11話 奴隷の烙印
ガタゴトと体全体が揺れている。
アキラはこの雑に揺らす揺籠のような感覚に覚えがなかった。ズキズキする頭を抱えて目を開く。目に入る景色は暗闇。奈落の底のような『闇』。
「ここは……」
「――起きたのですか」
痛む頭で物事を考えるのを躊躇って、口に出して現状を整理しようとするアキラに声を掛ける者がいた。
声のする方向を見ると、アキラの頭の少し上くらいから闇の中を照らすかのような金眼が見えた。
というか、少しだけ光っているように見えた。まるで猫のようなタペタムを持っているのか、とアキラは失礼ながらも思ってしまう。
目が暗闇に慣れてきて、少し目を細めるとその姿がはっきりと見える。
エルフだ。耳が長く、金色の髪。若々しく美しい小柄な美少女。儚さを思わせる外見から察せる年齢は15歳かそこらだろうか。
しかしその美しい外見とは裏腹に、着ている服はボロボロだった。ボロ雑巾のような布を適当に縫い合わせただけの汚れた服。脚には鉄球が付いた足枷。華奢な両手は縄で縛られている。
「……奴隷?」
「はい、あなたと同じです」
「――はぃ?」
奴隷? 俺が? いやいや御冗談を。
「……え?」
「はい」
「……いやいやいや」
「……」
くいっくいっ、とエルフの少女は右腕の袖を巻くって、腕を見るように伝えてくる。
「……」
躊躇いながらも少女の腕を見ようとすると、少女は俺の腕を掴んで爪を立てて攻撃してきた!
「イダァッ!?」
「……わ、わたしのじゃありませんっ」
なんだそういうことか。
攻撃する前に口頭で伝えてほしいものだ、と思いつつも今回に関してはレディに対して失礼なことをした俺が完全に悪いので、渋々と言った感じで俺は自分の腕を見る。
「な……っ!?」
右手首にはまるで2匹の蛇が絡み付いたような、そんな青い痣が刻み込まれていた。痛みはないが絞められているような不快な感覚がある。
アスクレピオスの杖……元の世界で現代社会の授業の時に習った世界的に有名な保健機関のシンボルを思い起こす。特徴だけを抜粋するなら、おおよそそんな感じだろう。
「なにこれ……」
「奴隷印。奴隷の烙印を押された人が刻まれる、この世で最も卑劣な魔導刻印。わたしにも刻まれてます」
くいっ、と少しだけ袖を巻くって右手首をアキラに見せる。そこにはアキラと同じ青い痣があった。そこに比類する意味は多く存在すると同時に、今の状況を決定付ける事実が存在する。
「え、俺売られたの?」
「違います。勇者一行が近くにいることを知った彼等があなたを攫ったんです。勇者一行の仲間ってだけで希少価値は高いですから」
少女は馬車席の前方を気力のない金眼で睨み付ける。
しかしその目には金色の憤怒が確かに燃え盛っていた。おそらく彼女も何らかの理由で彼等に攫われた身なのだろう。
それは完全に年頃の可憐な少女がするべきではない、俺の知らない抵抗者の目だった。
俺と同年代の少女が、こんな目をするくらいには俺よりも厳しい人生を送ってきたのだ。
「……ん」
しばらくの間出来た無言が包む空白の時間で、アキラは今わかる彼女の考察を広げ始めた。
アキラは気を引き締めるために背伸びをする。コキコキと腰周りを回して音を鳴らす。ふぅ……、と深く深呼吸してアキラは少女を見据える。
「なぁ、此処から逃げ出したいと思うか?」
なんの脈絡もなく、アキラは少女に問いかけた。
問いを投げかけられた面を喰らったように金眼を此方に向ける。しかし少女は再び俯き、アキラを視界から外して答える。
「無理です。奴隷印は効力を失わない限り、使用者にわたしの位置を知らせ続ける。逃れることなんて不可能です」
「そう? それでも俺は逃げ出したいけどね」
ふふっ、と少女は笑う。
奴隷に希望などありはしないと、絶望感漂う雰囲気を言外に伝えてくる。
「いくら……どれだけ、希望を持っても、無駄です。わたしは『蟲憑き』ですから」
「……むしつき?」
「刻印虫が、体内にいるんです」
聞き慣れない言葉にアキラは首を傾げる。
そんなアキラに少女は説明する。『蟲憑き』とは即ち、体内に蟲を持っている者の総称だと。
寄濁虫と呼ばれる蟲が、この世界には存在する。
この虫は寄生虫(この世界では刻印虫と呼ばれている)の一種らしい。この蟲は胃の内側に張り付いて、寄生されている生き物が摂取した食事の栄養分を摂る寄生虫。寄生されたら半年とかからずに死んでしまう危険な蟲。濁った水を好み、汚染された水源に発生するが、基本的に汚れた場所なら何処でも湧く。
基本的に汚い場所なら何処でも湧くため、人間の体内でも強力な酸性を誇る消化液である胃酸すら効かない軀に進化したらしい。
黒点――斑模様の斑点を背に浮かばせた、それはそれは見ていて気持ちの悪くなる虫なのだとか。
それが少女の腹の中にへばりついているらしく――
「……寄生虫感染者ってわけですか」
元の世界にもいた寄生虫に操られる傷病者。
詳しいわけではないが、元の世界では少し前にちょっとした騒ぎになっていたのを思い出す。現代医療の最先端知識を駆使して治療したのだとか。
今の俺では何かをすることはできない。
「ふぅむ……」
俺はステータスを見る。
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嘉瀬アキラ 男
種族:人間(17)
レベル:23
職業:操術師(土)
筋力:37
体力:35
耐久:24
敏捷:37
魔力:49
土操術( Ⅲ )・鑑定・言語自動変換(X)
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勇者にキャリーされて上げたレベルとステータス。
……さてさて、俺のステータスがどこまで利用出来るものか。鑑定に限っては使う機会がなかったから、何をどこまで除けるのかすらわからない。マンガだと人のステータスも見えるのだが……
思いつつ俺は鑑定スキルを使ってみる。
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リーシャ・アロンダイト
種族:エルフ(24)
レベル:19
職業:魔剣士
筋力:45
体力:34
耐久:24
敏捷:29
魔力:31
魔剣錬鉄( II )・火属性魔法( Ⅳ )・風属性魔法( Ⅲ )
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案外見れるもんだな。
名前の複数箇所とかスキルの名称とか、重要そうな箇所は伏せられているものの、必要最低限の箇所は分かる。
「で、リーシャ?」
「……ッ!」
俺に突然呼び掛けられたリーシャは、飛び跳ねて肩を震わせ、猛獣から跳ねるように逃げる小動物のように敵意を露わにして威嚇する。
「……名前」
「……なんで名前を知ってるか、ってことか? 俺は鑑定スキルを使えるからな」
少し自慢気に言う。
なんせ役に立たない職業である操術師が使える唯一のサポートスキルである。
この世界の人なら当然知っているようなスキルだろうが、『鑑定』を持っている人はこの世界では少ないみたいだ。自慢くらいしたってバチは当たらないだろう。
「……」
しかしリーシャは安心して羨ましがるするどころか、益々警戒度を増していく。
俺が座っている席から離れ、少し泣きそうな目で俺を睨んでいる。俺は何か地雷を踏むようなことをしてしまっただろうか。
「……それは、わたしに対する侮辱ですか?」
「え? なんで……いや、違うよ? ただちょっと他の人に見せびらかしたかったってだけで……」
「鑑定で奴隷を見るのは侮辱するのと同義です!」
「えぇ……?」
困惑する俺に畳み掛けるように叫ぶリーシャ。
「確かに奴隷は『物』ですが! それでもあんまりだと思います!」
「……あっ」
そうか。そういえばそうだった。
おそらく『鑑定』は『物』のステータスだけを見ることが出来るが、人のステータスを見ることは出来ないのだ。しかしそれは『本来なら』という言葉が必要になる。
この世界では奴隷は『者=人間』と言うジャンルの括りではなく『物=道具』の括りに入れられてしまっている。主人となる人物に隷属し、使役される人物のことを言う。この世界でも大元は同じだが、致命的に違うのは『完全に人権がない』ことにある。
人権がない奴隷は道具のように見られていて、酷い場合は『消費アイテム』として使われることがあるのだと言う。
そして『鑑定』は道具を見ることが出来る……つまり、俺はリーシャに「お前は道具だ」と言っているような物だったのだ。
そんなの夢も希望もない。
絶望の底にいる人間に、
「……そ、ぁ……ごめん」
「……いえ、わたしも熱くなりました。ごめんなさい」
……失言だ。
俺は悔しさのあまり奥歯を強く噛み、右手首を強く掴む。何のために王宮の図書室に籠もって勉強していたと言うのだ。こう言うことをなくすためだろう。一般常識を学んでいたのは何故だ。現地人との不和を生まないためだろう。
まったく身につけていなかった未熟な自分に後悔の念を抱く。
「……まあ、いいです。とにかく、奴隷の身分に落とされたからには、あまり希望は抱かないのが身の為です。奴隷の先立としての言葉です」
「それは断るが」
俺は即答し、リーシャは面食らう。
「リーシャは希望ってものに対して変な誤解をしてるみたいだな」
「誤解?」
「ああ」
希望は抱くものじゃない。
抱えて立って意味を成さないし、持っていたとしても用途がわからずに使うことはないだろう。
要は、掴み取らなければいけないのだ。調べて奪って掴んで使って。あらゆる手段、手練手管を行使してでも、掴み取ればそれは自分のだ。
「俺が希望を持ってきてやるよ」
アキラは不敵な笑みを浮かべた。