77話 新たな境地へ
「お主、嘉瀬と申すのか」
「……ああ。その通りだ。
アンタ、確か清州で会ったな」
「然り。其方の殺気には並々ならぬ物を感じていた。
名の伝わらぬ兵か、と思っていたが成程。其方が噂の奇策師か」
「自分で名乗った覚えはないがな」
桶狭間三傑然り、奇策師然り。
異名を付けられる時は、事実が歪に変わって伝わって名付けられている。
ちょっと操術使っただけなのにな。頭のいい作戦なんて考えてない。ボク、かしこいさんぼーじゃないよ。
「話を戻す。滝川一益は何処だ」
「…………」
「答えろ。さもなくば貴様の命はないと思え」
そう言って首に当てた刃を押し込む。
つー、とアキラの首から血が流れ、首の皮が切られたことを周囲に確かめた。
けど、それだけで言う訳がない。刀の刃如きではアキラを殺すことはできない。
それに言う必要もない。まさか目の前の、俺が捕まって真っ先に出てきたやつが大将とは思うまい。
「私だ」
「何?」
「滝川伊勢守一益とは、私のことだ」
……なんで言っちゃうかなぁ?
せっかく隠し通せそうだったのに。アンタ総大将だろ。自分の身を守る選択をしろよ。
「話を聞く限り、其方は北畠の間者のようだな。我が陣中でこのような無礼。まさか生きて帰れるとは思っていまい?」
「某は殿を死なせないための交渉に来ただけに御座る。ただ口車は不得手でな。この程度の脅しは堪忍くだされ」
問答無用で大将を打ち取りに来たわけじゃないのか。
なら言葉を選べば被害を生まないだろう。俺が口出しすべきではないな。
「ほう。要求はなんだ? 物によってら応えてやらんでもない」
「では単刀直入に。伊勢に駐留している全軍を引き上げ、これより先、伊勢に侵攻しない旨の証文を書いてくだされ。さすればこの者の命は取らないでおきましょう」
交渉下手か。いや下手って言ってたな。
そりゃ人質取ってから脅しをするはずだ。滝川さんがしかめ面になるのも無理はない。
交渉の際、自分のメリットだけ話すのはNGだ。最低限、相手のメリットになるようなことも付け加えなくては。
少しの思考の後、一益は言う。
「此方としては嘉瀬殿を見捨てる選択もある。それを承知の上で言っているのか?」
「伊勢から撤退するよりも、奇策師・嘉瀬アキラを失う方が利があると?」
「言い方の問題だな。嘉瀬殿を失ってでも、我が大殿は伊勢を欲している。そも戦場に死なぬ兵などおらぬであろう」
本当にそう。
そりゃケンカ如きで死にたくはないが、国レベルの争いとなれば人が死ぬのは当然だ。
「うむ。それは当然、某もわかっていまする。故に某は北畠の臣従を提案する」
「ほう。提案? それは北畠具教の案か? それとも間者の貴様独自の考えか?」
「いまは某のみの考えに御座る。されど貴軍の撤退を一人で成し遂げた功績を元手に、必ずや我が言にて北畠に服属を迫りましょう」
……提案としては悪くなさそうだな。
被害は少ない方がいいし、何より戦いなんぞ起きなければいい。
だがマストはあくまで伊勢平定。
攻略するにしろ服属させるにしろ、北畠の膝が屈することが確定しなければ意味がない。
「ふむ。貴様にはそれほどの発言力があると申すか」
「力とは銭のような物に御座いますれば。日々稼いでは己の、そしてお家のために使う物に御座いまする」
「……と申されているが、嘉瀬殿は如何に思う」
俺に振るな俺に。一人で決められない事なのはわかるけどさ。
いつのまにかアキラの背後に回り、首に短刀を押し付ける力が強くなる。
脅してるつもりなのだろうか。
だが何故滝川さんが俺に話を振ったのか、わかっていないらしいな。アキラは一切躊躇することなく答えを出す。
「なしです。ありえません」
「……なっ!?」
「ですな。この場では如何に強者とて間者は間者。それ以上の価値はない」
滝川さんはハッキリと答える。
それでいい。大将としては満点の回答だ。
「嘉瀬殿の命は某が握っているのだぞ。それでも意見を帰る気はないと申すか?」
「一の命と百以上の命、どっちが大切か考えたらそうなるんじゃないですかね。……それに――」
操術、展開。
そろそろ首痛いし、甲冑も蒸して暑い。捕まってるのも楽じゃないんだ。
「『拳銃』」
「うぐっ!?」
「退いてもらおうか」
何故ここまでアキラは冷静でいられたのか。
答えは単純。陣幕の中にシートはない。地面剥き出し、土足大歓迎。
土の操術師であるアキラにとって、これ以上ないほど好条件。最初からアキラが場を掌握しているような物だった。
操るのは少量の土。
頑健な拳を鳩尾目掛けて、
勢いよく叩き込んでみた。
強烈な不意打ちを食らった坊主は、流石に対応しきれなかったのか前屈みになって倒れ込む。
「ほう。それが奇策師殿の妖術ですか」
「土さえあれば俺は無敵ですよ」
鳩尾に強い一撃を食らい悶える坊主を、アキラは弊害するように見る。
「残念でしたね。抜け出そうと思えばいつでも抜け出せたんです。俺、操術師なんで」
「……く、ふふ。なるほど。やはり奇策師、常中奇策巡らしているか。されどここは戦場にて、武士たるもの容易に死ぬわけにはいかぬな!」
まさに一瞬の出来事だった。
鳩尾ショックの蹌踉めきから立ち直ったヤツは、
たった一つの踏み込みで、刀を構えるアキラに肉薄した。
「――っっ!?」
「ほう。受け止めたか」
「はあ!? んだよ今の! 人間技じゃねえだろ!」
「然り。これは人の身に現る技ではない。――正真正銘、神の御技よ」
神? 天照様関連か?
いや考えてる時間はない。今、俺がやるべきことは……!?
「天地人、その総てを身に宿す武術が某の流技。……新陰流、上泉信綱――参る!」