37話 戦国の子
突然の来客があった。
アポなしで訪れたこの親子は、三河から来た者なのだという。また三河一向一揆関連か、と思ったがまさしくその通りのようで。
一向宗として松平軍と戦っていたが、一向宗が形勢不利に陥るとさっさと退散して尾張国に逃れた来たらしい。
「お初にお目に掛かる。某、岸三之丞教明と申す。こっちは我が嫡男である孫六です」
「はぁ……嘉瀬アキラです。横に座るのが……」
「嘉瀬優梨です」
アキラの隣でぺこりと頭を下げる。
「夫婦で営む寺子屋と聞き及びましたが、これほどお若い二人の経営とは。某、少々驚きましたぞ」
「あはは。よく言われます」
この5年でどれほど成長したかというと、数値換算で2人とも限りない0である。
合計値0とか笑えない話でもあるが、23歳にもなって身長が160センチ代とか笑えない。
20を超えた平均身長なんて170だぞ。
一ミリも成長しないなんてことあるか!
……秀吉を思い出して気を沈めよう。
「それでこの度は如何な御用ですか?」
「単刀直入に申します。我が愚息を猶子としてお引き受け願えませんか?」
……えぇ……
初めましてで恐縮だがドン引きだぞ。
なんだ我が子をオタクの子供にしてくれって願いは。ウチは託児所じゃねえんだぞ。
「それは如何なる理由があって?」
「我が岸家は一向宗に与した挙句、沙汰を恐れて流浪の旅に出ました。今の苦境は我が不徳の致すところです」
「……まぁ、でしょうね。主家を裏切る者の末路ですから」
「ははは。これは手厳しい」
優しい方だと気付けバカタレ。
信長に会ったら即三河に返還される程の事だぞ。そうなったら首ちょうぱは免れないだろうな。
松平は家臣には甘いが、裏切り者にはとことん厳しい男である。沙汰も受けずに逃げ出した男など、眼中にすら入れないだろう。
松平の元で働いていたのなら、その程度のこともわかっているだろう。
わかっていないのであれば、間違いなくこの男は見立てが甘すぎる。冗談でなく本気で死ぬぞ。
「それで御嫡男を預けようと思った由は?」
「これから機内に行こうと思っていましてね。今、畿内は揺れ動いていますので、そこで手柄をあげられればと」
「……危険ですよ。死地に飛び込むようなものです。現在の畿内の情勢はご存知ですか?」
「いいえ、知りません。しかし虎穴に入らずんば虎児を得ず、と言いましょう。自ら動かねば勲功を得られないのです」
……救いがねぇ。
今の畿内は三好、足利、松永の殺伐とした状態だ。混乱の渦中にある、と言っても過言ではない。
行けば戦に駆り出される。猫の手は尽き、今度は鼠の手すら掴もうとしている者達がひしめき合っているのだ。
行けば死ぬ、と思ってもいい。
止める理由もないが、それでも人が死ににいくのは見てられない。大人しく帰農したらいいのに。
「……さしもの貴方も子供は連れていけない、ということですか」
「ええ。それに嘉瀬様は、当代一勢いのある織田家とも蜜月の仲にあるとか!」
「……蜜月とはいきませんが。そうですね、優遇はされています」
「であれば預ける家として不足はありますまい」
嫌なやつだなこいつ。
つまり値踏みしてから来たってことじゃないか。してもいいけど暗に匂わせるなよ。
「……孫六くん。兄弟はいるかい?」
「はい。姉が2人おります」
「そっか。教明殿。御息女2人は?」
「2人とも嫁に出していますよ。女は早いうちに旦那に侍るのが戦国の常ですからな。そう思いましょう、優梨殿」
「…………」
「…………こいつ」
優梨は表情をぴくりとも動かさず、アキラは嫌に動く表情筋の固定に苦しむ。
中世的な考えだ。いや中世だから仕方ないが。
……そう、仕方ない。
恋愛結婚出来る方が稀なのだ。娘の安全を願うなら嫁がせるのが第一の策である。
だが言い方が気に食わない。人の生き方を無視している言い草だ。あくまで自分本位、子供は駒か。
こんなやつに子育てが出来るわけがない。
「わかりました。では孫六くんは嘉瀬家がお引き受けしましょう」
「おおっ! 引き受けてくださるか! なんとありがたいことか! この教明、嘉瀬殿に心からの感謝を致そう!」
アキラの手を包み感謝を述べる教明。
放せ。おっさんの手汗とか触りたくもない。
助けて優梨。なんかこいつめっちゃ馴れ馴れしいんだけちょっと待ってすげぇ白けた目してない?
違うからねこれ俺からじゃないから! このおっさんからだからって傍から見てもわかるでしょ!?
「では任せましたぞ! 孫六、父はこれから畿内で一旗あげてくる! これからは嘉瀬殿を父と呼ぶようにな!」
「え、ち、父上もお達者で!」
善は急げと立ち上がり、孫六くんを置いて古屋を出ていく教明。
そんな父親の背中を見て、少し寂しそうにしながらも元気に送り出す孫六くん。健気だなぁ。
「…………キミもそれでいいのか、孫六くん」
「はぁ。父にはこの世は時勢が大事。何を捨ててでも己を守り、主を守り、手柄を立てるのだ! と教えられました」
「せめて主を前にしろよ……いや命を大事にするのはいいことだけどさ」
いい意味でも悪い意味でも武士らしくない。
言っちゃ悪いが下級武士なんてあんなものか。自分の功が子供にも伝わり、御家の栄華に繋がるこの時代。
血眼になって手柄を立てようとするのは、足軽大将にも満たない下級武士の習性と言っても過言ではないだろう。
その点では参謀という役につけたのは有難いことである。
戦場に出ずとも手柄を立てずとも、歴史の表舞台に影から干渉できる。
孫六くんが教明の血を継いでいるのなら、いずれ一番槍を欲しがる習性が少しでも出てくるのだろう。
ならばそこから矯正せねばなるまい。他所の子供がどう育とうと知ったこっちゃないが、養子となった子供であればそうは言ってられない。
「優梨」
「うん、わかってる」
優梨も同じ考えのようだ。
この子供を保身のできる大人に育て上げねば。
「千代、いるか」
「はい、義父上」
「とりあえず子供服を買ってきて。ついでに街を案内してやってくれ。孫六、この娘は千代。千代は……聞き耳立ててたろうからわかるな、ヨシ。これから姉弟になるんだ。仲良くな」
「は、はい! よろしくお願いします、義姉上」
「ええ、よろしく」
義理とはいえ姉弟となった二人だ。
このお使いを気に仲良くなってもらおう。
それはそれとしてだ。
「アキラくん。教明さん、帰って来れると思う?」
「……さぁね。人の命が途切れるのは、人が生きるのを諦めた時だから。あの人は案外しぶとく生き残るんじゃないかな」
「そしたら、また来るのかな……孫六くんを返せ、って」
「苦手意識ついちゃったかぁ。まぁ仕方ないか。…………返せって言われても絶対に返さないよ。あの人の生き方は危険だ。影響されたら俺が困る」
孫六は責任を持って立派に育ててやろう。返せと言われて返してやるものか。
「にしても息子か。本当に夫婦らしくなってきちゃったね」
「ふふっ。私は昔からそのつもりだよ」
「あはは。俺は優梨の枷じゃないんだかさ。好きな人がいたらそっち行っていいんだよ?」
「…………」
黙り込んでしまう優梨。
何か変なことでも言っただろうか。いや変なことは言ったか。少しあの男にアテられたようだ。
別のことでもして気持ちを切り替えよう。
「さて、子供達が帰ってくる前に飯の準備でもするかなぁ」
動き始めるアキラを、黙り込んでいる優梨は視線だけで追う。
アキラに聞こえない程度か。或いは自分に言い聞かせるための小声か。か細い声を出した。
「……枷、欲しいなぁ……」