60話 妙覚寺の一室にて
京・妙覚寺。
上洛に成功して御満悦の義秋将軍の機嫌を損ねない為に、アキラは御所から離れた寺に呼ばれた。
静謐な空気がピリピリと肌を焼き、魔王様の威圧感がアキラの喉と瞼を乾かしてくる。この魔王様まじで怖い。
「此度の上洛戦、誠にご苦労であった」
「信長様も、見事六角義治を捕らえたと聞きましたよ。あのヒントでよく気づきましたね」
「あの程度、謎かけにも劣るわ。我を熟考させたいなら、もう少しマシな物を用意せい」
そう言って目を細める信長。
難しすぎてわからず時機を逃したら、それはそれで怒るじゃないか。
本当に面倒くさいなこの魔王様。目に見えて鼻高々なのに、それでも隠そうと威厳を出している。地雷系なのかな?
「しかし甲賀の透破か……味方にすれば役に立ちそうな物を……」
甲賀流と言えば、日本では伊賀流と並んで有名な忍術一派だろう。
最も活躍したのは今から九十年前、六角と足利幕府の間で行われた長享・延徳の乱。六角に属した甲賀衆はゲリラ戦を用いて足利軍に抵抗したのだとか。
「まぁ……これで3度目ですからね」
この長享・延徳の乱は別名、六角征伐と呼ばれており、2度に渡った戦いを繰り返した。
そして今回の上洛戦。主に六角家との戦いだったためか、義秋公は鼻高く3度目の六角征伐だと宣っているのだとか。
長享・延徳の乱で活躍したのが織田敏定。つまり信長様の曾祖父である。
一族揃って六角を衰退に追い遣っているのに、その家臣である甲賀が織田方に付くとは到底思えない。
「織田への憎悪は計り知れないであろうな」
「ですね〜……仕方ないっちゃ仕方ないですけど」
後は野となれ山となれだ。
アキラとしては正味どうでもいい。そんなことより家に帰りたい。愛智に帰して。
「して、今回其方を呼んだ理由だが、陰陽寮のことである」
「…………あ〜」
「案の定、忘れていたな」
そういえばそうだった。
八瀬童子の件で記憶が全部飛んでた。そういえば報奨として望んでたな、陰陽寮の資料。
とは言っても、資料より事細かく事情を知ってそうな晴明さんがいるからなぁ。必要なくなったんだよなぁ。
「当主の賀茂某は九州に行っているそうだ。いま入寮することは出来なさそうだな」
「そうっすか。それならそれで別に大丈夫です」
「別の報奨を用意し――」
「有難い申し出ですが辞退させていただきます」
「……まだ何も言っていないだろうが」
だって嫌な予感しかしないんだもの。
再三言うがアキラは武士ではない。土地も名誉も城も必要ない。
いややっぱり金は欲しい。扶養者になってからは何かと入り用なのだ。決して足りないわけではないが、養育費はあって困る物ではない。
「じゃあお金ください」
「其方は銭しか求めんな。守銭奴か?」
「いえ違いますけど、あって困る物ではないでしょ」
「昔、そう言って困っていたのは其方であろう」
……そういえばそうだった。
あの時は柴田殿が手伝ってくれたが、今回はそうはいかない。距離が距離だし、場所が場所だ。
清州で貰ったとしても、荷運びを手伝ってくれそうな怪力達はしばらく京都から動かない。
「…………」
「報奨の内容はこちらで決めさせてもらうぞ、良いな?」
「……嫁と城は要りません」
「頑固よな。ここまで深く入り込んだのだ。織田家臣になれば楽なものを」
簡単に言ってくれるな魔王サマ。
そりゃ別の世界に行くかも知れない、なんて考えるわけもないが。
別の世界……あ!
「そうだ、刀!」
「刀……?」
「今回の報奨の話です。義元左文字に触らせて頂けませんか?」
「左文字にか?」
「はい、それだけでいいです」
「…………」
庶民が大名の刀に触れることは、普通はあり得ない事柄だ。
桶狭間で見たあの不可思議現象のこともあるし、これならちょっとした報奨になるだろう。
しかし信長はお気に召さなかったのか、少し眉を顰めた後――
「嫌である」
「なんでですか」
子供のように一言。
なんだこの魔王。いいだろちょっとくらい。
「何故其方に我が愛刀を触れさせるのか。理解に苦しむな。其方はいい加減我が叔母を娶るがよい」
「叔母!? いま叔母って言いました!? アンタ何歳だよ、てか俺と何歳差ですか。歳の差結婚迫られてる俺の気持ちも考えてください!」
「考えておるわ馬鹿者! 叔母と言っても我より年下である! 貴様と歳の差などないに等しいわ!」
年下の叔母ってなんだ。
てか俺よりも年上は確定なんじゃないか。婿候補はいないのか婿候補は。
「最近、嫁がせる予定だった美濃の国人が死んだ。我が師と同じく頭部のない死体が岩村で見つかった。着ていた衣服から、その国人だと確定したらしい」
「…………え」
「奇怪な話であろう? 最近濃尾で多く見つかっている、頭部が損壊した死体だ。まるで鬼が棲んでいるようだな」
「…………頭部のない死体」
最近見たな、そういう死体。
八瀬童子のような、元興寺のような人喰い鬼が、東美濃にいるのか。
確かに八瀬童子は生贄となった子供の頭部を食っていた。それは見ている。発見された死体が鬼の食い荒らし跡と一致しているのは不安だな。
「急ぎ我が兄と岐阜の留守居を向かわせている。これで東美濃の支配は完了するであろうが……まぁ、問題は山積みよな」
もし鬼が相手なら、相手をするべきは間違いなくアキラとなるだろう。
サシで腕力に対抗できるのが腕力だけなように、サシで神秘に対抗できるのは神秘だけ。
「…………なるほど」
「それはそれとして、どうなのだ。我が叔母を娶る気にはなったか」
「なりません。そろそろ諦めてください。俺の奥さんは優梨だけです刀を触らせてください」
「嫌である。其方こそいい加減折れるがよい」
この問答は後1時間ほど続き、ヒートアップしたところで寺の住職に止められるまで続くのだった。