70話 新たな歴史へ
「伊勢攻めに変更?」
「うむ。畑を刈る。用意を進めよ」
また呼び出された。
なんか最近多くないですか?
てか、なんでいきなり? 四国の公方様を三好の元から捕縛……もとい救出して政権を安定化させるのが先決って話じゃなかった? いいの?
「義昭様の政権安定化はいいんです?」
「伊勢の北畠が大阪本願寺と接触している、という情報を手に入れてな。武力発起でもされたら厄介と思うたまでよ」
「ああ……横腹を疲れるのが嫌と」
「有り体に言えばそうよな。本願寺は加賀にも勢力を持っている。朝倉が動こうとも動かずとも、北、南、西を同時に相手するのはちと厳しい」
現在織田家は、こと近畿において勝る者がいない大勢力となっている。
勢力が大きいということは、すなわち隣接する敵勢力の数も多くなるというわけで。
安易な考えで動こうものなら、あっという間に取り囲まれるのがオチである。
まさに信長包囲網。これが史実では第二次、第三次と続くのだから恐ろしい。第二次以降はほぼ相手にならなかったらしいが。
「参謀殿。其方にはこの伊勢攻めの軍に加わってもらおうと思っておる」
「うわぁ。俺、この前京都行ってきたばっかなんですけど。旅行はしばらくいいかなって……」
「戦を旅行扱いか。気楽なものよな。しくじれば其方の命も危ういぞ? なんせ清州は東海道を通じて近いからな」
「……むぅ」
海を渡れば真隣と言ってもいい。
なんせ志摩には九鬼水軍の拠点がある。北畠に操船技術が取り込まれれば、下手に手を出せなくなるのは必定。
うーむ……早めに叩いておくのはいいけど、多分わざわざ俺が出張る必要もないと思うが。
「相手は本願寺と通じているだけで単体。なら滝川さんだけでなんとかなるんじゃないですか?」
「確かに彼奴の器量は天下一。我を除いて及ぶ者はないがな。今回は西征作戦。故に其方の力が不可欠なのだ」
西征作戦?
いや、あー……そういうことか。
「狙ってるのは海ではなく、その先の畑ですか」
「うむ。先に言ったであろう、畑を刈るとな」
平成の世で言うところの和歌山県。
南海道の最東端に位置し、森林が多く木材の産地としても知られる『木の国』。
紀伊国。
獲っても旨みは少ないはずなのだが、何故またそっち方面に軍を進めようとしているのか。
狙いはなんだ? やっぱりミカンか? それともパンダか? 思い出すなぁ、昔家族で行ったあの動物園。楽しかったなぁ。
「で、狙いはなんです? 紀伊の有馬を落としても、得られる物は少なそうですけど」
「何も奪う必要はない。進むも退くも裁量は任せるが、是が非でも欲しいのは道だ」
「道……? ……あぁ、なるほど。目的はさらにその先ですか」
西征。木の国。道。
なんとなくわかった気がする、確証があるわけではないが。まぁ多分そういうことなんだろう。
「察しが早いな」
「まぁ西を征する、って考えたらなんとなく。絶対に必要ですもんね」
「既存の技術を使ってもよいがな。やはりアレは強ければ強いほど良い。我らが尾張の兵は弱いからな」
尾張の兵は日本でも屈指の弱さを持つ。
例えば甲斐兵1人に対し、尾張兵を5人を要すると言われている。
これはひとえに尾張の地が裕福なことに由来する。土地が裕福であれば隣国を攻めて略奪する必要はないのである。
弱きが強きを挫くには、必要となるのは力ではなく知恵。つまり技術の発展は不可欠なのだ。棍棒外交万歳。
「わかりました。では序でに、そっちの準備も進めておきましょうか」
「うむ。策は出来たようだな。何か入り用となる物はあるか? 可能ならば譲れるぞ」
片手間ながら割と本腰だな。
ヤダこの魔王様太っ腹。
「なら報酬は左文字の刀身に触れる権利、というのは――」
「断る」
ケチすぎるだろ魔王様。
触るだけだぞ。それもダメなのか。
「……冗談はここまでにして……もう一つ、攻めるにおいて必要なことがあるのですが……」
「ほう。何を欲するか、参謀殿?」
「や、そんな大層な物じゃないですよ。いちいち高価な物を望んでたらコスパ悪いですからね」
そもそも北畠攻めは現在の織田家の戦力からしてみれば、些事と言っても差し支えない程の差がある。
こんな小規模な戦いに金銭労力を割いていては、この先に待ち受ける戦いが思いやられる。
勝利とは最低限の備えでで得るもの。
戦いの先には更なる戦いが待ち受けている。その戦いの備えは万全にしておくべきだろう。
ーーー
伊勢国、度会郡。
大湊にて廻船問屋を営む角屋の元に、一通の書状が届いた。
畿内で勢力を広げる織田家からの物だ。
書状には北畠攻めに関する物資提供の援助要請と、とある事柄について書かれていた。
「……なるほど、伊勢志摩の商人司として取り立てる代わりに物資の供給をせよと」
「随分と上から目線に書かれているのですね。流石は畿内の覇者といったところでしょうか」
側に控える番頭は嫌味ったらしく言う。
そんな番頭に対して、無精髭を生やした店の主人は至って穏やかに嗜めた。
「そう悪様に言うもんじゃないよ、番頭さん。組織の頭ってのは見栄を張ってなきゃいけないのサ」
「そうは言いますがね、店主。たかが手紙でここまで自分らを下に見られちゃ、俺なら天下の織田様と言えど協力する気は失せますがね」
「ハっハっ、まだ若いな。商売ってのは下手に出てこそよ。お相手さんの機嫌を良くすりゃ、より多くの金を落としてもらえンのよ」
当然だろ? と煙管を吹かす店主。
番頭は納得いかない表情ながらも、しかし嫌とは言えず店主の結論を急かす。
「んで、どうすんですかい? 殿様だか魔王様だか知らねえですが、この侵攻が失敗すれば俺たちゃ揃って転落人生真っ逆様ですぜ」
「ンー……伊勢国一帯の商いを統括出来るってんなら、これ幸い。だがその分歩く茨の道は深い。さて、どうしたものかね」
すぅ、と煙管に口を付ける。
一瞬の長考の後に、店主は答えを出す。
「よしやろう。考えてみりゃ乗る理由しかないじゃないか」
「へぇ、やるんですかい? 虎穴に入らずんば虎子を得ずとはいいますがね。あまりに危険ですよ、この賭け」
「見返りは大きいだろう? なんせ勝てば伊勢港の商権が手に入るんだ。これに大金賭ける胆力なくして、いつ我らは飛躍出来る?」
堅実に事を進めるもよし。
だがいずれ何か大きな物を賭けることもある。早いか遅いかの話だ。
後に津々浦々に勢力を伸ばす伊勢商の当主・角屋七郎次郎秀持は、織田家からの誘いにほくそ笑んだ。