12話 逃げ出せ 商人の馬車
太陽が殆ど沈んだ時間帯。薄暗い森の中に宵闇がせまる。
森の中には獣はおろか、魔物でさえも出ると言う。その中には人を喰らう雑食性を持つ危険な《人喰らい》もいると言うが、その真相は定かではない。
その理由は何故か。無論、そんなもの考察するまでもない。雑食の獣に出会った者の末路は決まっている。骨も残さず喰らわれるからだ。
薄暗い雰囲気とマッチして、その噂も知っている違法奴隷商の彼等は、敏感に周りを見渡しながら会話を進める。
「なぁ……本当に大丈夫なんだよな?」
「あん? 何がだよ?」
「勇者のお供なんて拐ってきたら、それこそ俺達は狙われるんじゃねえか?」
「なわけねえだろ、心配性だな。そもそも俺達が拐った証拠なんて出るわけがねえんだから、詰めてきても言い返すことなんて出来るだろう」
「そりゃそうだけどよぉ……」
勇者はこの世界にとっての救世主。そして救世主のお仲間には、とんでもない希少価値が付いている。奴隷商にとってはこれ以上ない高値の売り物であるのだが、逆に言えば普通ならそんな高層の者が売れるはずもない。王国で連れて歩いた瞬間、衛兵に見つかって尋問されるのが常道だろう。
『勇者の仲間』と言う箔がついているだけで、その者は国公認の貴族様だ。表舞台で売ったりしたら騎士団が有無を言わさずに攻めてくることは間違いない。
しかしこの奴隷商達が属しているのは“表”ではない。天地無用の無頼漢達が蔓延る“裏”の世界。裏の世界では違法奴隷の需要が高い。ましてや有能な奴隷なんて、詐欺や窃盗、略奪、殺人が行われている裏の世界では簡単には見つからない。
美女美少女美男子、そして有能な物こそ、彼等の欲する人ならざる材料である。
「帰ったら娼館にでも行くか? 少しは頭がすっきりするかもしれないぜ」
「そうだな。じゃあ俺は人魚族でも頼もうかな」
「馬鹿。お前、どういう神経してんだよ。人魚族は観賞用だぞ」
「金を払えば売ってくれんだろ」
「なわけねえだろ。ただでさえ数が少ねえんだから。それにあいつら魚だぞ」
「それが良いんだろうが」
「……何言ってんのかわかりたくねえな」
ゲンナリして言う。
それもそのはず。人魚族は上半身で美しい人間の顔を持っていたとしても、下半身は尾ヒレのある魚そのものだ。とてもヤるには向いていない種族であると同時に、住んでいる場所のせいで仕入れられる数が圧倒的に少ない種族だ。
売るにしても買うにしても、自分達が持てる金で売ってくれるか分からないほどの高値になる。
それを知っていて言っているのであれば、隣の彼は相当な疲れが溜まっているのだろう。自分達が恐れる騎士団が多くいるであろう勇者の陣地に侵入したのだから、当然と言えば当然だが。
「……? あぁ、どうやら起きたみたいだな」
「勇者様のお仲間様か?」
「ああ。まぁ、蟲付きがアイツに状況を説明してくれるだろうから、俺たちは別に荷台には乗り込まなくてもいいな」
「出てきたら顔は絶望に染まっていましたとさ、ってか?」
「ははは、そうだと面白いがな。仮にも勇者のお仲間だ。そんな簡単には絶望なんてしないだろうさ。何処かに希望はある! だなんて機会を伺ってるんじゃないか?」
荷台が少し騒がしくなった。おそらく今拐ってきたお偉いさんが眠りから覚めたのだろう。このまま寝ていれば、おそらく救いの道があっただろうに……、彼等からしてみれば、そんなことは心の内でも思わないだろうが。
そんな他愛無い、それでいて非道徳的なことを、飽きるまで永遠と話していると――
「……うおっ!?」
「ぬぁっ!?」
ガタンッ! と大きく馬車が揺れた!
まるで地面が揺れたかのような大きな振動に、奴隷商達は思わず奇声を上げる。
しかしそんなことをやっている場合ではない。今のはおそらく馬車の荷台からの衝撃だった。つまり奴隷達が何かをやっているのは自明の理。馬の手綱を持っていない男に任せる。男は荷台の天井に登り――そして、見つけてしまった。
「……なっ、うわぁああ!?」
「どうした!? 何があった!?」
「マ――《|人喰らい》だァああ!?」
顔は薄暗い森の闇が黒く塗りつぶしていて、胴体から下は荷台が隠して見えていないが、それだけでも人2人くらいは覆える大きさを持っていることは想像に難くない。
人の数倍の大きさを持つ腕で荷台をバンバンッ! と叩いている。ホラー映画のワンシーンとして出てきそうなくらいにバンバンッ! してる。
「は、早く走れ! 食われるぞ!」
「奴隷共はどうすればいい!?」
「放っておけ! 死ぬぞ!」
荷台を馬から切り離し、奴隷商達は馬に乗って逃げ出した。奴隷は物であるため、失くしたとしても心が痛まない。彼等の行動は当然と言えるものだった。
パカラッパカラッ! と蹄の音を立てて、全速力で逃げ出す奴隷商達の背後から、鋭い眼光が睨み付けている。
無論、人喰らいなどと言う魑魅魍魎などでは決してなく、人が向けるジトッ……とした細い視線だった。
「上手くいったが……まさか俺達を置いて逃げ出すとはな」
「あれが人間の本能ですよ」
もはや達観するかのようにため息を吐く少女と、作戦通りなのにすっきりしない心持ちの少年。
アキラとリーシャだった。
リーシャは荷台にへばりついた土塊を見て、感嘆の息を吐いて、少年が仕出かした操術の結晶を見上げる。
「にしても……こんなものでよく騙せましたね」
「本当にな。俺もここまで上手く事が運ぶとは思っていなかった」
アキラが提示した作戦はこうだ。
まずリーシャに馬車の床にほんの少しだけ穴を開けてもらう。無論、音を立てないくらいに弱い魔法でだ。そこからアキラが手を伸ばして土に手を添えて、操術の魔力を流し込む。
アキラは文献を漁っている時に《人喰らい》と呼ばれる種類の魑魅魍魎がいることは確認済みだった。そしてこの森の中にも出ると言われていることは馬車に同乗していた騎士から「気を付けろよ」と言われて知っていた。
正体不明で詳細不明。見たもの全てが食われると言われている生き物がいると言う噂話程度の物だ。ソニー・ビーンみたいなカニバリズムを持つ人間やら人喰い虎のような人肉を食す生き物がいる、なんて噂話は、アキラは端から信じちゃいない。
噂は噂でしかないのだから。
しかし火のないところに煙は立たない、と言うことわざもあったりする。それを存分に活用させた化け物を、アキラに与えられた役割である操術で作り上げ、奴隷商共に披露してやったのだ。
顔は出来るだけ怖くして、手も出来る限り大きく、そんなことを考えながら作っていたら、いつの間にかよくわからない蜥蜴のようなバケモンが出来上がっていた。
「いや、我が人形ながら怖えな、これ……胴体ないし」
頭や首、そして巨腕に集中するあまり、胴体を作るのを忘れていた。そのせいで、この土人形は少し……いやかなりグロテスクなことになっていた。
とまれ、予想通り馬車は止まって奴隷商達は逃げ出して行った。これで後はこの場から逃げ出せば良い。つまり事実上、アキラとリーシャは晴れて自由の身となったのだ。
「どうだ? 自由の身になった気分は?」
「どう、と、言われても……」
アキラは両手を伸ばして背伸びをし、リーシャに向く。片目を閉じて「どうだ?」と問う。リーシャは困ったように俯いて、自分の指を絡ませながら、いじいじとしている。
「とりあえず……最高じゃね?」
ニッ、と口角を上げて笑うアキラの顔には、どうだと言わんばかりのにやけたドヤ顔が張り付いていた。隠そうとしているのか頬がピクピクと諫めているが、しかしまったく隠せていない。
「一時凌ぎですけどね……でも、最高です」
ふっ、と笑うリーシャは、先々に訪れるであろう苦難の道に不安を抱きながらも、解放された嬉しさと、ドヤ顔を浮かべるアキラにちょっとした苛立ちを含んだ苦笑を浮かべるのだった。
森の闇は、さらに沈む――