36話 沢彦宗恩
家とはいっても結局は塾。
用途は古屋を使っていた頃と同じ。尾張に馴染むための嘉瀬塾は継続である。
まぁ周囲には慎ましく寺子屋を開いている若年夫婦と見られている以上、ここから先へは進めない。
とは言いつつも、嘉瀬は織田家に認められている家柄、という風潮もあるので庶民……つまり嘉瀬塾に通っている家の親御さんには良いイメージを持たれている。
ならそのアドバンテージを駆使しない理由はない。
「――というわけで、何処かいい土地はないですかね。あっ、美濃ではなく尾張の方で」
「……我に聞くな大うつけ」
尾張の土地を最もよく知っている人と言えば信長様だろう。
やって来たのは小牧山城。現在は滅ぼされて長島へと逃げ延びたらしい斎藤龍興の元居城兼、現織田家の主城である。
織田家参謀という名目と、お市ちゃんの師匠という肩書きを持つアキラは、織田家中には顔を覚えられている。そのため顔パスで登城することが可能である。
「昔、尾張で名を馳せていたのでしょう? なら土地勘で信長様に勝る者はおるまいと思いまして」
「おるまいが我に聞くことではなかろう。嘉瀬塾のある清州には我が家臣もいる。何故態々美濃に来た」
「佐久間殿はともかく丹羽殿とはあまり交友がないもので……やはり持つべきは土地勘のある君主かと」
「おいせめて顔を見せながら話せ。横を向くな前を向け」
やだなぁ。その言い方だと此方に疚しい心があるみたいな言い方じゃないですかあるんですけどね。
「……土地代まけてください」
「そんなことだろうと思ったわバカモノ」
この時代でも、土地を買うには金がいる。土地主となるのは無論、大名である。
正確には部下である家臣に掛け合って契約などの取次をするのだが、大名本人と掛け合えるのであれば話は別である。
「で、何処の土地が欲しい?」
「え、やった。いいんすか?」
「まだまけてやるとは言っていない。何処に家を建てるつもりなのだ?」
「愛智郡の物部です。漁村も近いので魚が美味いかなって」
近くには海苔やアサリの美味い三河湾、対岸にはエビで有名な伊勢湾もある。ここ近海は海鮮の宝庫すぎるだろ。
「目的は食か。うむ、確かに鰻は美味い」
「鰻は夏っすね。春はアサリ、秋はスズキなんかもいいですよ。ちょっと調理が面倒ですけど、冬はフグなんかも美味しいですね」
「フグか。確かサルが調理出来たはずだな」
「マジすか。秀吉のやつやるなぁ」
「彼奴は何事も器用にこなす故な。もう少し器量が良くなれば譜代として重用しようとも考えておる」
「アイツすっげぇな」
こうして友人か出世していくのを見るのは嬉しいが、同時にドンドンと離れていくような寂しさもある。
相手が未来の天下人だから仕方ないか。
「それでなんだったか。物部か? よかろう。そろそろ貴殿へ報酬を渡そうと思っていた頃合いだ。一等地を進呈しよう」
「まじすかやった。あ、ちなみに建築士の方とのコネってあったりしませんかね?」
「……強欲だな。よかろう。嘉瀬屋敷の建築には五郎左をつける。あやつの建築術は半端ではないぞ」
「まじですか。ありがとうございます」
ーーー
「ところで参謀殿。近々井口に居を構えようと思うておるのだが」
「いいんじゃないですか? 京にも近い要所ですし、人も金も集まりそうです」
「で、あるか。そこで良き名が欲しいと思うておる。何か良き名を考えてもらいたいのだが如何か?」
そこで史実を思い出す。
井ノ口……つまり稲葉山に移住した信長は、地名を岐阜に改めたという。
命名者については諸説あるが、信長の師匠であり仏門を通じて中華史にも詳しかった坊主・沢彦宗恩が有力である。
だがアキラは、この5年の間に沢彦の姿を一度も見たことがない。
本当にそんな御仁がいるのかとも思う。だが沢彦が開山したとされる政秀寺が小牧山にあるのは知っている。
「そういえば。信長様にはお師匠様がいるのではないですか?」
「ああ、沢彦師のことか? それがどうした?」
「俺は祝い言葉には無知でして。政秀寺を開山したという名高き沢彦殿に意見を乞うのも宜しいかと」
「我が師なら死んだぞ」
…………は?
「死んだ? 真ですか?」
「桶狭間の少し前にな。恐らく野盗にやられたのだろう。身包みを剥がされ、腕も足も散散に捨て置かれ、首は今も行方がわからぬ」
「…………」
「無惨と思うか? これが今の世だ。坊主も街から出ればただの人。少し良い服を着れば奪われる立場となる」
この時代に生きているはずの人が死んでいる。
アキラが手を下す前に、ほんの少しであろうと歴史が変わっている。
違和感はあったのだ。本来あるべき参謀がおらず、すんなり参謀役にアキラがつけた。
もしかして、だけど……
(既に歴史は変わっている?)
「…………」
「それで、我が師匠の死を知った参謀殿には、何か良き名は思いつかぬか?」
「……そうですね」
切り替えよう。
パラドクスが始まっていたとして、現状を知らなければ何も出来ない。
史実の地名は岐阜。周の文王が岐山の麓から中華を平定するまでに至る傑物へと成った、という故事に倣い『岐の阜』今の岐阜へ地名を改めた。
「――京、即ち天下を見下ろせる丘、という意味でも此処稲葉山に合致する名かと存じます」
「岐阜、か。良い名だ。何が祝い言葉に通じぬ、であるか。しっかり故事肖っているではないか」
史実に沿っているだけである。
決してアキラのネーミングセンスではない。史実の沢彦さん本当にありがとう。
……んで、もう一つ。
沢彦師匠がいないのであれば、代行しなければならない役がある。
「畿内の将軍を殺された今、濃尾を平定した信長様もこの大乱に巻き込まれましょう」
「であるな。先代の将軍である義輝様の御弟様、義秋様からの上洛要請も届いておる」
「資源豊富な濃尾を占めたなれば、天下に武を布くのは信長様の他にありません。天下布武を掲げるのは如何でしょうか」
「天下布武……天下に武を布く、か……。うむ、良き案である。織田が将軍に従い上洛することになった際、我が馬印として掲げようではないか」
これでいい。
史実の織田の参謀は沢彦宗恩。この人物が井ノ口に岐阜の名を与え、織田信長に天下布武を示したとされる。
アキラが代わりの参謀となったのであれば、岐阜の名も天下布武への道程も、信長に示さなければならない。
アキラの為すべきことは、史実で行った沢彦宗恩の業績の補填。変わってしまった歴史の修正。
『多分キミは見習った方がいいよ』
とは、かつてのアグノスの言である。
アイツはこの状況がわかっていたのだろう。見習うべきはこの世界の信長ではなく、史実の信長。
つまりこれからアキラが歩んでいく道の過程である、と。アキラの頭にある情報は少ない。だがそれでも、これから先アキラは非人道的な進言もしていかなければならないだろう。