59話 想いを込めた名前
翌日。
無事観音寺城を落とした信長が上洛し、これにて織田家の上洛戦は終焉を迎えた。
西に聳える三好の壁と、南の伊勢の敵意、そして北の朝倉の脅威に目を瞑れば完璧だ。
昨日の出来事は天神様のお怒りだ、と京の民は畏れ轟音の正体には気付かずにいた。
気に掛かるのは今回の件と信長上洛を紐つけられないか如何かだ。
天神様のお怒りじゃあ、とか宣って信長排斥運動が始まったら目も当てられない。
まぁそこは信長も上手くやるだろうし、アキラの心配するところではない。
見るべき問題は他にある。
「団子美味いか?」
「はむ、はむ……んぐ。はい、おいしいです」
「そうか。急いて喉に詰まらせるなよ」
昨日拾ったこの少年。
聞いてみれば、物心ついた時には親はおらず、親と呼べるのも最低限の言葉を教えてくれた教育者だけらしい。
その教育者というのも胸糞悪く、初めから八瀬童子の生贄として見ていたのだとか。
当人である少年は首を傾げるだけで、生贄として見られていた自覚はない。
初めからそれが当然と考えるように教育されていたのだろう。名前を聞いた時には――
「ないです」
「ないのか」
「ぼくたちは10人でひとつだったので。だれかが呼ばれる時は、全員が呼ばれる時でした」
「ああ……なるほど……」
扱いが家畜のそれである。
一人個人を人間ではなく物として見る。マグナデアの奴隷市場でもあった光景だ。
奴隷文化の悪いところ。というか、悪い文明そのものだな。後世に残らなくて本当に良かったよ。
「キミを呼ぶ時は大変になりそうだな」
「では、名を下さいませんか?」
「……うぇ?」
予想外の願いにアキラは団子の串に咥えたまま思考を止めてしまう。
幸い喉に詰まることはなく、んぐっと焦って飲み込んだ団子を息苦しく感じながら少年を諌める。
「いや、いやいや。俺なんかボキャ貧もいいとこよ? 寺とか神社とか行って名前貰った方が縁起の良い名前貰えるって」
「ぼくは縁起のいい名前よりも、ぼくが敬うべき人から名前を貰いたいです」
「敬う……ヒーローかなんかだと思ってる? 違うよ? 俺ただの寺子屋の先生だからね?」
少年は再び首を傾げる。
言葉の意味が理解出来ないのか、或いは何故ダメなのか理解出来ないのか。
いやダメではないんだけどね? 普通そういうのって、寺とか神社の聖職者さんに名付けてもらうのが至極当然って言うかね?
「兎に角ね。俺は人に名前を付けるなんて出来ないから」
そう言ってナズナを思い出す。
あの時はリーシャが名付けたんだっけ。理由は教えてもらえなかったけど。
お陰で名前を付けるという行為のコツが不明のままだ。ナズナって良い名前なんだけどねぇ。
「そうですか……」
目に見えてシュン、と落ち込んだ少年。
……うーん、ここまで来ると悪いことをしているよう感じてしまう。
「そうだなぁ……じゃあ条件を付けるのはどうだ」
「条件、ですか?」
「うん、昨日のことは誰にも言わない。言わなければ名前をあげる。これでどうだ」
「……それだけでいいんですか?」
出し渋って末に付けられた条件が、凄く容易いことに疑問を抱いたらしい。
少年の疑問にアキラは首肯して答えた。
「昨日のことは俺の弱みだからな。あまり人に伝えられたくないんだよ。変に奉られても面倒だしね」
歴史書に載せられてみろ。
水爆レベルの、というか水爆そのものというやばい爆発を手動で、しかも材料なしでの大爆発である。
歴史を歪ませるどころの騒ぎではない。歴史に一つの楔が打たれるレベルの大惨事が起こってしまう。
そんな薄汚れた渦中に入りたくない。
名前一つで口の尾を縛れるのなら、むしろアキラとしては有利な条件なのである。
「残念ですが、わかりました」
「うん、よろしい。……にしても名前かぁ……」
どんな名前がいいんだろう。
下手に適当な名前を付けて、後からペットの名前みたいと言われるのだけは避けなければ。
だが縁起のいい言葉だったり、名付けに関しての語彙力があるわけでもなし。
「名前に想いを込める、か……」
ナズナの名付けの時、リーシャが言っていた。
『名前の通り生きようとしても難しいだけですよ。だからせめて、その名に相応しい人物であろうと努力するのです』
その名の通りに生きて欲しい、とは親のエゴだ。子供にとっては必ず厳しい道となる。
だからこそ名前に相応しい人物になって欲しいと願い、子供に名前を付けるのだとリーシャは言った。
「……俺の名前、欲しいか?」
「お兄さんの名前ですか?」
「うん。皓って書くんだけど、どうだ?」
「欲しいです。お兄さんの名前」
「そっか、じゃあ……」
アキラは木の枝で地面に文字を描く。
カリカリと音を立て、次第に二つの文字が出来上がった。
「『良皓』なんてどうだ?」
自分よりも良い人生を送って欲しい。
想いを述べるとしたらそんなところか。
今まで人でない生を送ってきたのだ。自分よりも良い人生を送って欲しいと思って罪はないだろう。
「良皓……良皓……」
「嫌だったら他に考えるぞ」
「嬉しいです。有り難く頂戴します」
ふにゃ、と笑顔を見せる良皓。
その笑顔にアキラも笑みで返し、ガシガシと良皓の頭を撫で回してやった。