表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
139/173

50話 六角捕縛

 箕作城から開かれた戦の火種は六角領に一日も掛けずに大きく広がり、遂には南近江を侵食するまでに至る。

 上洛軍の総指揮を務める織田信長は、敵の本拠地である観音寺城に直接進撃し、六角家を脅威を与えていた。


 観音寺を覗ける丘上に布陣した信長は、柴田勝家、森可成と共に伝令兵の報告を聞いた。


「報告! 箕作城陥落せり!」

「ほう。流石は参謀殿よ。布陣から一日も掛けずか」

「美濃平定の頃から片鱗はありましたが、やはり嘉瀬殿は稀代の知将ですな」

「知将と言うには些か奇妙ですがな。箕作城内部でいきなり爆発が始まるなど」


 可成が疑問を抱くが、それも勝家によって一蹴される。


「事前に敵内部に味方を作ったのだろう。六角はいま当主と重臣の仲が悪い。調略するのも容易かろう」

「なるほど。それなら筋が通る」

「なんにせよ、箕作城は落ちた。援軍の兆しさえなければ六角に命はない」


 信長がそろそろ行くか、と立ち上がると同時に、伝令兵が懐をガサゴソと探り一枚の手紙を差し出す。


「もう一つご報告が。嘉瀬様より献策の書状が御座います」

「ほう。参謀殿からの献策か。これは期待出来ますな!」

「柴田殿。彼は観音寺の城を知らぬはず。あまり期待しすぎない方が宜しいかと……」

「その通りだ権六。奴は城の形を知らぬ。信じすぎるのも善くはないぞ」

「は、はい……」


 しょぼくれる勝家を他所に、手紙を受け取った信長は開く。ふむ、と一通り読み終えると、策ではなく字についての感想を述べた。


「字の形は又左だが知恵は参謀殿だな。参謀殿はまだ字が綺麗に書けないのか」

「それで、なんと?」

「急かすな……策は攻城ではない。地理よ」


 信長の回答に可成は首を傾げる。

 勝家も同じくピンと来ていない様子だ。


「地理?」

「『観音寺城攻略については何も申しません。そちらはすぐに落ちますので。問題は一色龍興のように逃げ出す可能性です』とな」

「逃げる可能性ですか。確かに失念していましたな」

「である。いまの兵の様子を見るに逃げ出してはいないようであるな。決めるはいまか」


 信長が言うと勝家は乗ってくる。


「逃すわけにはいきませぬな!」

「権六うるさい顔が近い。だがその通りだ。手紙の続きを読み上げる――――」



ーーー



 観音寺城。城郭内。

 箕作城陥落の報は六角にも伝えられていた。報告する伝令兵は


「報告! 箕作城、陥落!」

「な、なんと! 一日も経っておらぬぞ!」

「確かに箕作城は東からの侵攻に弱い。だが吉田出雲守がいるというに、まさか一日も持ち堪えぬとは……」

「吉田出雲守は! 奴は何処じゃ! 首を落として晒し首にしてくれる!」


 発狂して騒ぐのは六角義治ろっかくよしはる

 騒ぐだけ騒ぐ彼に対し、六角家臣からの視線は冷たい。


「落ち着け右衛門督うえもんとく。騒いでも何も起こらぬ」

「しかし父上! 箕作城が落とされたのですぞ!」


 義治の罵声に待ったを掛けたのは、彼の父であり御隠居である六角義賢。法名を承禎じょうてい

 剃髪した頭を抱えて、己が息子の愚かっぷりを嘆くように承禎は義治の狂乱を諌めた。


「織田には奇策師がいると聞く。其奴にまんまとやられたのだろう」

「織田の参謀ですか! 其奴を殺さねば!」


 嘘か真か判別のつかない風聞を流し、美濃の民を残らず織田派に変え侵攻を助けた奇策師。

 表舞台に出てきていない為名は伝わっていないが、箕作城の即落城はその者の策謀なのだと承禎は語る。


「殺すも捕まえるも、まずは今を打破しなければ始まらぬ。織田軍に勝てる策を持つ者はおるか」


 承禎は家臣達に問いかけるが、誰として手の上がる者はいない。

 そも旗色の悪さは明白。今更織田軍に一撃を入れることが出来たとして、箕作城からの救援が来てしまえば戦況は再び元に戻る。


 六角にとっては完全な負け戦だ。


「そうか。ないか」

「――――逃げましょう父上。名門たる六角の血が、ここで途絶えるわけにはいかない!」

「逃げるのも一つ。だがこの数の家臣は共には出来ぬぞ」


 承禎が言うと義治の目は家臣達に向かう。

 そして一喝。無様に唾を飛ばして叫んだ。


「其方ら! 六角家臣であるならば、その命を捧げよ! ここを耐え凌げ! その間に我らは観音寺から――」

「殿! それはあんまりではないですか!」

「貴様! 俺に逆らうか!」

「落ち着け右衛門督!」


 再び狂乱し始める義治を承禎は諌め、落ち着いたところを刺すように言葉を挟んだ。


「……その奇策がなくとも織田は強い。最悪降伏することになるだろう。右衛門督よ、覚悟はしておけよ」

「…………ぬぅ」



ーーー



 冗談じゃない。死んでなる物か。

 名門六角家としての矜持を捨てきれない六角義治は、日の落ちた夜半に一人、甲賀の者たちが住む山中に向けて走っていた。

 運がいいのか悪いのか、丘上に布陣した織田軍にも、そして主家である六角家家臣にも気付かれた様子はない。このままであれば逃げ仰るだろう。


 このまま甲賀に逃げた後、甲賀の者の力を借りて石山を目指す。そして三好を頼って再起を図ろう。

 管領に引き立ててくれると言った彼の者であれば、自分の身柄も保護してくれるだろう。根拠のない自信が義治の胸中を支配する。


「……信長め。参謀め! このままで済むと思うなよ!」

「態々大声を出さんでもそのつもりだ」


 思わず漏れ出た心の声に反応する声が一つ。

 外黒中赤の西洋マントを羽織り、義治を睥睨するように闇の中に立っていた。


「き、貴様! 何者だ!」

「わからぬか。我は貴様を知っているぞ。六角右衛門督義治であるな。お初にお目に掛かる、織田信長である」


 織田信長。

 尾張、美濃を十年で平定し、現在将軍を伴って近江に侵攻してきた侵略者。

 濃尾平野を繁栄させ、その有り余る力でいま六角を滅さんとしている忌むべき仇。


「貴様が織田信長か!」

「貴殿が逃げ出すであろうことは一色攻めで想定済みでな。甲賀の里に逃げるであろうと参謀殿に言われ来てみれば、だ。よもや本当にいるとはな」

「参謀……彼の織田の奇策師か! 此処におらずとも邪魔をするとは……!」

「彼奴がなくとも六角は落ちていたであろうがな。尤も、彼奴がいなければ其方が我が眼前に出ることもないが」


 史実の話をしよう。


 織田信長が自ら主導した観音寺城攻めだが、織田信長が布陣した夜に六角父子が姿を消した。

 当主のいなくなった観音寺城は、六角の重臣達によって無血開城に近い形で信長に渡された。


 六角承禎、義治親子はそれぞれ甲賀郡と愛知郡の城に籠り、第一次織田包囲網が始まると信長を同時に苦しめた。結局は敗れてしまうが戦国を生き抜いたのである。


 そんな義治だが、ここで捕まってしまえば史実とは違ってくる。

 もう少し上洛戦が遅ければ、或いは聡明な父と共に逃げていれば史実通りになったかもしれない。


「ここで貴様を討ち取れば、戦況は大きく変わろう……! 一騎打ちをしろ、信長!」

「するわけなかろう。何を勘違いしておる。貴様一人を捕まえる為だけに、我が一人で出向くわけがないだろうが」


 信長の言と同時に、近くの草むらから織田木瓜の旗印の兵士達が次から次へと出てくる。

 その織田木瓜の中に一つだけ、義治にとって最も見慣れた隅立て四つ目紋……六角の家紋があった。


「な、貴様! 何者だ! 何故その家紋を持つ!」

「箕作城代が吉田出雲守様の許しを得て、織田家当主である織田信長を右衛門督様の元へ案内しただけに御座います」

「ふ、ふざけるな! 潔く死ねば良いものを織田なんぞに降りおって! だ、だいたい何故俺が此処にいるとわかった!?」

「『北は琵琶湖、西は上洛先の京、東は危険な織田領なれば、逃げるとしたら南。ああ、そういえば南には甲賀がありましたね』」


 義治の言葉に信長が答える。


「これは参謀殿の言葉だ。その言葉と共に連れて来られた兵に案内されてみれば、というだけのことよ」


 アキラは冷静に考えれば出てくるだけの知恵をドヤ顔で語ったである。

 まぁ城を殆ど無傷で落とした上、敵方の信を得て南近江の案内役として此方に寄越したのは見事な采配だが。


「ああ、ここまで見抜かれているとは露とも思うまい、とも言っていたな」


 ちなみに後者は後付けである。

 アキラはそんなこと言ってない。


「許さぬぞ、織田信長! 許さぬぞ、織田の参謀! 必ずやこの義治が貴様らを処してくれるわ!」

「出来ると良いがな。連れて行け!」


 やがて義治は磔にされ、切腹も殺されることも許されない恥辱を味合わされながら人質にされた。

 この人質が承禎、ひいては六角家への降伏を促す馬印なるのだが、これはもう少し後の話である。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ