71話 月下美人
思えば、アキラにとって転換期となる物事が起こる際は、決まって夜だった。
王宮からの脱出した誘拐事件。
アキラの力を示した百腕巨人戦。
久々に勇者と共に戦った王都救出戦。
元興寺・日業との喧嘩。
そして今回。
今回に関しては何が起こってるのか、それはアキラにもわからない。
恐らく唯一わかるのは、襖から漏れる月光を背にする優梨が、アキラに馬乗りして一心見ていることだけ。
「………」
「ゆ、優梨さん?」
「え、ア、アキラくん……起きてたの?」
「ま、まぁそりゃ、ね?」
アキラにも警戒心というものはある。
というか元来アキラは警戒心の塊みたいな存在だった。
寝首掻かれて死ぬ、なんて幕切れは許さない。そのための技能だった、はず、なんだけどなぁ。
「そっか。……アキラくん」
「ど、どしたの?」
「ちょっとだけ、お話しない?」
「真夜中ですけど」
どうにも様子がヘンな優梨にドギマギ。
鬼ではないかと『鑑定』スキルを使ってみるも、結果は出ずこれがアテにならない。
様子見してみるか、と優梨を訝しげに見つつ、しょうがないなぁと床から立とうと起き上がる。
「まぁ、とりあえず明かりつけるね」
「ヤダ。つけないで」
「えぇ……?」
「子供達を起こしちゃうでしょ?」
「そんなことないと思うけど」
「いいから――」
力弱く床に押し倒される。
冬に不釣り合いな熱が頬を蒸し、暗く月光に照らされた優梨の顔は林檎のように真っ赤に染まっていた。
「ど、どしたの、優梨」
「また、戦争に行くんでしょ?」
なんで企業秘密が漏れてるんだ。
まだ準備段階だから関係者以外には言ってない、って怖い顔した魔王様が言ってなかったっけ?
「――誰から聞いたの?」
「まつちゃんから」
「……利家か……」
信長から利家、まつ、そして優梨の順だろう。
アイツには企業秘密とかそういう概念はないのか。もう少し危機感を持った方がいい。
「行くんでしょ?」
「……ちょっと伊勢の方に……」
「エビのところ?」
「うん。……うん? うん」
一瞬引っ掛かったが無理やり納得した。
いや間違ってはないから止めないけれど。それはそれとして地理苦手?
「今回は色々と事前に事を進めるつもりだから。そこまで危険な戦いじゃないよ」
「どんな形でも戦いは戦いだよ、アキラくん。マグナデアで学んだんでしょ?」
「……それはそうだね」
アキラが納得して首肯すると、下に向いた顔を両手で包まれる。
ひんやりとした小さな手が頬に当たる。見ると強い眼差しを向けた優梨がアキラの目を見ていた。
「だから毎回心配なんだよ。アキラくんは強いから、多分他の人より無茶をする。足元を掬われて最悪、なんてこと……」
「俺は無茶なんてしないよ。死ぬなら優梨の前で死ぬさ」
「…………桶狭間」
「いやそれは相手が相手だったから」
「ほらやっぱり。無茶するんじゃん」
……なるほど。何言ってもダメそうだなこれ。
むくー、と頰を膨らませて怒る優梨に苦笑して、アキラはようやく緊張の糸を解す。
「そりゃ相手が悪かったらね。強いヤツとかち合って、万が一にも歴史の主要人物が死んでみろ。世の中大変なことになるよ」
「……それはなんとなくわかるけどさ。アキラくんってなんか、歴史変えるのを楽しんでるように見えて」
「そんなことないよ。実際、伊勢攻略はこのくらいの年代に始まってたし、ちょっとくらいズレても、信長が本能寺で死にさえすればいい」
「本当に変わったね、アキラくん」
むに、と頰をつままれる。
「あにすんの?」
「ふふっ、アキラくんかわいい」
「……なんか馬鹿にされてない?」
屈辱的な感情と共に、アキラの顔をつまんだ手を払う。
……というかこの格好。
明らかに誘ってるよな?
「……私が出会った頃のアキラくんは、もういないんだね」
「いるよ」
首に腕を回して肩を掴む。
これでもう優梨は逃げられない。力ではアキラの方が上。
「いまは家族だ」
「……え。ん――ッ!?」
有無を言わさず唇を奪う。攻守交代。寝ていたのをいいことに、よくもまぁ押し倒してくれたものだ。
「んあっ、い、いきなり……!」
「……俺は昔と比べて変わったけどさ。それでも変わらない物だってある。例えば……優梨に対する恋心とかね?」
弱ったかったアキラに何度も話しかけてくれた女の子。しかも美人で明らかな好意が感じられた。そんな女の子に恋をしない方が難しい。
「なんであんな俺を好いてくれたのかは、今もわからないけど」
昔の皓なら自信過剰だ、とか、陰キャ如きがイキがんな、とか。自らを卑下する想いで感情を抑制しただろう。
だけど、今は状況が違えば性格も違う。
「この想いは、もう抑えるつもりはないよ」
弱いアキラの秘めた心は、
強いアキラが花開かせる。
名前はもちろん、月下美人だ。
「やってきたのは優梨だからね?」
起きたら馬乗りされていて、
胸を押し付けてそろそろ限界だった。
身体は少年、
心は青年。
いくらアキラでも抑えきれない欲望はあるし、なんなら今のアキラの頭は浮ついている。
あの洞窟の時と同じ。
こうなったアキラは、
もう自制なんて出来ない。
獲物を見つけた猛禽類のような目をするアキラを見て、優梨はふふっと笑った後小さく呟いた。
「…………いいよ」
待ってました、とばかりに優梨はアキラの首に手を回す。
やがて2人の身体は重なり合う。
月光に照らされた2人の肢体は、子供達を起こさないように音を抑えながら動く。
この夜、初心な2人は初めて互いを愛した。
『月下美人』
木の幹などに根を張って自生するサボテン科の花。一年に一度、新月か満月の夜にしか花を咲かせず朝には萎んでしまうという。
花言葉は『儚い恋』『艶やかな美人』『快楽』。