75話 覚悟と礼儀
伊賀上野から大和街道に入り、現在は伊勢関の辺り。
平成時代で言う亀山南ジャンクションの辺りで、滝川一益率いる織田軍は休息を取っていた。
歩くばかりで気持ちが上がらない織田軍を纏める一益の下に、ひとつ喜ぶべき吉報が届いた。
「関一党と神戸氏が降伏。それに続いて北畠庶流の木造具政が寝返りを打診、か。なかなか面白いことになったな」
伊勢関に構えた陣幕内。
特定の人物しか立ち入らないよう配慮してくれた陣幕内で、アキラはククッと笑いを噛み殺す。
「家臣の柘植保重に薦められ、覚悟を決めたとのことですな。北伊勢陥落の件が心を震わせたのでしょう」
木造具政。
今回な標的である北畠氏当主・北畠具教の実弟で、北畠氏の分家である木造氏の現当主。
つまり具教の身内が、早速北畠氏に見切りをつけたということだ。これはなかなか面白い。
「木造氏の所領は南伊勢の北部だったよな……ってことは……」
「――現在、中目標としている長野具藤は、実質的に孤立無援の状態になりますな」
近くに控える百地の爺さんの説明に、アキラは小さく首肯して「うん」と頷いた。
「この情勢下で援軍に全力を送ってくるとは思えないから……来るとしたらその木造軍団になんすかね?」
「そもそも援軍を出さない、という選択肢もありますな。野戦を仕掛けず籠城戦を挑む。侵攻されている側の当主なら真っ先に考える事でしょう」
規模は違くても流石は国の長。
やはり伊賀国衆の長は頼れる。上に立つ人の思考なら、俺よりよっぽど詳しいな。
「そうなった場合、長野に時間かけてる余裕はないですね。下手に防御を固められたら面倒だ」
「ですな。如何しますか? 単純な力攻めで、必要以上の時間を費やすのは目に見えておりますぞ」
「……うーん……」
外堀を攻めるか、内堀を攻めるか。
どちらを選んでも勝てることには勝てる。考えるべきは想定できる被害者数だろう。
長野……外から攻めるなら無駄に消耗した後の北畠攻め本戦で、必要不可欠な犠牲が出るだろう。
北畠に直行……内を攻めるなら防御を固められる前に攻められるが、長野という必要外の戦闘で、疲弊した兵から被害が出るだろう。
どっちにしても損失は出るか。
方針が決まったとて、突然良い案が浮かぶわけではない。腕を組んで悩んでいると、百地の爺さんはククッと嗤う。
「悩んでおりますな」
「そりゃあ被害は最低限にしたいですからね。死体を見るのは嫌いです」
「戦場で死体を見たくないとは、これまた傲慢な。今川義元を殺したのではないのですかな?」
「殺し、は……したんすけどね。あの時は色々ありまして。死体は見てないんですよ」
「ほう」
あの時は体内魔力を使い過ぎた。
人の行動力は魔力が源となっている。
その魔力が切れれば手足は痺れ、身体は極度の倦怠感と疲労感に襲われ動けなくなってしまう。
それはアキラも例外ではない。
膨大な魔力を消費した戦い……例えばヘカトンケイル戦後では二日間ほど寝込んだ後に、後遺症として1週間ほど身体が麻痺していた。
恐らくこれは膨大な魔力を自然治癒した所から来た痕なのだろうが、この期間の『操術師・嘉瀬アキラ』は死んでいた。
つまり『全力を出す』という行為は強力な切り札であると同時に、死に直結しかねない――謂わば諸刃の剣なのである。
桶狭間の戦い後もそうだった。
今川義元から発せられた膨大な魔力を感じ、アキラは即座に全力の操術を展開した。
魔力のぶつかり合いの果て。結果としては完勝だったが、その後アキラは操術展開の反動で寝込んでしまった。それも戦場で。
死体を見れるはずもなく。
また首実験に参加できるわけもなし。
「因果応報ってやつが怖いんですよ。死体を作る者はいずれ誰かの手で死体になるんです」
「なるほど。それ故に嘉瀬様は武将ではなく、あくまでも参謀として戦場に立っているのですな」
「いやまぁ……そうっすね。俺なんかが死体を見た日には、怨霊に呪い殺されそうですよ」
元よりこの身、この心は平凡な学生の物。
異世界に来て操術師となったとて、嘉瀬皓の本質はあの日異世界に召喚された時から変わっていない。
「怨霊ですか。それはさぞ難敵でしょうな。さしもの奇策師殿でも、妖の類は恐ろしいですかな?」
「いや? むしろそっちの方が得意ですね。見えない霊よりも、人を見る方が怖いです」
「ほう。その心は?」
「中身が見えないので」
大喜利のようなアキラの答えに、百地の爺さんは「はっはっ!」と快活な笑い声をあげた。
「人への恐怖故に我ら諜報員を欲した、ということですな。よろしい。ならば我ら伊賀衆、全霊を以って奇策師様の期待にお応えましょう」
傭兵なのにこういう儀礼的なのは丁寧だな。
爺さんは史実では有名な忍者らしいけど、やっぱり格みたいな物が違うな。
俺みたいな一般人とは思考回路が違う。俺ならマナーを忘れて見逃しちゃうね。
百地の爺さんと談笑しながら地図と睨めっこしていると、滝川の家紋を付けた兵が入ってきた。
「伝令! 滝川様がお呼びです!」
「……滝川さんが? 出発って明日だったよね?」
「ですな。恐らく軍備の確認でしょう」
…………確認することなんてあったっけ。
まぁ確認作業をする分には別に良い。何事も計画的に行うのは大切だ。
相手は戦の万能人。兵糧から装備……その他諸々含めて数を知っておきたいのかな?
「どうぞこちらへ。……そちらの方は?」
「拙者は此処で待っておりまする。ささっ、奇策師様。お急ぎでしょう」
「ありがとう……じゃ、ちょっと行ってくる」
ーーー
アキラのいなくなった陣幕内。
広げられた地図を睨み、ある程度の思考を終えた百地三太夫は、
「……ふむ。誰ぞおるか」
「はっ」
三太夫の呼びかけに現れた黒子の女。
俗に言うくノ一。しかし顔面の下から覗かせる目は猛禽を思わせる鋭さを持っている。
「奇策師様の護衛に3、大河内城内の状況確認のための生間を5、斥候を2。適当に人員を割り振り次第、至急向かわせよ」