72話 無銘
「じゃあ、そろそろ行こうかな」
「あ、ちょっと待って」
月下に濡れた一夜からニヶ月。
今日は三月の中旬。
諸々の備え、調略が万全となり北畠攻めが開始される。出立場所は岐阜。
今回は岐阜から京都に入る直通路・中山道から北伊勢に侵攻するルート。清州に居を構えるアキラは、清州城の兵数百人を連れて出立し岐阜に合流する。
尾張から北伊勢に入る最短ルートでも良かったが、あそこは何かと不穏な本願寺勢力が支配下に置いている聖域。
何故か目の敵にされている織田家の兵を、すんなり通してくれるとは思えないため東海道は使えない。戦国の宗教、まじ厄介。
「……うん、やっぱり……うん……」
ルートの再確認をしながら靴を履いているアキラを、優梨はジロジロと舐めるように見る。
「甲冑姿のアキラくん、格好いいね!」
「そ、そう……? まぁ、信長様から貰ったモンだしね」
昔は派手でうつけな殿様だった信長から「お前はもう少し武士らしくせぬか」と押し付けられた具足。
シンプルな当世具足。
兜も無立無印。シンプルイズザベストと言えば聞こえはいいが、この変哲がなさすぎる格好を見てかっこいいというのは間違いなく身内の贔屓目である。
「あ、自分のことじゃないって思ってるでしょ。鎧じゃなくてアキラくんのことだからね」
「え、あ……そ、そうなの……?」
「そうなの! 言ったでしょ、格好いいって!」
鎧じゃなくて自分のことだった。
見た目のことなんて褒められ慣れてないアキラは、呆然と優梨の言葉を咀嚼するしかない。
「カメラがないから目に焼き付けないと」と楽しそうに言う優梨。
そろそろ2人だけの世界が構築されようとしている中、冷や水をぶっかけられるが如き言葉を浴びせられる。
「義父上。夫婦仲睦まじくするのは結構ですが、お時間は?」
「ん、あ、やべ。出立前に利家に呼ばれてんだった」
「刀を忘れないでください、義父上。誰に襲われるかわかりませんよ」
「ありがとう茂勝。千代もありがとうな」
「これくらい娘として当然です」
「へへっ、いってらっしゃい義父上」
子供達は2人とも、最近すっかり元気だ。
おそらく嘉瀬塾に来る友人との関係が、良い効果を引き出しているのだろう。
優梨も同じことを考えているのか、母親が子供に向ける慈愛の表情になっている。
この5.6年ですっかり俺も優梨も『親』になった。ただの学生だった頃が懐かしい。
「……っと、呑気に耽ってる場合じゃないな。それじゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
「うん行ってきます。母さんのことよろしくな、2人とも」
「いってらっしゃい、義父上」
「ご武運をお祈りしています」
ーーー
岐阜城下・前田宅。
木下宅の真隣に位置し、嘉瀬家が岐阜に来た時は三家族合同の飲み会が行われる家だ。
ガチャガチャと重い甲冑を纏ったアキラは、人目を忍びながら得意の足ス◯イダ一マソで時間通りの現着。
「利家ー、来たぞー」
「……お、早いな」
アキラの声に対し、中から応じる声が聞こえる。
「うっす兄弟。京都ぶりか?」
「正月に会えなかったからな。そんくらいになるか」
「あ、お久しぶりです、アキラさん」
「まっちゃん、おひさ。子供達も久しぶりだね」
前田夫妻の背後に隠れる二人の子供達。
長女の幸、次女の蕭。
幸ちゃんとは5年の付き合いの筈なのだが、人見知りなのかまだ慣れてくれないようだ。
「アキラおじさん!」
「おう犬千代。相変わらず元気だな」
優梨とのいざこざが解決されるまでの間に、三人も子供を作っているとは。この世界でも子沢山だな前田家は。
よしよしと犬千代の頭を撫で、アキラは利家に本題に移るよう急かす。
「んで利家。俺に用ってのは?」
「信長様からの命でな。とある物を渡せと仰せつかったんだ」
「岐阜でか?」
「おう。せっかく出立場所が岐阜なんだからな。清州に持ってって二度手間ってのも勿体ねえだろ?」
「……? なんか貰えんのか?」
アキラが犬千代の頭から手を離す。
するとニッと笑った利家がアキラの頭をガシっと掴み、今度はお前の番だとばかりに掻き回すように撫でる。
「痛い痛い痛い! ハゲる! ハゲるって!」
「わはは! そんときゃ出家でもすりゃいいさ! 俺と違ってお前の命は大事なんだからよ!」
「出家なんざしねえよ。……で? 俺はこれから何を貰えんだ?」
「ちょっと待ってろ、すぐ持ってくる。犬千代、手伝え」
「はい、父上!」
ーーー
まつちゃんと最近の近況を話し合っていると、利家の後に続いて大きな刀を両手で抱えた犬千代が出てくる。
「それは?」
「今回の上洛戦の報酬らしい。信長様は京でやることがあっから、仲の良い俺から渡してくれって言われてたんだ」
「へぇ。犬千代ありがとな。重かったろ」
「いえ! いい鍛錬です!」
渡されるとずしっとした重さが刀から感じた。
およそ子供が一人で持つには重すぎる。こんなもん犬千代一人に持たせたのか、と凄みを利かせて利家を睨む。
「協力して持とう、つったんだがなぁ。ったく、誰に似たんだか頑固でよ」
「旦那様譲りですね」
多分、前田夫妻の足し算だな。
むしろ周囲の人間ならしてみれば、女の子二人のお淑やかさで驚く程なのだ。
……にしても刀か。
あれか。俺が毎回宗三左文字に執着するから、刀剣が趣味とか思われてるんじゃないだろうか。
これから何かするたびに刀が贈られてくるとか。そうだとしたらちょっと迷惑だな。こんなモン置く場所は我が家にはありません。
じっと渡された刀を見ていると、何を勘違いしたのか利家が刀の説明を始める。
「昔、この美濃国で活動していた刀匠の孫六兼元に鍛鉄された刀だ。銘はねえから、せっかくならお前の名前を入れたらどうだ?」
「俺の名前?」
「おう。例えば、嘉瀬兼元とか?」
嘉瀬兼元。
日本刀に自分の名前を入れるとか、ちょっとごめん被りたいような、そうでもないような。
まぁ、武器は持っておいた方がいい。特に刀や槍なんかを持っておけば戦場では変に見られない。
「とりあえず『無銘兼元』でいいや」
「お前がいいならそれでいいか。っと、そろそろ刻限じゃねえか? 一益のおじきが待ってるぜ」
自分の影の向きを見て気付いた利家。
もうそんな時間か。遅れないようにしなきゃな。
「じゃ行ってくる」
「おう。無事でな」
「お土産は期待しています」
「まつちゃん。旅行に行くわけじゃないんよ」
「エビが食べたいです!」
「多分帰る途中に腐るかなぁ。まぁなんかあったら持って帰るよ」
『無銘兼元』を佩刀したアキラは前田家を後にし、一益軍団の待つ岐阜城へと向かうのだった。