野氏本流の血は継いでいないのだ。
これに不満を持った細川藤敦は、長野具藤を己の主として見ておらず。
それを知っていた具藤からして見ても、同様に藤敦が謀反をするに足る理由があることを知っていた。
安濃の細川が落ちれば、次は自分。
ならば織田家が北伊勢北部に注力している間に藤敦を討伐し、新たな家臣を城に入れたいと思うだろう。
「なるほろ……それで? この騒ぎはどうしたの? 平定祝いには見えないけど」
「なんでも長島の一向宗が活発化して来たのだとか。これを放っておけば背後から強襲されかねず、やむなく撤退するそうです」
「ほお。長島がねぇ……」
流石に動いたか、本願寺。
一向宗の考えることは宗教的すぎてわからないが、少なくとも北畠と本願寺の間に何かしら密通があることは確定か。
陣幕の外の気配が少なくなった。
チラリと確認すると、アキラは足軽に問うた。
「ま、一旦休憩ってことで帰城するのも悪くはないな。どう見る、百地の爺さん?」
「――せめて木造までは落としておきたかったですがな。まぁ次の戦の布石を打つ時間が出来た、と思っておきましょう」
それまで一緒に茶を楽しんでいた足軽の雰囲気が、狡猾で老齢な物へと変わる。
アキラの陣幕を守っていた青年足軽の姿は消え、伊賀の忍び衆頭領・百地三太夫が、アキラと同じく呑気に芋羊羹を口に運んでいた。
「変装得意だなぁ。羊羹出してくれるまで気付かなかった」
「変装術は忍びの嗜みですからな。しかし羊羹で気付かれるとは。流石は奇策師殿。寝起きにしては切れますね」
「戦に菓子を常備しようと思う馬鹿はいないだろ。そりゃ気付くさ」
「はっはっ。それもそうですな」
戦場での甘味は良くて芋茎。
それ以上はお荷物になるし、そもそも水分を取る羊羹なんて戦場では敵だ。
アキラの場合は無尽荷駄壺があるため、水分も食糧も無限に手に入れられるが、他の足軽ではそうはいかない。
芋羊羹なんて喉の渇く物を差し出されたら、少なくともただの足軽ではないことは気付きもする。
そしてアキラの陣幕を守っていたところを見るに、アキラの味方陣営。となると変装した伊賀忍が最有力。
ここまで来ると百地の爺さんかな? と直感で考えつくのも当然の帰結である。
しかしそこまでにも、色々思いつく要素もあったはずだ。だいぶ頭が弱っているようである。
「俺も疲れた。ちょっと無理が祟ったかな」
「はっはっ。あれほど異次元な戦いをすれば、そりゃあ疲れるでしょうな」
羊羹最後の一欠片を咀嚼し終え、ふぅ、と溜め込んだ疲れを息と共に吐き出す。
剣聖との戦いで身体に詰め込まれた疲労感。これを回復しない限りは次の戦いに望めないだろう。
(……優梨に会いたい)
清州に残した妻の顔が頭を過ぎる。
マグナデアから巻き込んで連れてきた、同じ高校の同級生だった女の子。
戦国日本に連れてきた当初は、なるべく不自由にさせないように、危険な合わせないようにしていた。
だが今のアキラにとって優梨は、欠けてはならない精神的支柱になっている。
アグノスが出立時に言った『メンタルケアをしてくれるならいいんじゃないか』という言葉が、そのまま現実化してしまっていた形だ。
「あー! すっげぇ帰りたくなってきた!」
「はっはっ。儂も織田の大殿様にご挨拶しなければなりませんからな。一度、岐阜に行くのも悪くはありませんな」
「あー、そっか。信長様に会った方がいいのかぁ。愛智に帰りてぇ……」
「愛智ですか」
ほう、と意外そうな顔をする百地。
何に驚いたのかわからず、アキラが頭に?マークを浮かべていると、それに気付いた百地が説明してくれた。
「信長公は岐阜に居を構えていると聞いておりましたからな。その参謀殿の拠点は岐阜ではないのですかな?」
「あー、暗殺の危険を考慮して、奇策師の名前と居住所は公にしないで貰ってるんだよ。六角の甲賀とか、武田の透波とか……」
「我らも、ですかな?」
「もちろん」
仁木氏綱から始まった六角の伊賀支配を背景に考えると、伊賀の上忍三家を始めとする忍者軍団が敵になる可能性もあった。
だが六角氏が滅びた今現在、伊賀の豪族と織田家が戦う理由はなくなりその脅威は消えた。
主家の滅亡要因という裏切りの名目はあれど、それ以上の御恩を与えれば豪族にとっては離反など無益に等しい。
故に百地の爺さんが敵になる可能性は低い。
アキラは安心しながら計画の全容を話し始める。
「信長様と俺の拠点を離して、あくまでも嘉瀬アキラは庶民だと無言の主張をするだけで、俺は織田支配地域に居を持つ塾長になるんだよ。他がなんと言おうとね」
「家来とならないことで、得られる恩恵の方が少なくないですか?」
「俺は功利主義者じゃないからね。あくまで環境重視の現状主義者。だから敢えて俺を撒き餌にするんだよ」
「……ああ。そこまでは考えておりませんでしたな。真の目的は”包囲網の抑止力”ですか」
包囲網の抑止力。
つまり朝廷直々の宣戦布告。
『領民とは、大枠では日本国民である』
『それに対してヤツは暗殺者を放った』
多額の融資をしている織田家からそう主張されれば、天皇は刺客を向かわせた先の国主を朝敵認定せざるを得ない。
例えば『武田が朝敵にされた』としよう。
そうなればこれ幸いと上杉は動き、
織田と行動を共にしている徳川、
同じく織田と婚姻関係を持つ浅井、
三国同盟への疑念から塩止めを行う今川、
それを傍観している相模の北条が動くのは確定だろう。
織田に干渉してくるとして考えられるのは朝倉、本願寺、毛利、三好か。
しかし朝敵征伐という大義名分を得た織田を攻める、など周囲の大名や家臣に白い目で見られる行動の他ない。
包囲網が形成されかねない。
こうなる可能性をアキラの存在を知る大名は考えるだろう。
なんと壮大で楽しい抑止力大作戦。
天皇の権威を脅して利用するなんて、未来から来た俺や信長じゃなきゃ考えもつかないだろうね。
「なるほど。敢えて守勢に回ることで敵に手を出しづらくさせるとは。噂に違わない奇策師振りだ」
「朝廷と懇意にしている勢力なら、誰でも思いつく策だと思うよ。乱雑に撒いた餌に掛かる馬鹿は小魚だけだ」
この作戦で最も危惧すべきなのはアキラや優梨の身の安全だが、知っての通りアキラは強いし優梨は異世界の勇者である。
「荘園という収入源が失って以降、朝廷も武家の献金なしには生きていけない時代だからね。
京を手中に納めている織田家とは仲良くしたいはずだ。世の中持ちつ持たれつの関係が一番善いんだよ」
某熱血中学教師曰く、人という字は人と人が支え合っているらしい。
弱みを見せた相手に自分の弱みを敢えて見せ、傷の舐め合いが起きることこそが信頼関係構築に最も効果的なのだ。
とはいえ毛利だったり上杉だったり、地方から巨額の献金を行う輩は少々怖くはあるが。
それはそれとして献金額だけ見れば、間違いなく織田家がトップを飾るので問題なし。
「何が起きてもいいように地盤は盤石に整えておく。それが策士が出来る奉公なんだよ」
「御恩と奉公ですか。確かに前例のある関係性だと、付き合い方を考える必要なく楽ですな」
とはいえ滅私奉公を強要されよう物なら、信長様相手でもぶっ叩きに行くけれども。
それはそれとして、リスクリターンの秤が機能する健全な関係性を築けているなら問題はない。
それは伊賀衆にしても同じである。
アキラの知識にある『天正伊賀の乱』。
日本史唯一の侍VS忍びの決戦は、悲しいことに後世への影響は非常に少ない戦いと言える。
逆に言えば、この戦いは必要のない戦いとも言える。
後世にも影響が出ない無益な虐殺は、止められるのなら止めるべきだ。
プライドばっかり高い奴等ならまだしも、それに巻き込まれる無辜の民は護る。それがアキラに出来る、戦死した者達への手向けとなる。
「だから安心しろよ、百地の爺さん。俺がいる限りアンタと伊賀の民が非道い目に合うことはないからな」
「……? そうですか。では恩恵を与れる限り、我ら伊賀衆は嘉瀬殿を補佐し続けると誓いましょう」
交わされる約束。
将来、起こるべき戦いを止めるため、一人の策士と一人の老忍が手を取り合った。