38話 秘した想い、秘した対話
「う〜む……」
岸孫六。現在2歳。
年端も行かない男の子であるのに、子供を置いて畿内へ向かったあの父親よりもしっかりしている。
こんなにしっかり者なのだ、将来は有名な武士になるのだろう、と記憶を少し遡ってみたらとんでもない事実が発覚した。
加藤嘉明という大名がいる。
三河岸氏の生まれであり、史実では流浪の末に長浜城主となった秀吉の子飼衆であった武士だ。
察した方もいらっしゃると思うが、岸家の嫡男である孫六くんのことである。まじでとんでもない爆弾置いて行きやがったなあの男。
「どうすっかなぁ……」
羽柴と柴田が対立した賤ヶ岳。
ここで孫六くんは戦功を挙げて、賤ヶ岳七本槍の一人に数えられる活躍をすることになる。
そして関ヶ原の戦いでは東軍に呼応し、伊予松山藩と陸奥会津藩を背負って立つ藩主に成長すると……
「…………どうすっかなぁ〜…………」
一武将ならまだわかる。
だが将来の藩主、つまり国持ちの大名である。もし教育ミスって死んだりしたら(死なすつもりは毛頭ないが)、あの教明にすら合わす顔が無くなる。
「プレッシャー……えぐ」
「アキラくんまだ悩んでるの?」
「そりゃ悩むよ……未来の大名が自分の子供だよ?」
「うーん……」
ため息を吐くアキラに優梨は怪訝な目を向ける。
「アキラくん。やっぱり考えすぎだよ」
「そうかなぁ」
「私たちの子供になったんだからさ。難しいこと考えないで、千代ちゃんみたいに一所懸命育てればいいじゃない」
いや何も考えずにいようとはしたさ。
けどやっぱり責任感の大きさが異常すぎて、見て見ぬふりが出来なくなっている。
未来を知っているとこんな苦悩があるんだね。二次元で過去にタイムスリップしている先輩方すげえな。
「でも教育が行き届かった結果、子供が死んだら嫌でしょ?」
「それは確かにそうだけど……え? そういう話だったの?」
「……まぁ遠からず近からず、かな」
変に歴史が変わったら嫌だなぁという話である。
昔っからある想いだが、バタフライエフェクトとか本当に勘弁したい。
ーーー
「………………来たか」
織田信長の居城・岐阜城。
評定の間にて一人座るのは、濃尾の国主である織田信長その人である。
信長は襖の前で立ち止まった微かな床音を耳にし、襖の前に立った者の素性を即座に看破した。
「入れ」
「……はっ」
入ってきたのは華奢な男。
胸には鮮やかな水色桔梗。さながら枝垂れ桜を連想させるゆったりとした立ち振る舞いで、ゆっくりと開いた襖を閉める。
「よく来たな使者殿。近う寄れ」
「お気遣い痛み入りまする。なれど私は使者なれば、あまり寄るのは宜しくないかと」
「我が家臣にも秘した会談だということを心掛けよ。誰ぞに漏れたら如何する」
一番遠い畳の上に座ろうとした男は、信長の声を受けて立ち上がる。
「それに我らは親族に近い。何を遠慮する必要がある」
「では、お言葉に甘えて」
立ち上がった男はスタスタと足音を鳴らし、信長の近くに寄って座る。
まさに鼻先寸前。近すぎるったらありゃしない。濃尾の覇者相手にこの度胸。見上げる物がある。
「ふはは。素直ではないか」
「言ったのは信長様でしょう。此処より先、遠慮は致しませぬ」
素直というか何というか。
肝っ玉もここまで来たら死に急ぎである。怯む様子のない男は、しかし近すぎると思ったのか一歩下がる。
「では僭越ながら、名乗らせていただきまする」
信長は満足そうに頷いて口角をニヒルに上げる。
男は頭を三秒ほど下げた後、ゆっくりと顔を上げて静かに名乗る。
「明智十兵衛光秀。信長様の召喚を受け、此処に罷り越しました」
明智十兵衛光秀。
信長にとって……否、それだけではない。
アキラにとっても運命の男となる人物である。