28話 元服前の辰之助
「……ぁっぃ……」
ボソッと溢れる夏への文句。
季節は春から夏へと移り変わり、南方から熱波が襲来して来た初夏のとある日。
アキラは魔法で涼しくなった家を渋々出て、猛暑の中を汗をダラダラ流しながら歩いていた。
嘉瀬塾は夏休暇中。
やることもなかったアキラは優梨のショッピングに付き合って、信長様が法改正したばかりの楽市へと足を向けていた。
肌もヒリつく猛暑の中でも、関所の撤廃された尾張市は今日も大盛況。夏に負けない大声が飛び交っている。
「アキラくん、新しい筆買おうよ。そろそろ筆先も割れて来たでしょ?」
「うーん……でもまだ使えるし……」
「ダメだよ、字が汚くなるでしょ」
字が汚いのは元々だし。
……まぁせっかくお金も持ってるし、買っといて損はないか。
優梨に言われるままに2、3本程筆を購入する。
いい笑顔の筆屋のおっちゃんに笑顔を返し、多少の値引き交渉でバトってから筆屋を離れる。
「いい買い物が出来た」
「あのおじさん、アキラくんのこと少し睨んでたよ……」
「気にしない気にしない。どうせ次はどうやって定価で買わせようとか思ってんだよ」
職業柄、どうせまた赴くのだ。
その時に雌雄を決しようぜおっちゃん。
市で出来た密かな好敵手に向けニヒルに笑い、アキラと優梨は次の場所へ向かうために足を動かす。
「ンだとクソガキィ!」
キーン。
突然の大声が右から左へと耳を貫通する。
なんだなんだ何事か。
「貴様らのような不良者に、この娘が靡くはずがなかろう」
「あ、あの……もう良いですから……すごい目立っておりますから……!」
お武家様の格好をした少年1人と、後ろには笠を被った良い格好をした少女が1人。
恐らく後ろの彼女を巡った喧嘩なのだろう。
少女を背後に隠す少年が対峙するのは、如何にも不良染みた青年2人。恐らく低い身分なのだろう。
若い頃特有の武士に対する反骨心と、少し言い過ぎな感のある少年の言葉に対して苛立ちを覚えているのだろう。
……あれ、あの少女は見たことあるぞ。
「あ、あの娘、寧々ちゃんじゃない?」
「……っ! 優梨様! アキラ様!」
遠目から喧嘩を見ている俺たちの姿を視認すると、隠されていた娘……寧々ちゃんが走って駆け寄って来た。
寧々。木下秀吉の許嫁。
北政所だったり高台院だったり、色々な呼ばれ方をされることになるが今はただの武家の娘である。
天下人になった豊臣秀吉にすら恐れられたという逸話もあり、それが発端で天下一の女性とも称される。
アキラと優梨も呼ばれているのだが、今回の美濃攻略が終わったら結婚式を開くらしい。
「どしたの、なんかあったん?」
「た、助けてください! 最初はあの二方に声を掛けられていたのですが……突然あの方が割って入って大変なことに……」
「あー……」
事態が収集つかなくなったと。
面倒なことになっているみたいだ。巻き込まれたくない。
しかし友人の奥さんが困っているのだ。
助けてやらなければ立つ瀬がないだろう。結婚式にも呼ばれてるしなぁ。ちょっとだけ力を貸してやろうかな。
と、アキラが逡巡していると、寧々に辰之助と呼ばれた少年が声を掛けてくる。
「……そこの方々、その方のお知り合いか?」
「ん、まぁそうだね。それよりも喧嘩は大丈夫? 手を貸そうか?」
「ご心配なく。自分一人でなんとかなります」
「言わせておけば! ぶっ殺してやるよクソガキ!」
「武家だからって調子に乗ってんじゃねえぞテメェ!」
「……うん、力貸すわ」
俺が収集つかなくて誰がつけるんだこれ。
これは後に響くパターンのやつだろう。
夜道は背後に気をつけろってやつ。こういう輩は後が面倒くさいぞ。
「有難う御座います。怪我はしないように」
「はいはい。お互い様ね、それ」
いい返事。
肩を並べたアキラと辰之助は、真正面から殴りかかってくる2人の不良を体良くいなすのだった。
ーーー
「御助力感謝します」
物静かな雰囲気で、細い目をアキラに向けるこの少年。
名前を辰之助。
岩倉織田氏の家老・山内氏の嫡男だったが、昨年主家を信長様に滅ぼされ、父親を殺されてからの1年間は流浪の生活を送っているらしい。
つまりあれだ。
こいつ後の初代土佐藩主・山内一豊だ。
「礼は別にいいよ。それよりも、なんであんな面倒事に首突っ込んだの」
「あの女子が困っていましたので。暴力沙汰を解決出来るのは男しかおりますまい」
「確かに寧々ちゃんは喧嘩は出来なさそうだけどね。そこはファインプレーだったと思ってる」
そこだけはな。
「だがキミは武家なんだろう? なら安易に喧嘩をするべきじゃない。キミは良くても民には低俗に見られるぞ」
「見られたとしても、守らなければならない物があると思います。自分よりも弱い者は特に」
納得は出来る主張だな。
だが見通しが甘い。流石に元服前の経験少ない少年の考えか。
「例えばだな。部下のことを駒としか扱わず、失敗したらすぐに撫で切りにするような奴に、キミは付いていけるか?」
「無理です。いつ殺されるかわかりませんから」
「そういうことだ。キミが暴力を振るえば、周囲の人間はキミを短気な性格だと誤解するだろう。そして今の例えのような状況が出来る」
「なるほど……」
そういう意味では大うつけの信長様は、よくここまで盛り返したと思う。
「勉強になりました。有難う御座います」
「まぁ塾の先生だからな。説教臭くなってごめんね」
説教しといて何を言う。
とは言わないでほしい。教え導く者は皆こうなってしまうのだ。
「道を外したのなら仏にさえも説法を解くのが、人の師としての役割と存じます」
「そう言ってくれるなら何よりだよ。改めて、俺は嘉瀬アキラだ。よろしくね、辰之助くん」
「はい、よろしくお願いします」